昨日、彫刻みたいに〝濃(こゆ)い顔〟のSabrinaが遊びに来た。
サブリナという名前はオードリー・ヘップバーン主演の『麗しのサブリナ』で知られるが、
イギリスの詩人ミルトンの詩の中に出てくる川の妖精名がその由来なのだという。
さて妖精のような?彼女は来日10ヶ月目の、お茶目でフレンドリーなローマっ子。
歓迎の意を込め、例によってわが家の名物「特製棚卸し風キリタンポ鍋」という
濃ゆい料理でもてなしてあげた。
ご承知のように、わが家は典型的なアジア顔で、揃ってアンパンマンみたいに
まあるい顔をしている。その平べったい顔を真横にすると、ちょうどサブリナみたいに
細長く尖った顔になる。片や目と口が大きく、鼻は天にそそり立ち、顔に凹凸がある、
こなたすべてのパーツが小づくりで、煎餅みたいに平べったくメリハリがない。
同じ人類のはずなのに、どうしてこんなにも顔の造りが違うのか、
ボクは世にも珍しき濃ゆい顔を穴のあくほど見つめてしまった。
肝心のディナーだが、鍋に入れたのは骨付き鶏肉、鶏挽肉ベースの肉ボールに、
野菜はセリ、春菊などの青菜。各種キノコ類にキリタンポ、
そしてその他冷蔵庫内の余り物(だから〝棚卸し鍋〟なの)だ。
いつもならせっせと自家製キリタンポを作るのだが、今回はギックリ腰がまだ癒えず、
凝った料理はいっさい省略。横着して市販品で間に合わせた。
鍋の締めは中華麺にサトウの切り餅だ。
サブリナはイタリア人のくせにチーズが食べられず、
辛いものもいっさいだめ。チーズがダメだから、ピッツァなども
よく確認してから食べるという。また辛いものが食べられないのに
激辛の韓国にも行ってみたいという。行ったらたぶん餓死するだろう。
「お餅は食べられるだろ?」
「Si, 焼いたお餅なら、食べたことあります」
「お醤油と海苔をつけて食べたの?」
「No, 何もつけないで食べた。味はしなかった」
当たり前だ。
日本人はガイジンと見ると納豆とか梅干しをむりやり食べさせたがるけど、
彼らにしてみればいい迷惑で、粘りけのある餅も苦手というものが多い。
ところがサブリナは上手に箸を使い、ビョーンとのびる餅と必死に格闘していた。
サブリナは新大久保の外国人向けアパートで、アイルランド人の女性と
room shareをしている。ところがこのルームメイトが衛生観念ゼロのがさつな女で、
部屋は散らかし放題。おまけに「あんたはうるさい」などと暴言を吐くという。
それでも争いを避けたい彼女はひたすら「忍」の一字。
いまや同居人に家政婦みたいにこき使われているという。
以来10ヶ月、溜まりにたまったストレスは爆発寸前だ。
ワインの酔いが回るほどに饒舌になり、目や口や手の動きが激しくなってきた。
そして、いかにこの相方が酷薄な女であるか、身ぶりよろしく語り出した。
つらい話だが、そこはさすがにローマっ子だ。すべてを笑いに変えてしまう。
その表現の豊かなこと。爆笑に次ぐ爆笑で、食卓はたちまち笑いの渦に包まれた。
「今日は遊びに来てほんとうによかった。ここにもう1つの家族ができたんだもの」
そうだね、慣れない異国での暮らしはストレスが溜まるだろうし、
イタリアのお父さんお母さんも心配しているからね。
気分がふさぎがちになったらいつでもおいで。
また一緒に鍋でも囲んで大いに語り合おう。←この家には「鍋」しかないのか
「次に来る時はパジャマ持ってくる」とサブリナはいたずらっぽく笑った。
おじさんとしてはネグリジェのほうが嬉しいんだけど、まあそれはそれとして、
いつでも歓迎するよ、Ciao!
←まあるい顔と長い顔。
「わたし、実はまるい顔にあこがれてるの」
とサブリナ。気を利かせたつもりだろうが、
あんまり嬉しくない。
写真を撮る時のピースマークは、
日本の女の子の影響か。
うるさいことを言うようだが、わが家では娘たちに
撮影時のピースマークを厳禁している。
幼稚でバカっぽいからだ。
ただし、お客さまは別です。
サブリナという名前はオードリー・ヘップバーン主演の『麗しのサブリナ』で知られるが、
イギリスの詩人ミルトンの詩の中に出てくる川の妖精名がその由来なのだという。
さて妖精のような?彼女は来日10ヶ月目の、お茶目でフレンドリーなローマっ子。
歓迎の意を込め、例によってわが家の名物「特製棚卸し風キリタンポ鍋」という
濃ゆい料理でもてなしてあげた。
ご承知のように、わが家は典型的なアジア顔で、揃ってアンパンマンみたいに
まあるい顔をしている。その平べったい顔を真横にすると、ちょうどサブリナみたいに
細長く尖った顔になる。片や目と口が大きく、鼻は天にそそり立ち、顔に凹凸がある、
こなたすべてのパーツが小づくりで、煎餅みたいに平べったくメリハリがない。
同じ人類のはずなのに、どうしてこんなにも顔の造りが違うのか、
ボクは世にも珍しき濃ゆい顔を穴のあくほど見つめてしまった。
肝心のディナーだが、鍋に入れたのは骨付き鶏肉、鶏挽肉ベースの肉ボールに、
野菜はセリ、春菊などの青菜。各種キノコ類にキリタンポ、
そしてその他冷蔵庫内の余り物(だから〝棚卸し鍋〟なの)だ。
いつもならせっせと自家製キリタンポを作るのだが、今回はギックリ腰がまだ癒えず、
凝った料理はいっさい省略。横着して市販品で間に合わせた。
鍋の締めは中華麺にサトウの切り餅だ。
サブリナはイタリア人のくせにチーズが食べられず、
辛いものもいっさいだめ。チーズがダメだから、ピッツァなども
よく確認してから食べるという。また辛いものが食べられないのに
激辛の韓国にも行ってみたいという。行ったらたぶん餓死するだろう。
「お餅は食べられるだろ?」
「Si, 焼いたお餅なら、食べたことあります」
「お醤油と海苔をつけて食べたの?」
「No, 何もつけないで食べた。味はしなかった」
当たり前だ。
日本人はガイジンと見ると納豆とか梅干しをむりやり食べさせたがるけど、
彼らにしてみればいい迷惑で、粘りけのある餅も苦手というものが多い。
ところがサブリナは上手に箸を使い、ビョーンとのびる餅と必死に格闘していた。
サブリナは新大久保の外国人向けアパートで、アイルランド人の女性と
room shareをしている。ところがこのルームメイトが衛生観念ゼロのがさつな女で、
部屋は散らかし放題。おまけに「あんたはうるさい」などと暴言を吐くという。
それでも争いを避けたい彼女はひたすら「忍」の一字。
いまや同居人に家政婦みたいにこき使われているという。
以来10ヶ月、溜まりにたまったストレスは爆発寸前だ。
ワインの酔いが回るほどに饒舌になり、目や口や手の動きが激しくなってきた。
そして、いかにこの相方が酷薄な女であるか、身ぶりよろしく語り出した。
つらい話だが、そこはさすがにローマっ子だ。すべてを笑いに変えてしまう。
その表現の豊かなこと。爆笑に次ぐ爆笑で、食卓はたちまち笑いの渦に包まれた。
「今日は遊びに来てほんとうによかった。ここにもう1つの家族ができたんだもの」
そうだね、慣れない異国での暮らしはストレスが溜まるだろうし、
イタリアのお父さんお母さんも心配しているからね。
気分がふさぎがちになったらいつでもおいで。
また一緒に鍋でも囲んで大いに語り合おう。←この家には「鍋」しかないのか
「次に来る時はパジャマ持ってくる」とサブリナはいたずらっぽく笑った。
おじさんとしてはネグリジェのほうが嬉しいんだけど、まあそれはそれとして、
いつでも歓迎するよ、Ciao!
←まあるい顔と長い顔。
「わたし、実はまるい顔にあこがれてるの」
とサブリナ。気を利かせたつもりだろうが、
あんまり嬉しくない。
写真を撮る時のピースマークは、
日本の女の子の影響か。
うるさいことを言うようだが、わが家では娘たちに
撮影時のピースマークを厳禁している。
幼稚でバカっぽいからだ。
ただし、お客さまは別です。
14 件のコメント:
労様おはようございます。
先日は、労様のスーツ姿にシビレました。
チョー格好良かったです。
サブリナさんとってもお美しいですねえ
自慢ですが、私の妹も一応アジア人ですが、私にちっとも似ておらずキレイです。一緒に居たら、いつも友達に思われます。
nana様
美人は美人なんだろうけど、
「典型的な南イタリア人の顔」(女房の評)
ってことじゃないの。
われらアジア系はメリハリのない、
平坦な顔だけど、いちおう目も鼻も口も
あるし……(笑)。
立派なお鼻のサブリナには悔しまぎれに、
「鼻なんて息さえできればいいんだよ」
と言ってやったら、大笑いしてた。
nana様の妹さんはそんなに美人なんですか。
二人して〝びじょびじょ〟だと、
お父さんもさぞかし心配だろうね。
労様おはようございます。
ヒマすぎて、またメールしてしまいました。
中指と薬指を折るグアム流のピースはだめですか?日本流のよりバカっぽくなく大人もできますね。
今DVD見ながら黒糖パン作ってます。黒糖は鍋でキャラメルを作ってから入れますと、色が付きます。ヘルシーに大さじ1杯だけです。
元気になって、また気が向いたらプール行きまーす。
風邪ひき女神様
色っぽくないなァ。
昔から「目病み女に風邪ひき男」
といって、目を病んだ女性はひじょーに
色っぽいとされてるんだ。
風邪ひき女はブッブーです。
グァム流のピースもだめです。
やはり軽忽そのものでバカっぽい。
女神様はバカっぽいより色っぽい
生き方を選んでください。
早くよくなってね。
ROUさん、こんにちは。
近頃えらく物腰の柔らかいお話が多いように思いまする。
北は抜き打ちのように発射。
尼崎はあっけなく自害。
自・民の競り合いはほぼ予想通り。
まぁ、そんなもんだ、と予見されていたが故の余裕でありましょうか。
片や、引っ越し先の事務所の窓からは真っ白な富士山が見事に見えます。平和な風景です。
あ、そうそう、平和と言えば「ピースサイン」なんですが、基本敵を殲滅した勝者が力ずくでその地を平定して「平和=ピース」になった時に使うサインですよ。
勝者であることの誇示、「Victory」の「V」ですから。敗者にしてみれば屈辱的なサインなのですよ。全然「ピース」なサインだとは思えません。
チャーチルが「V」サインしたときは完全にドイツに対する「勝利」の意味だったし。
ガンジーさんやマリアテレサさん、最近ではスーチーさんなんかが「V」なんてやってるのを見たことはありませんし。(あるのかもしれませんけど)
最近は猫も杓子も写真というとやりますが、わたしゃ辟易しとります。
まぁ、どうでもいいですけど。
NICK様
物腰のやわらかいお話では不服ですか?
ご承知のように、もともとボクは穏やかな性格の紳士なのですよ。
その紳士を凶暴にさせるのは、
支那だとか朝鮮のおバカさんたちなのです。
ピースマークのご教示、アリガトさん。
あれ、いやだねえ。バカ丸出しって感じで。
激戦地だった沖縄やグァム、サイパンでも
日本人観光客はあれをやるからね。
ハワイは真珠湾のアリゾナ記念館の前でも
ピースマークで写真を撮ってる。
大バカ野郎ですよ、日本の若者たちは。
いやぁ、沖縄、グァム、サイパン、アリゾナ記念館の前でピースマークを出して写真を撮る若者、あながち大馬鹿ではないのかも。
We shall return!を実行していると思えば・・・
なわけないか。
失礼しました。
NICK様
そういうおバカなことを云う人は、
just fade awayしたほうがいいかも。
昨日まで外務省所管「キズナ強化プロジェクト」の生徒が6名、さいたま市界隈におりました。(労師のあたりはAFSの「行政区割り」が違うのですが、練馬管轄も7名いたはず) 最終日に「平和」について語った際、東チモールの生徒が「ボクが何故インドネシアと米国を憎まなくてはならないのかを考えてください。」という問題提起をしました。フィリピン南部からの生徒は「過去の問題を語るのは愚か。仮に大東亜戦争を語るなら、ボクが日本に来たこと自体が非国民的行為。」アフリカ系であり豪州からの生徒は「私の祖先は奴隷として狩られた立場。今の自分は平等の中で生きている」と・・・さて、海外の高校生はここまでの議論ができるのに、我が国の高校生はジャニーズとAKBしか語れないという事態は如何なものでしょう。ここに集った全ての人種の高校生達が皆美しく見えました。(全国に700名近くの生徒を受け入れたこのプロジェクトの様子は数日中にhttp://www.afs.or.jp/にアップされますのでご覧ください。)昨年までの東アジア青少年大交流計画の1/5の予算で行われたプロジェクトですが、今年で打ち切りになると思われます・・・
胡塞齋様
早い話、東チモールやフィリピンやアフリカ系
の人たちに比べ、日本の若者たちは平和すぎるからです。
生まれた時から豊かな生活で、身近に
悲惨な出来事がなく育てば、だれも
自分のアイデンティティなど気にならず、
もちろん世界の出来事など関心の外です。
現に、留学経験があり、外国人の友達の多い
わが娘たちにしても、AKBこそ関心がないものの、旅行だとか、食べ物の話だとか、
クリスマスの過ごし方くらいしか関心が
ありません。
ボクたちの生きてきた時代とは
その時代背景が違うのです。
「環境が人間を造る」とは
『ドイツ・イデオロギー』の科白でしたっけ。
ボクたちはそんな小難しい時代の
空気を吸って生きてきました。
平和な今の時代は、AKBで間に合ってしまうんです。ぱみゅぱみゅしていれば、
「おお、よしよし」と頭を撫でてくれるんです。
ボクたちもぱみゅぱみゅして、
みんなに愛される老人になりたいものです。
ROUさん、こんにちは。
「平和」とは誰しもが希求して止まないものではありますが、その状態に到達するためには「非平和」的な手段と、平和な時には決して流されない血という代償を払わねばなりません。
はたして、「平和」は求めるべきものなのでしょうか。
求めようと求めまいと、現実は常に「非平和」状態であるし、有史以来この世が「平和」であったという時期は一時たりともないのですから。
絵に描いた餅でお腹を膨らまそうとしているように思えてならんのです。
AKBの話しかできぬ若者の脳内構造(脳無い構造?)は嘆かわしくはありますが、論理の始まりが「真」であるかどうかの検証なしに、理論的に筋が通っているからという事で「平和を希求すること」が正しい、その認識を持つことが正しいと、果たして言えるのかどうか、私には実はよくわからんのです。
明るい希望を求めて日夜前進しているように思いますが、物理的に行く末を望むことは可能でも、未来という時間軸の先を望むことは不可能だとは思いませんか?
人は過去に顔を向け、それまでの経験を参考にしながら、いわば未来に背をむけて前進(?)しているのでは?これまでがこうであったから、多分これからもそうだろうと、見えない道の先に足を踏み出している。しかし、必ずしもそこは過去の経験則だけでは感知しえない「落とし穴」がある。だから「想定外」という言葉の使い方は間違っていないのですよ。
だから未来永劫、人類史に「平和」の二文字は到来しない。しかし、有史以来の「平和」を希求する気概も消滅はしない。
語る、意識するしかないんでしょうね、きっと。
まだ、Fade awayするには早すぎます。
NICK様
湖に浮かべたボートを漕ぐように
人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない
ポール・ヴァレリー
「平和」とは戦争の事前と事後にある
戦争の〝欠如状態〟――すなわち戦争を
していないというだけのこと、
と福田恆存は言ってます。
要するに単なる事実を示しているだけで、
何らかの価値を示しているわけではないのです。
以前、平和主義者が戦争を起こす、
というようなことを書きました。
パシフィストは多く〝無脳〟ですから、
これを単なる反語だと思ってしまいます。
平和、平和と唱えている人間は、
うすっぺらな無脳人間と見て
まず間違いないでしょう。
恥ずかしながら、ポール・ヴァレリーがそのようなことをおっしゃっていたとは存じませんでした。
なれど、小生の発想はこの点においてはヴァレリー並みということが図らずしもわかったというのは喜ばしい。
価値ではなく事実。
よーくわかります。
今回はためになりました。(いつもか?)
NICK様
無脳が無能ていどに改善された?
これからはもっと敬老精神をもって
ボクと接してね。
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