別に好きこのんで読んでいるわけではないが、お隣りのクネさんが性懲りもなく
行く先々で嘘八百を並べているので、真の歴史を確認しておこうと、
以下、評判の本を読んでみた。
『醜い韓国人』『日中韓2000年の真実』『韓国民に告ぐ!』『韓国併合への道 完全版』
『もう、この国は捨て置け!』『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った!』『呆韓論』
『犯韓論』、他にも未読だが『悪韓論』とか『愚韓新論』などというのもある。
他にざっと目を通した雑誌の特集タイトルは、
『ツケ上がるな韓国!』『哀れな三等国、韓国』『韓国人の嘘が止まらない!』
『世界の嫌われ者、韓国』『韓国に白黒つけろ!』『韓流はウソだらけ』
『嫌韓台風』『この厄介な隣人』『続・韓流はウソだらけ』『「性奴隷」捏造を許すな!』
と、韓国をこきおろしたものばかり。
『文春』や『新潮』などの週刊誌はもっと過激で、朴槿恵(パク・クネ)を「今週のバカ」
などという連載企画に登場させ、クレーマーおばさんとか〝クネクネ〟などと呼んで
嘲弄している。
ほんの数年前までは、こんなタイトルをつけること自体考えられなかったのだが、
近頃は競うように誹謗中傷語をエスカレートさせている。そしてこうした本や雑誌が
またたく間に版を重ねる、というのだから、長~い出版不況に泣く業界にとっては、
干天の慈雨みたいなものだろう。パク・クネ様々と、歓喜のあまり口をパクパク、
腰をクネクネさせているのは、実は日本の出版業界なのである。
この種の本を飽きもせず(←ほんとうは心底飽きてる)読み続けていると、
だんだん心がカサカサになってくる。「そうだそうだ」と首肯するところが多ければ
多いほど、心が渇いてくる。そんな時、ボクは思うのだ。
(俺って人間は、どう転んでも政治的人間からは遠い存在なんだな……)と。
ボクは韓流ドラマは見ない。きれいなアンヨの韓流歌手の歌も聴かない。
あのど派手な衣裳と、誰が誰だかさっぱり区別がつかない整形顔を見ているだけで
不愉快になるからだ。そういえば儒教の世界では、
「派手な色彩と左右対称の美が重んじられる」と拓殖大の呉善花教授は言ってたっけ。
高価な染料が買えず庶民の服は白一色だった、という歴史的事実など何のその、
歴史ドラマに登場する整形美女たちは絢爛豪華な衣裳をまとい、
史実などそっちのけで妍(けん)を競い合っている。何度も言うが、
韓国人にとって歴史はヒストリーではなく〝ファンタジー〟なのである。
ボクは「アホらしィ」と思って目をそむけるが、韓流ドラマの熱烈ファンたちは
食い入るように見つめているにちがいない。そして〝左右対称〟の整形顔を眺めながら、
(私もあんな顔になりたい)と、きっと夢見顔でうっとりしているはずなのだ。
ところで、ボクは女の化粧顔を好まない。だから女房が化粧をはじめると、
「スッピンがいやなら、せめて薄化粧にしてくれ」と〝お願い〟をする。
大概は却下されてしまうが、「自然のままがいちばん」と訴え続ければ、
そのうち効果が出てくるだろう、と儚い希望をもっている。
そんな「ナチュラル派」の人間が左右対称の整形顔を好むわけがあるまい。
野に咲く花より〝造花〟を好むという韓国人の性向とは正反対(←最近は〝真逆〟など
というふざけた言葉が流行っているようだが、恥ずかしいからやめてくれ)だからだ。
話が脇道にそれてしまったが、要は心のカサカサをどう修復させるかという話をしている。
人間というのは面白いもので、どんな場合でも〝自然治癒力〟は発揮されるようなのである。
それは何かというと、就寝前の時間帯はややこしい政治の本は遠ざけ、
心に潤いを与えてくれそうな書物に自然と手が伸びる、ということなのだ。
たぶん心のバランスをとろうとする本能的な働きがあるのだと思われる。
最近までは道元や良寛などの宗教書を好んで読んでいたが、
今は中島敦の『山月記』や『李陵』『名人』といった漢文調の名文を音読している。
ボクは若い頃から中島の作品が好きで、『山月記』などは気の利いた箇所を
諳んじることもできる。
《己の珠に非ざることを畏れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、
また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(平凡な人々のこと)
に伍することも出来なかった……》
こうした名調子を音読していると、次第に自分の中のリズムが調えられ、
心の中に清流が流れていくような気分になる。
芸術作品の力というものは、人が思っているほど微弱なものではないようだ。
クネがクネクネしようが、キンペイが色褪せた華夷秩序を復活させようが、
ほんとうはどうでもいい。バカは捨て置けばいいのだ。だがバカの目標が
日本を貶めようとすることであるなら、いたずらに黙過することはできない。
心がカサカサになる代償として、中韓の暴論に反駁する知識は十分身につけた。
が、なんだかひどく虚しい。この三国の派閥争いは、いったいいつまで続くのだろう。
←この手の本が常にベストセラーになるのだから
尋常ではない。良書もあるにはあるが、
柳の下のどぜうを狙った追随本がほとんど。
いずれにしろコリアンの異常な精神構造を
目の当たりにして愕然とすること必至だ
行く先々で嘘八百を並べているので、真の歴史を確認しておこうと、
以下、評判の本を読んでみた。
『醜い韓国人』『日中韓2000年の真実』『韓国民に告ぐ!』『韓国併合への道 完全版』
『もう、この国は捨て置け!』『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った!』『呆韓論』
『犯韓論』、他にも未読だが『悪韓論』とか『愚韓新論』などというのもある。
他にざっと目を通した雑誌の特集タイトルは、
『ツケ上がるな韓国!』『哀れな三等国、韓国』『韓国人の嘘が止まらない!』
『世界の嫌われ者、韓国』『韓国に白黒つけろ!』『韓流はウソだらけ』
『嫌韓台風』『この厄介な隣人』『続・韓流はウソだらけ』『「性奴隷」捏造を許すな!』
と、韓国をこきおろしたものばかり。
『文春』や『新潮』などの週刊誌はもっと過激で、朴槿恵(パク・クネ)を「今週のバカ」
などという連載企画に登場させ、クレーマーおばさんとか〝クネクネ〟などと呼んで
嘲弄している。
ほんの数年前までは、こんなタイトルをつけること自体考えられなかったのだが、
近頃は競うように誹謗中傷語をエスカレートさせている。そしてこうした本や雑誌が
またたく間に版を重ねる、というのだから、長~い出版不況に泣く業界にとっては、
干天の慈雨みたいなものだろう。パク・クネ様々と、歓喜のあまり口をパクパク、
腰をクネクネさせているのは、実は日本の出版業界なのである。
この種の本を飽きもせず(←ほんとうは心底飽きてる)読み続けていると、
だんだん心がカサカサになってくる。「そうだそうだ」と首肯するところが多ければ
多いほど、心が渇いてくる。そんな時、ボクは思うのだ。
(俺って人間は、どう転んでも政治的人間からは遠い存在なんだな……)と。
ボクは韓流ドラマは見ない。きれいなアンヨの韓流歌手の歌も聴かない。
あのど派手な衣裳と、誰が誰だかさっぱり区別がつかない整形顔を見ているだけで
不愉快になるからだ。そういえば儒教の世界では、
「派手な色彩と左右対称の美が重んじられる」と拓殖大の呉善花教授は言ってたっけ。
高価な染料が買えず庶民の服は白一色だった、という歴史的事実など何のその、
歴史ドラマに登場する整形美女たちは絢爛豪華な衣裳をまとい、
史実などそっちのけで妍(けん)を競い合っている。何度も言うが、
韓国人にとって歴史はヒストリーではなく〝ファンタジー〟なのである。
ボクは「アホらしィ」と思って目をそむけるが、韓流ドラマの熱烈ファンたちは
食い入るように見つめているにちがいない。そして〝左右対称〟の整形顔を眺めながら、
(私もあんな顔になりたい)と、きっと夢見顔でうっとりしているはずなのだ。
ところで、ボクは女の化粧顔を好まない。だから女房が化粧をはじめると、
「スッピンがいやなら、せめて薄化粧にしてくれ」と〝お願い〟をする。
大概は却下されてしまうが、「自然のままがいちばん」と訴え続ければ、
そのうち効果が出てくるだろう、と儚い希望をもっている。
そんな「ナチュラル派」の人間が左右対称の整形顔を好むわけがあるまい。
野に咲く花より〝造花〟を好むという韓国人の性向とは正反対(←最近は〝真逆〟など
というふざけた言葉が流行っているようだが、恥ずかしいからやめてくれ)だからだ。
話が脇道にそれてしまったが、要は心のカサカサをどう修復させるかという話をしている。
人間というのは面白いもので、どんな場合でも〝自然治癒力〟は発揮されるようなのである。
それは何かというと、就寝前の時間帯はややこしい政治の本は遠ざけ、
心に潤いを与えてくれそうな書物に自然と手が伸びる、ということなのだ。
たぶん心のバランスをとろうとする本能的な働きがあるのだと思われる。
最近までは道元や良寛などの宗教書を好んで読んでいたが、
今は中島敦の『山月記』や『李陵』『名人』といった漢文調の名文を音読している。
ボクは若い頃から中島の作品が好きで、『山月記』などは気の利いた箇所を
諳んじることもできる。
《己の珠に非ざることを畏れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、
また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(平凡な人々のこと)
に伍することも出来なかった……》
こうした名調子を音読していると、次第に自分の中のリズムが調えられ、
心の中に清流が流れていくような気分になる。
芸術作品の力というものは、人が思っているほど微弱なものではないようだ。
クネがクネクネしようが、キンペイが色褪せた華夷秩序を復活させようが、
ほんとうはどうでもいい。バカは捨て置けばいいのだ。だがバカの目標が
日本を貶めようとすることであるなら、いたずらに黙過することはできない。
心がカサカサになる代償として、中韓の暴論に反駁する知識は十分身につけた。
が、なんだかひどく虚しい。この三国の派閥争いは、いったいいつまで続くのだろう。
←この手の本が常にベストセラーになるのだから
尋常ではない。良書もあるにはあるが、
柳の下のどぜうを狙った追随本がほとんど。
いずれにしろコリアンの異常な精神構造を
目の当たりにして愕然とすること必至だ
10 件のコメント:
嶋中労さま
こんばんは!
辛いが旨いの田舎者です。
《こうした名調子を音読していると、次第に自分の中のリズムが調えられ、
心の中に清流が流れていくような気分になるのである。》
この気持ち、田舎者も解ります。道元さんの正法眼蔵を音読することが
あるからです。その中でも『現状公案』が好きで、その中でも
“仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己を
わするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。・・・”
何が良いの聞かれればリズム、自然のリズムがここにあるからです。
宇宙のリズム、地球のリズム、その中に生き感じ取ることの出来る人は
リズムがあるのですから。
最後にもう一つ女性はスッピンが好きです。
ありがとうございました。
田舎者様
おはようございます。
「野壺から木蘭さんを守る会」事務局長の
しまふくろうです。たしか田舎者さんも
熱心な会員でしたよね。
さて、「リズム」というお話ですが、ボクたちライターの世界でも〝リズム〟は大切です。自分の中の内なるリズムとでもいいましょうか、どの書き手にも独自のリズムがあるのです。
ボクの師匠の山本夏彦が、
「あなたは文章のリズムがいい」
と言ってくれました。お世辞半分でも
嬉しかったですね。
だれにでも自分を快適にしてくれるリズム
があります。他と交わるとそのリズムが変調をきたす時もあれば、逆にシンクロして、
よりのびのびと自分を表現できるときもあります。
あまり自意識過剰にならず、自然体をキープできれば、すなわち〝無私〟の状態が得られれば、宇宙のリズムとシンクロできます。
〝無〟になって内なる声に身を寄せる。
なんだか道学者じみてきましたが、
ボクも修行の身(酒を飲む修行?)です。
お互い、スッピン女性を肴に、
辛いものをいっぱい食べ、酒を喰らって、
一切を放下してしまいましょう。
南無阿弥陀仏。
死に場所を求めつつ、未だ見つからず生き恥を曝している胡塞齋でございます。以前お書きになった記事の中で「歴史とは中華人民共和国人にとってはプロパガンダ、大韓民国にとってはファンタジー」とありましたね。(確か、米国の方のお言葉の引用だったような・・・) 我が国に多く存在する愚民にとっては歴史とはセルフ・トーチャー(自虐或いは自傷行為)に感じているのは愚生だけなのかな・・・と不安になるたびに、労師の記事を読むようにしております。
大東亜戦争(この表現が「ウヨク」と仰せの方がおられたら、いつでも体育館の裏でお待ちして、「ご相談」に応じます)終戦時に16歳を黒竜江近くの村で過ごしていた少女を知っておりまして、今、彼女(愚生とDNA上、50%くらい合致するらしい)に「メモでもなんでもいい、うろ覚えの記憶でいい、とにかく、ボケる前に(既に、結構ボケているが)、貴女が話していた現地でホンモノの『五族協和』を目指していた満州国軍の中島久次郎軍曹の話をまとめてくれ」と頼んでいるところで、それが愚生の名で初めて出される本(幽霊作家の前科は10犯を超えておりますが、20世紀の出来事なので時効でしょう)になる予定です。ただ、いつのことやら・・・
あと・・・「今週の胡塞齋のバカ」は、久々に書いた記事に「真逆」という表現を使用しました。万死に値するのでしょうか・・・今後とも死に場所を探しつつ、万死の第一回を迎えるまでは生きていようと努力いたします。
勞さん:かさかさした心の中を少しでも癒してくれるでありましょう話を見つけました。
もう10年以上前の文芸春秋巻頭随筆、阿川弘之”葭の髄から”の1章「心の祖国」です。
14・15歳の台湾少年工8,400人が戦争中に海軍工廠で数学、英語、物像、製図等中学程度の教育をうけながら働き、学習課程終了後卒業証書と海軍技師の資格を与えられ事になっていました。彼らは軍に強制徴用されたわけではありませんが、学べる時間は極めて少なく、ひどい食糧なんでいつもひもじく、内地人工員との間にトラブルも起き、苦しきことのみ多かりきの日々だったおもわれますが敗戦の結果約束がすべて空手形になり台湾に送りかえされたのです。しかし「契約違反だ謝罪しろ、自分たちの青春を滅茶苦茶にされた、慰謝料よこせ」の声が歳をとった少年工達からは聞こえず、反対に「我が師」を思うて「仰げば尊し」と歌いたいと言ってる由。
「強制労働を謝罪せよ、慰謝料をよこせ」と
国の裁判所に訴えた話とちょっと違いますね。
匿名様
いいお話ですね。
台湾は支那や朝鮮とは違います。
日本精神(リップンチェンシン)というのだ
そうですが、日本統治50年をむしろ懐かしむ
人が多いと聞きます。
九段の靖國神社には台湾人戦没者2万7000
余柱が祀られています。それに、神社の神門は、実は台湾の阿里山(ありさん)の檜で
作られているのです。
桜が咲く季節になると、多くの台湾人が靖國
神社を訪れます。彼らは日台両国の英霊に
祈りを捧げているのです。もちろん安倍首相はそのことを承知で詣っています。
支那とは国交を断絶し、台湾と国交を結び
なおすというのがボクの希望です。経済
などより信義を優先すべきです。非現実的
な書生論と、どうかお嗤いください。
迂塞齋様
近々〝ウザイ齋〟に改名(戒名じゃないよね)するというウンコ苦齋様、こんにちは。
あいかわらず体育館の裏手で、留学生を投げ飛ばしているようですね。でもそのうちヨボヨボになって返り討ちにされるのがオチですから、なるたけ穏やかにやってくださいませ。
ウンコ苦齋さんとDNAが50%同じという
元少女は大事にしないといけませんね。
今のうちに昔の話をいっぱい聞いて、
それを書きとめておいてください。
その話、ぜひ膝つき合わせて伺いたいので、
近いうち、ヒマを見つけて拙宅にいらっしゃいませんか? 暖かくなってきたので、
ウンコさんが好きなアツアツの〝闇鍋〟を
作って差しあげます。
この件、別途、メールを出しときました。
しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)
お化粧が似合わなくて、
しかたなく若い頃からずっとすっぴんでいる木蘭でございます。
あらま。
しまふくろうさまのほかに田舎者さまも会員でしたか。
くれぐれも会の名前を
「木蘭から野壺を守る会」にしないようにして下さいね。(笑)
「心が乾く」という意味がとてもよく分かります。
乾き始めると、自分でもとても嫌な気持ちになります。(T_T)
私の場合は、
お経の時間を伸ばします。
心が潤ってくるまで。時間の許す限り。
あとは日蓮聖人の御遺文を思い出します。
「蔵の財(たから)よりも身の財。身の財よりも心の財第一なり」
「幸いは心よりいでて我を飾る」などなど。
そしてそれでも足りない時は~
・・・ここにきて、金魚にエサをやりながら~しまふくろうさまのブログを眺める事に致します。(笑)
木蘭様
洗濯を終え、一段落ついてホッとしている
しまふくろうでございます。女房はまだ寝ています。深夜まで仕事をしているので、
起きるのは遅いのです。甲斐性のない亭主を
もった彼女が不憫でなりません(しみじみ)。
ところで心の潤いを求めてわがブログに立ち寄るというお話ですが、ボクの怒りにまかせた毒言毒語にふれたら、それこそ心がカッサカサになって、修復不可能になりますよ。
それよりのびたラーメンを食べていたほうが
よっぽどマシだと思うのですが……
「野壺」がお気に召さないのなら、月並みな
〝悪い虫〟でもいいです。事務局長のボクが
一番の悪い虫なんですがね(笑)。
その次くらいに悪い虫の「田舎者」さんが、彼のブログ『田舎者の観察』で、
木蘭さんを念頭にブログを書いてますよ。
ボクは以前「目連」との関わりについて
書きましたが、いずれにしろ、
木蓮が3匹をつないでいることは確かです。
きょうはうららかないい天気。
桜の花を求めて散歩にでも出かけましょうかね。
労師
お招きありがとうございます。愚生、トモダチが少なく、滅多に人に誘われないので、尻尾を振って伺います。
さて、もう少し労師を怒らせてしまおうかと・・・偉大なる大韓民国のヒットチャート上位に2年ほどまえに入っていた曲らしきものを見つけてしまったことをご報告。ま、貴族の立場としては、愚民が何か言っても気にせず・・・と言いたいところですが、流石に少々暴れたくなりました。
キナく齋様
漢字変換の少ない雅号にしていただき助かります。
アオく齋、アセく齋、ジャマく齋、ショウベンく齋、シンキく齋、ヌカミソく齋、ドンく齋、サケく齋、マッコウく齋、ウサンく齋、ウンコく齋……とまあ、変遷してきたわけですが、しばらくはジッとしていてください。
トモダチはぼくもいません。
滅多に誘われることもありません。
〝くさい〟大兄とみな同じです。
お会いしたら、デブ同士でハグしましょうね。
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