2010年4月6日火曜日

天保老人の繰り言

人間を2種類に分ける。これが人間理解の近道だ、
としたのは辛口コラムニストの山本夏彦である。
美人か不美人か、ノッポかチビか、捕まえる人か捕まる人か……。
夏彦の弟子を自任する僕も、もちろん師に倣っている。

見れる出れる、の「ら」抜き言葉を使う人か、そうでないか。
「愛する」という言葉を平気で口にする人か、そうでないか。
「地球にやさしい」などと言うエコ人間か、そうでないか。
ラーメンのために行列に並ぶ人か、そうでないか。
「肉ジャガ」をおふくろの味とありがたがる人か、そうでないか。
相田みつをの人生標語が好きな人か、そうでないか。
朝日新聞を愛読している人か、そうでないか……etc。

キリがないからやめるが、もちろん僕は後者の側で、
できれば残り少ない人生を、省エネの見地からも
後者のグループの中で心安らかに送りたいと思っている。
言葉は僕にとって生理そのものだから、
生理になじまないものは迷わず拒絶することにしている。

「私って、面食いじゃないですか~」
こんなふうに「じゃないですか~」を連発する人がけっこういる。
どこか押しつけがましい響きがある。僕は意地悪く、
「知らんがな、そんなもの」と突っ込みを入れたくなるのだが、
そこはぐっとガマンする。
「お友達とかに言われて、とりあえずそうかな、みたいな……」
「友達以外の人ってどんな人なの?」
「いえ、友達とかひとりなんですけど……」
「…………」

ああ、「ら」抜き言葉のない世界は美しかった。心地よかった。
できるなら美しい日本語を話す人々といっしょに暮らしたい。
奇妙な日本語を操る人たちは、自分に自信がないのか、
それとも心に傷を負うのが恐いのか、すべてを曖昧にぼかし、
「あたし、こう思うんだけど……」といった意思表示を極力避けようとする。
そのため、何が言いたいのかさっぱり伝わってこない。
癇癪持ちの僕などは、ついイライラしてしまう。

「でもお父さんとかも、けっこう曖昧に言うときがあるじゃん」
娘が上目づかいに反発したことがある。
「おまえのお父さんは『オトウサントカ』ではない。唯一無二のオトウサンだ!」
そう、天上天下唯我独尊の「オトウサン」なのだ、
な~んてムリに強がって、失笑トカ買ったりするみたいな~。

0 件のコメント: