2012年7月27日金曜日

廃県置藩


ボクは「体罰絶対反対。話せばわかる」とお題目のように唱える、
いわゆる〝人権派〟というのが苦手、というよりひどく嫌いで、
これまたひどいことに「子供に人権などない」などと本気で思っている。

さて、いじめ問題が相変わらずかまびすしい。ボクの考えはすでに述べたが、
あの「やられたらやり返せ」戦法は現実的ではない、とする意見もあった。
たしかにやり返す元気があったら、最初からいじめの対象にはならない。
でも起死回生というか、一点突破全面展開するためには、どこかの時点で、
「エイヤーッ!」と敵の大将に組みついていく勇気がないと、
いつまでたっても問題は解決しない。

教師にしたって「体罰禁止」という法律条項で手足を縛られているのだから、
たとえいじめの現場を目撃しても、口頭で注意を与えるくらいが関の山で、
当然ながら無力でしかない。もっとも近頃のいじめっ子は暴行・脅迫・恐喝
なんて朝飯前だから、「話せばわかる」どころか、ボコボコにぶん殴ったって
わかってくれるようなタマではない。

「学校教育法」の第11条にこうある。
《校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、
文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に
懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない》

この法律が制定されたのは1947年(昭和22年)だという。
ふしぎなことに、ボクの生まれるずっと前からある法律なのに、
ボクは教師によくビンタを食らわされたり、廊下に立たされたりした。
遅刻したからと、教室から閉め出されたこともあった。
これらはすべて〝体罰〟なのに、である。

もちろんボクは「体罰容認派」だから、ボクを殴った教師を恨んでなんかいない。
いつかお礼参りをしなけりゃいけないな、と思う教師がいないでもないが、
韓国人みたいにネチネチと執念深くはないので、すべて水に流そうと思っている。

体罰禁止を条項から外したら、さてどうなるか。日教組のおバカさんたちは、
「体罰を行使できない教師だっているじゃないか」とか、
「教師たちがいっせいに生徒を殴り出したらどうするんだ」などと
マジメに心配しているという。「憲法9条を外したら、すぐさま日本は戦争をおっ始める」
というのと同じくらいバカげた理屈で、こういうのを屁理屈という。

江戸期、会津藩には日新館という藩校があって、ここに「什(じゅう)の掟」
というのがあった。藩士の子供たちには「什」という集まりがあって、そこでは
武士の子弟としてわきまえるべき心構えが厳しく教えられた。

一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
そして7箇条の最後の文句が、こう結ばれている。
ならぬことはならぬものです
















そういえば旧社会党党首の土井たか子女史は、かつて「ダメなものはダメ」と、
消費税反対だけを掲げ選挙を戦ったものだった。これも「ならぬことはならぬもの」と同様、
問答無用のものだったが、こっちは「護憲・平和」をお題目に唱える「社会党」とか
「社民党」そのものが実は〝ダメなもの〟だったというオチなので、けっこう笑えた。

会津日新館の教えに似たものは薩摩藩の「郷中(ごちゅう)」にもあった。
郷中の掟にも、年長者を尊敬すること、負けるな、うそをつくな、
弱いものをいじめるな、などという守るべき条項があった。
そして何より卑怯、卑劣をいやしんだ。

殴る教育が悪いからといって、殴らぬ教育がいいとは云えない。
ああ、昔の教育はよかった。人権派などというわけのわからぬ連中が
幅を利かしていない時代はよかった。それが証拠に、人権派がはびこると、
日教組の親玉の民主党輿石幹事長みたいな悪相が出てくる。
あれが教育者の顔か? まるで手配写真みたいではないか。

文科省、日教組を粉砕して、昔の藩校のような学校をよみがえらせたい。
ボクは夢見るのだ。「廃藩置県」ではなく「廃県置藩」の世の中を。


←自刃した白虎隊の19名の少年たちも
この「日新館」で学んだ




6 件のコメント:

帰山人 さんのコメント...

労師、藩校で行っていたのは(道徳観も含めて)
教育というより研修だったのではないでしょうか…
私は(いわゆる)「学校教育」自体の必要性すら
疑いはじめています。
コーヒーハンターと話していると、
生産や品質の水準UPの為には「教育」が不可欠だ、
と言われますが、その不可欠も外の国からみた都合、
本当に国民が豊かで幸福かなんて関係無いかも…
いっそ、「廃藩廃県」して、応仁の乱以前から
やり直しましょうよ、そこに日本社会の基底がある。
生涯一度も殴りも殴られもしないまま死んでいく
国民国家、そんな不気味な国はイヤです(笑)。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

帰山人様

そう、志操を守らせるための
精神修養という側面が強いかもね。


しかし相変わらず凄いこと言うな。
応仁の乱以前に戻せ、とは。

たしかに日本文化の基礎は室町からだから、
そこからやり直すのも手だろうけど、
へたすりゃ「武士道」が生まれず、
「陰間道」なんて方向へ行っちゃったりして(笑)

ボクは遠慮するから、
閣下だけ応仁の乱へ戻ってください。
着いたらメールおねがい。

胡塞齋 さんのコメント...

昭和40年代だったと思うのですが、「犬が人を噛んでもニュースにはならないが人が犬をかんだらニュースになる」と言われていたことがあったような・・・当時、先生が生徒を殴ってもニュースにはなりませんでした。昭和45年頃、日本で初めて「先生をナイフで刺した中学生」を恥ずべきことに我が埼玉県が輩出し、全国的な大ニュースになりましたが、今日ではそんな話はニュースにならず、先生が生徒に向って馬鹿と言っただけでニュースになります。子供の頃、「先生の言うことを聴くんですよ!」と言われて育った上品な家庭のボクには、昨今の親たちの「先生はアテにならない」という姿勢は全く理解できません。(もっとも、先生に問題があるという意見を「全否定」はいたしませんが)

尚、廃県置藩、大賛成。そもそも荒川の向こう側とは、文化も人種も違うんですから、杓子定規にそれを同じ県だと言われてもねぇ・・・AFSではやっとその辺が整備され始めてきたので、現在の埼玉支部の管轄から新座市、和光市等が外れました(現在は東京練馬支部管轄)。つまり、文化圏による支部領域の設定が、蝸牛の如き歩みの中とはいえ、行われているのです。とは言え・・・本庄市、加須市とか、坂戸市、寄居町とかが未だに管轄なのは何故なんだろう・・・(笑)

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

胡塞齋様

今は先生や警官が痴漢するとニュースになるが、そのうち当たり前のようになって、見向きもされなくなるでしょう。

元剣道日本一のイケメン警官が、
女子高生に裸の写真を送らせたというニュースは、スポーツマン好きのボクにはいささかこたえたが、人間なんてあんなもの、という
認識をあらためて確認させてもらった。

胡塞齋さんもAFS埼玉支部長という
高~い地位におられるのだから、
くれぐれも女子留学生の尻なんぞを
さわらないように。

ボクのぷっくりした尻でよかったら、
いつでも貸しますから。

木蘭 さんのコメント...

こんばんは。木蘭です。

昨日はイザ!のブログにコメントをありがとうございました。

「嶋中労さん」

一瞬、しまふくろうを頭に描いてしまった私をお許し下さい(笑)


ここをのんびりと散策していましたら、
「主夫」という字に「あれ?」
ついで著書「おやじの世直し」に「おや?」

・・・私の本棚にありました、嶋中さんの本(笑)

新聞の新刊案内で見ておもしろそうと思い、
たぶん八重洲ブックセンターで購入したと記憶しています。

とっても共感。

「そうそう、その通り」とひとりうなづきながら読みました(^^)

本棚では今まで離ればなれになっていたから、
今夜から嶋中さんは夏彦さんの隣にしておきますね(笑)


どこに書き込んでいこうかと悩んだすえ、
私も法話の時に檀家さんたちにお話した「什の掟」のところにしました。

まったく関係のない内容でごめんなさいm(_ _)m

また遊びにきます(^^)/

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様

しまふくろうの嶋中です。

ボクの書いた駄本を買っていただいたなんて、
これも一つの縁なのでしょうね。

ボクは山本夏彦教の熱心な信者で、
夏彦翁にならって人間を2種類に分けております。「夏彦を好きな人」と「それ以外の人」
です。

木蘭さんは前者ですから、
たぶん頭のいい女性だと思います。

石井英夫さんと会ったというのも
また奇縁ですね。ボクは手紙を交わしている
だけで、まだ一度もお会いしたことがないのです。

いずれにしろ、夏彦翁と石井さんが好きな方
なら、間違いなくボクの仲間です。というわけで、これからもよろしくお願いします。

木蘭さんのブログ、「お気に入り」にいれておきます。また遊んでください。