うどんを打っていたら、ギックリ腰になってしまった。
で、うどんは急遽、スイトンに姿を変えた。
私の生まれた埼玉・川越はどちらかというと「うどん文化圏」で、
子供の頃から、もっぱら母の打つうどんを食べてきた。
そばも食べたが、家で打つことはほとんどなかった。
母は幾度となくそば打ちに挑戦した。が、
でき上がったものはそばと呼べるような代物ではなかった。
今を盛りの「そば打ち教室」をのぞくと、中高年のおじさんに
混じって、若い娘さんもちらほら。紫檀のめん棒まで買ったという
熱心なおじさんに、「なぜうどんではなくそばなの?」と聞いたら、
「うどんは形而下的だけど、そばは形而上的だから……」
となんだかよくわからない答えが返ってきた。
要はそば打ちのほうがちょっとばかり高尚なのだ、
と言いたいらしい。
ほんとに高尚かどうかは知らないが、難易度を競ったら、
たぶんそばに軍配が上がるだろう。うどん粉に比して、
そば粉は容易につながってくれない。難しいのは水回しで、
加水量をほんの少し間違えただけでも、
すべてが水泡に帰してしまう。
おまけに専門用語にあふれ、いかにもマニアックな世界を
形成している。凝り性の男たちが魅かれるのも
ムリはないのだ。
そしておじさんたちは、ほぼ例外なくそば粉100%の十割そば
をめざす。二八では満足できないらしい。日本人は混じりっけなし
の純粋無垢というのが好きだ。酒は生一本だし、珈琲はブラックで飲む。
たぶん清浄さを尊ぶ神道から来ている嗜好性だと思われるが、
つなぎ無しで見事つながった時の達成感がなんとも言えないのだという。
想像するに、この偏愛的なカタルシスは、
男たちだけが理解するものではなかろうか。
何事にも現実的な女たちは、
たぶん半分呆れ顔でながめているのだ。
古人はうまいことを言った。
蓼(タデ)食う虫も好きずきだと。
事実、そばはタデ科の植物なのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿