「国民総幸福Gross National Happiness」という言葉がある。
ブータンの第4代国王が提唱した理念で、簡単に言ってしまうと、
人間は物質的な富だけでは幸福になれない、というものだ。
国民総幸福という観点から実施された世界初の調査
(英国レイチェスター大学主催)によると、ブータン王国で
「あなたは今、幸せですか?」という質問をしたところ、
「非常に幸せ」が45%、「幸せ」が52%、「あまり幸せではない」が3%で、
世界全体での幸福度は第8位だったという。一方、日本はというと、
178カ国中の幸福度は90位、中国(82位)にも及ばなかった。
GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)は世界有数であっても、
幸せを感じていない日本人。世界最貧国の一つで、人口70万人にも
満たない小王国だけど、国民の97%が「幸せ」と考えているブータン人。
文明の発展とは何なのか、人間の幸せって何なのか。ブータン人の生き方は、
機械文明のただ中にいる我われに、さまざまな疑問を投げかけてくれる。
近・現代人は、産業革命以来、さまざまな機械を発明し、
便利で豊かな生活を追求してきた。が、時々立ち止まっては
「私たちは本当に幸せになったのだろうか?」と自らに問いかける。
そして『パパラギ』のたぐいを読んでは「感動した!」などと言い出すのである。
『パパラギ』はサモアの酋長がヨーロッパを旅し、
白人文明の矛盾をユーモラスに語った文明批評の書(フィクション)だ。
その要諦は、「メカニズムの進歩は人間の幸福とは何の関係もない」
というものである。つまりブータンの「国民総幸福」という理念も、
現代人をふと立ち止まらせる『パパラギ』の一種なのだ。
「少欲知足」「知足按分」と、ヒトが幸福になるためのヒントは、
いつだって用意されている。西洋にもHappiness consists in contentment.
(幸福は満足にあり)という諺がある。これらを実践すれば、今すぐにでも
幸せになれるというのに、もっとお金が欲しい、きれいなおべべを買いたい、
海外旅行に行きたい、美味しいものが食べたい、と欲望を次々とふくらませる。
そしてそれが叶わないと知ると、深い絶望感におそわれ、
「私はなんて不幸せなんだ」と首うなだれるのである。
ヒトは『パパラギ』に感動するが、それはあくまでポーズで、
南海の酋長の言葉を心底噛みしめ実践しようとはしない。
蛇口をひねればお湯が出てくるような生活から、非文明的な生活に
戻るなんてことは決してしないものなのだ。で、時々、思い出したように
「豊かにはなったけど、心の中はカサカサ……」などと呟いては、
癒しを求めて再び三度『パパラギ』をひもとくのである。
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