和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を盗撮した『ザ・コーヴ』
が第82回アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞を受賞した。
イルカについては「カンガルー肉を考えるー」(1/10日付)
ですでに述べたとおりで、エスノセントリズム(自国文化中心主義)が
首をもたげてくるとロクなことにはならない、とあらためて思う。
映画の中には、海を赤く染める残酷シーンが登場するだけでなく、
イルカ肉が鯨肉と詐称して売られたり、肉は水銀に汚染されている、
といった事実(漁民たちは否定)も告発されているという。
この映画を見た中国人たちも、インターネット上で「日本人は残酷だ」
などと書き込みをしているらしい。これには笑った。
「あんたら中国人だけには言われたくないね!」
大人気ないかもしれないが、中国人の〝おぞましい美食〟
の伝統に想いを馳せると、つい憎まれ口の一つも叩きたくなってしまう。
A long time ago,斉の桓公のお抱え料理人に易牙という者があった。
年来の美食に飽きた桓公は、ある時、易牙を前に
「人の肉というのはどんな味がするものかのォ?」とふと呟く。
そこで桓公の意を察した易牙は幼いわが子の首を落とし、
蒸し焼きにして捧呈した、という実話である。
歌舞伎の『先代萩』みたいな話だ。
中国における「喫人」の歴史には筋金が入っている。
最も盛んだったのは唐代で、戦乱や飢餓による
やむにやまれぬ喫人もあったが、趣味や嗜好で
人を食べるという習慣も実は根強くあった。
市場では人肉は「両脚羊(2本足の羊)」などと呼ばれ、
鈎に吊され売られていた。『資治通鑑』には犬の肉よりも安かった
(狗肉が1斤500銭に対して人肉は100銭)との記述があるから、
味はそれほど上等ではなかったのだろう。
羊頭狗肉どころか「狗肉を掲げて人肉を売る」の図だ。
もっとも女性や子供、酔っぱらいなどはうまかったらしく、
酔っぱらいの肉などは粕漬けの豚肉と同じくらい美味だった、
との記述もあるから、いかにも食にこだわる中国人らしい。
黄巣の乱の時などは、人肉用の食肉工場まであって、
数百の臼で良民をギシギシと生きながら砕き、骨ごと食べたという。
「アンデスの聖餐」どころの話ではない。
喫人・食人の伝統は実は中国以外にもあって、
つい7年ほど前の話だが、アフリカはコンゴのピグミー族の代表が、
国連の先住民フォーラムの会場で、「どうか、われわれを食わないでくれ!」
と世界に向けて訴えたことがある。
コンゴ民主共和国では久しく内戦が続いていたが、その間、
森林地帯で狩猟生活を営んでいるピグミー族の人々は
「獲物」として狩られ、食用にされていたという。食べていたのは、
政府軍側と反政府軍側で、彼らに言わせると、矮軀のピグミー族は
とても人間とは思えず、「人間以下のモノ」だから食用にして当然なんだという。
また彼らはピグミー族の肉を食べれば不思議なパワーが授かる、
と信じていたらしい。
21世紀に入っても喫人が行われていた、という事実にまず驚くが、
食べた側にしてみれば、「これは昔からの伝統的な食文化なのだから、
ほっといてくれ!」という理屈なのかもしれない。
イルカやクジラを食べるのは日本民族の食文化なんだから、
外国人がとやかく言うな、というのと、これも同列の理屈なのかしら?
それともピグミー族は「イルカと同じ賢い動物?」なのだから、
食べてはかわいそう、ってか?
2 件のコメント:
中国の歴史はカニバリズムの歴史でもあります。「喫人」という言葉には味わいながら食べるというニュアンスがあるんです。『三国志』なんかにも劉備玄徳が落ちのびた折、村人がもてなすシーンがありますが、貧しいものだから女房を殺して、その肉でもてなすんですね。能の『鉢の木』には風情が感じられますが、人肉でもてなすっていうのはどうもね……あまりに猟奇的でいただけませんや。
匿名さま
たしかにそう。だから時の政権は「どうやったら人民を食べさせられるか」をまず考える。現共産党政権は、なんだかんだ言っても人民を飢えさせることなく、なんとか食わせている。これは中国の歴史始まって以来の快挙なんです。中国政府に対しては言いたいことはいっぱいあるけど、13億の人間を食べさせ、なおかつ経済大国に押し上げたという功績はもっと評価されてもいい。今後いろんなひずみが出てくるだろうけど、この半世紀はよくやったほうだと正直思います。
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