昨日は昼酒を飲んだ。
毎度のことだろう、と思われると心外である。
たしかに毎日酒は飲んでいるが、お天道様が上がっているうちは飲まない。
しかし、昨日はのっぴきならない事情があって昼酒を飲んだ。
相方が老母(96)の介護があって、夜は飲めないのだ。
昨日はたまたまデイサービスの日で、昼間に空き時間ができ、
久しぶりに会おう、ということになった。
場所は都営新宿線「西大島」駅から歩いて7~8分のところにある「番外地」
という名の立ち飲み酒場。つまみのほとんどは100~200円で、昼12時に
一番乗りしたのだが、あっという間におじさんたちでいっぱいになってしまった。
とりあえずビールから始まって、あとはハイボールをグイグイ。
「角」がベースだとダブルで400円するので、200円のブラックニッカにする。
つまみは豚骨、チャーシュー、ウドぬた、菜の花のおひたし、牛タンマリネ、
などを注文、そのどれもがおいしく、いっぺんでファンになってしまった。
相方はかつて高円寺で「十一房珈琲店」、荻窪で「移山房」を経営していた愚公こと
Yさん(バツイチ、独身。拙著『コーヒーに憑かれた男たち』にも登場している)。
昔は〝御三家〟のひとつ、銀座「カフェ・ド・ランブル」で9年近く焙煎を担当し、
そのまた昔はあの手塚治虫の「虫プロ」で漫画制作に携わっていたという
変わり種だ。コーヒー業界では知る人ぞ知る男なのである。
そのYさんが飲むほどに酔うほどに饒舌となり、自作の人生標語を教えてくれた。
老母の介護をしたり、日々明るく暮らす上での心得なのだという。
《いつもニコニコ笑顔を忘れず、
背筋を伸ばし、
おのれの自慢をせず、
また他人を悪くいわない。
そして、身のまわりは常に整理整頓》
いくぶん認知症の進んだ老母に対しては、
《シモの世話もいとわず、笑顔で接し、必ずそっとタッチする》
この「そっとタッチする」というところが肝心なのだという。
家は古い団地のエレベーターのない階にあり、下から母を負ぶって運ぶという。
Yさんと話をしていて、ボクはふと宮澤賢治のことを思い出していた。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰の 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリ(原文ママ)ノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ
クニモサレズ サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
ボクなんか超のつく木偶(でく)だから、「サウイフモノ」になれそうな気が
しないでもないが、めっちゃ欲はあるし、味噌と少しの野菜だけじゃあ腹の虫が
治まらないので、たぶんムリだとは思う。
「老・老介護」は悲惨だという。たしかに悲惨な面はあるだろう。
そんなことは百も承知だろうが、おくびにも出さず、Yさんは老いゆく日々を
明るく過ごしている。いや、そうするように努めている。
「親に手をあげたりしたら、それこそ一生後悔する……後悔だけはしたくない」
Yさんはそう言って苦く笑う。
「だんだんキリスト様みたいになってきたね」
とボクがからかうと、顔をくしゃくしゃにして笑った。
Yさん、またいっしょに飲もうね。
←西大島駅から15分ほど歩くと
下町情緒たっぷりの砂町銀座商店街。
いいですねえ、この雰囲気。
Yさんは〝下町〟という言葉がきらいで、
〝東東京〟と言え、というのだが……(笑)
毎度のことだろう、と思われると心外である。
たしかに毎日酒は飲んでいるが、お天道様が上がっているうちは飲まない。
しかし、昨日はのっぴきならない事情があって昼酒を飲んだ。
相方が老母(96)の介護があって、夜は飲めないのだ。
昨日はたまたまデイサービスの日で、昼間に空き時間ができ、
久しぶりに会おう、ということになった。
場所は都営新宿線「西大島」駅から歩いて7~8分のところにある「番外地」
という名の立ち飲み酒場。つまみのほとんどは100~200円で、昼12時に
一番乗りしたのだが、あっという間におじさんたちでいっぱいになってしまった。
とりあえずビールから始まって、あとはハイボールをグイグイ。
「角」がベースだとダブルで400円するので、200円のブラックニッカにする。
つまみは豚骨、チャーシュー、ウドぬた、菜の花のおひたし、牛タンマリネ、
などを注文、そのどれもがおいしく、いっぺんでファンになってしまった。
相方はかつて高円寺で「十一房珈琲店」、荻窪で「移山房」を経営していた愚公こと
Yさん(バツイチ、独身。拙著『コーヒーに憑かれた男たち』にも登場している)。
昔は〝御三家〟のひとつ、銀座「カフェ・ド・ランブル」で9年近く焙煎を担当し、
そのまた昔はあの手塚治虫の「虫プロ」で漫画制作に携わっていたという
変わり種だ。コーヒー業界では知る人ぞ知る男なのである。
そのYさんが飲むほどに酔うほどに饒舌となり、自作の人生標語を教えてくれた。
老母の介護をしたり、日々明るく暮らす上での心得なのだという。
《いつもニコニコ笑顔を忘れず、
背筋を伸ばし、
おのれの自慢をせず、
また他人を悪くいわない。
そして、身のまわりは常に整理整頓》
いくぶん認知症の進んだ老母に対しては、
《シモの世話もいとわず、笑顔で接し、必ずそっとタッチする》
この「そっとタッチする」というところが肝心なのだという。
家は古い団地のエレベーターのない階にあり、下から母を負ぶって運ぶという。
Yさんと話をしていて、ボクはふと宮澤賢治のことを思い出していた。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰の 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリ(原文ママ)ノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ
クニモサレズ サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
ボクなんか超のつく木偶(でく)だから、「サウイフモノ」になれそうな気が
しないでもないが、めっちゃ欲はあるし、味噌と少しの野菜だけじゃあ腹の虫が
治まらないので、たぶんムリだとは思う。
「老・老介護」は悲惨だという。たしかに悲惨な面はあるだろう。
そんなことは百も承知だろうが、おくびにも出さず、Yさんは老いゆく日々を
明るく過ごしている。いや、そうするように努めている。
「親に手をあげたりしたら、それこそ一生後悔する……後悔だけはしたくない」
Yさんはそう言って苦く笑う。
「だんだんキリスト様みたいになってきたね」
とボクがからかうと、顔をくしゃくしゃにして笑った。
Yさん、またいっしょに飲もうね。
←西大島駅から15分ほど歩くと
下町情緒たっぷりの砂町銀座商店街。
いいですねえ、この雰囲気。
Yさんは〝下町〟という言葉がきらいで、
〝東東京〟と言え、というのだが……(笑)
4 件のコメント:
しまふくろうさま、こんにちは。(*^^*)
昨日の睡眠不足で、
飼っているクマをすくすくと成長させている木蘭でございます。
介護を明るく務めていらっしゃるそのお友達には、頭が下がる思いです。
私も認知症の父の介護をしましたが、
三か月で私がダウン。
それからひと月は体調が戻らず、
体が辛くて「あじょにもこじょにも」ならない状態でした。(←こちらの方言で「どうにもこうにも」ならないといった意味です)
市役所の方が、
「介護は頑張ってはだめです」と言って下さいましたが、
「頑張らなくちゃできないでしょう」と、つい反抗的な気持ちになってしまったのがいけなかったのでしょうか。(^_^;)
私の場合は寺院の方々を始め、
信者さん方も支えになって下さったのでとても助かりましたが、
老・老介護は精神的にも体力的にも、本当に大変な事だと思います。
しまふくろうさまとお酒を酌み交わすことは、その方にとっての至福の時なのでしょうね。
お酒が美味しく飲めるよう、お二人の御健康を心よりお祈りしております。
木蘭様
こんばんは。
拙い焙煎豆ですが、がまんして飲んでください。
さてYさんですが、とってもいい人です。
昔から私心がなく、透明感があって、
憬れの先輩でもあります。
ボクなんか自己主張が強く、わがままだから、よく酒の相手をしてくれるものだと、
Yさんの酔狂ぶりに感心したり感謝したり
で、もう大変……
「あんたは一言多いんだよ」
といつも叱られてます。
還暦過ぎても叱ってくれる友がいる、
というのは幸せなこと。
木蘭さんもいけ図々しいしまふくろうを
どしどし叱ってください。
ボクはマゾなんです。へへ……
嶋中 さま、
突然の投稿で失礼します。
70年代に高円寺に住んで、開店当時から、2、3年、高円寺・十一房に出入りしていました。ふとしたことで、珈琲店を思い出し、Y氏のことを調べるうちにこのブログに行き着きました。当時のY氏のままのエピソードにまるで当時にタイムスリップしたような気がいたします。
今も、お会いになっていますか。機会があれば、お伝えください。
「開店当時によく来ていた『おじさんバイク』の青年です。
あれから30年以上ですが、十一房以上のコーヒーに出会ったことがありません」
ついでながら、よければ教えてください。
銀座で営業している十一房珈琲店とは、何かの因果がありますか?
33年前は青年
33年前は青年だった人へ
そうですか、高円寺十一房の常連さんでしたか。
ボクはこの日以降、Yさんとは会っていません。
もう2年近くなりますね。ご母堂の介護に忙しく、
なかなかお会いする機会がありませんでした。
「おじさんバイク」氏のことはメールで知らせておきます。
たぶん喜んでくれるでしょう。
銀座の十一房はたしか店主(名前を失念しました)がY氏の
弟子だったんじゃないかな。詳しくはもう忘れてしまいました。
申しわけないです。
また遊びに来てください。
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