2010年2月1日月曜日

ないのは希望だけ?

「年次改革要望書」というのをご存知か。
1994年以来毎年ずっと、アメリカから日本に突きつけられているもので、
要は日本の政治経済システムや商慣行をこんなふうに改めてくれないか、
とする要望書である。日本も同様な要望を出しているが、事実上は
アメリカの一方的なもので、日本はその要求を次々とのんできた。

金融ビッグバン、NTT分割、大規模小売店舗法の廃止、
郵政民営化、裁判員制度の導入……。
どれもみな、アメリカ企業が日本市場に参入しやすくするためのもので、
建前上は「日本国民のための改革です」と謳われている。

お調子者の小泉元首相などは、アメリカが最も御しやすい首相で、
アメリカの言うことは何でも聞いてくれた。

もとはといえば、宮沢首相がクリントンと約束しちゃったもので、
その後、宮沢に続く売国奴的な首相たちが、
「構造改革」の名のもとに、次から次へと要求に従ってきた。

鳩山のお坊ちゃまは、「友愛」だとか「命を守りたい」などと、
屁のつっかい棒にもならないようなことを、いけしゃあしゃあと
のたまわっているが、同盟国のアメリカにして、「友愛」など
歯牙にもかけていない。守るのは「愛」だとか「命」などではなく、
「国益」onlyなのである。

日本国憲法の前文には、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と
生活を保持しようと決意した……》とある。

しかるに現実は、どこの国を見回しても貧寒たるありさまで、
公正と信義を重んじる奇特な国なんて薬にしたくともありはしない。
平和を愛するどころか、相手国の弱みを見つけ出そうと、
みな虎視眈々と狙っている。

それが政治・外交の実相で、友愛などと甘っちょろいことを言ってると、
ケツの毛がむしられ、いつのまにか国柄も変えられ、丸裸にされてしまう。
政治・外交の世界は今も昔も〝性悪説〟が基本なのである。

昔は中国が宗主国で、夷狄とされた周辺の諸民族は貢ぎ物を献上した。
戦後の日本にとってはアメリカが宗主国で、しきりに尾っぽを振ってきたが、
民主党政権になって、再び宗主国が中国へと入れ替わろうとしている。
いずれにしても日本の卑屈な茶坊主根性は変わらず、
独立国家としての気概などみじんもない。

この国には何でもある……だが、希望だけがない
と村上龍はある作品の中で言っていた。

ないのは希望だけだろうか? 

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

無いのは自国の歴史に対するプライド、自信、戦略、大局観、防衛意識、リーダーシップ。逆にあるのは拝金主義、西欧への劣等感、アジア・アフリカに対する軽侮の念といったところか。つまるところ、自分の国は自分で守るとする気概のない国は、独立国とはいえず、他国の侮りを受けるだけ、ということでしょうか。

匿名 さんのコメント...

希望がなさ過ぎるので、「希望学」なんていう学問分野ができてるそうです。
自殺者が年間3万人以上。
自殺未遂や自殺希望者の数はその数倍もあるでしょうから、数字上からも希望の無さが証明されてますよね。
なんだか、とんでもない国に生まれてしまったようです。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名さまこんにちは。
年間の自殺者が3万人以上。
もしもこの人たちが生きていたら……。
試算によるとおよそ2兆5500億円の
経済的損失なんだそうです。