ボクの住む棟は15階建てのえんぴつビルで、2機のエレベーターによって東西(28戸ずつ)
に分かれている。ボクは西側の人間で、友人は概ね西側に集まっている。西側の住人から
すると東側は「奇人変人の巣窟」で、東側も西側の住人をそんなふうに思っている。
同じエレベーターを使っていれば、いつしか言葉を交わすようになり、
そのうち「お茶(or酒)でも飲みませんか」という話になる。しかし東側の住人はちがう。
顔を合わせるのはせいぜい棟の総会とか防災訓練の時などに限られ、
接触時間が短い分だけ自然と関係は疎遠になる。棟総会時に発言した片言隻句を
針小棒大にとらえられ「あいつの頭はおかしい」などという評判を立てられてしまう。
以前もふれたが、わが棟には「昔偉かったおじさん」がいっぱいいる。
いまは隠居の身だが、昔は有名一流企業で辣腕をふるっていたとか、
超有名大学で教鞭を執っていたとか、そこそこ名の通った会社を経営していたとか、
医者とか弁護士とか、それこそ高給取りだった人がいっぱいいるのである。
おまけに東大出が佃煮にするくらいウジャウジャいる。
努力して偉くなったのだから、それはそれで慶賀すべきことで、
文句のつけようなどないのだけれど、彼らがつい「上から目線」になりがちなのは
いただけない。おそらく現役時代に身についてしまった習性なのだろう。
が、すでに退職され、肩書きのないふつうのおじさんになったのだから、
威張ってばかりいないで、誰と会っても優しく微笑みかけるような
〝和顔施(わがんせ)〟の実践こそが求められる。
たとえば横柄な態度のAさん。噂では一部上場企業のお偉いさんだったと聞くけど、
ボクはあんたの家来じゃないし、あんたと利害関係があるワケじゃない。
だからせめてその説教くさい物言いを改めてもらえませんか?
陰ではみんなあんたのことを煙たがっているんですよ。
「昔偉かったおじさん」たちの活躍の場は団地総会や棟総会の場だ。
なかには六法全書を持ち込んで、管理組合規約の不備を執拗に追求するものもいる。
あるいは元建築設計家だったのだろう、大規模修繕工事の細目について、
愚にもつかぬ熱弁を延々とふるうものもある。
ハッキリ言いますが、ありがた迷惑なのである。
オトコという人種はまことに窮屈な生き物で、焼き場で「灰」になるまで、
「自分という人間はいかに衆に優れた人間であるか」ということを機会あるごとに
訴えかけたいという病癖を持っている。たとえ隠居の身であっても、
「おれみたいな才能ある人間は、こんな市井に埋もれていてはいけないんだ」
などと考えている。「◇△商事・元営業本部長」なんて名刺を持ち歩いている人も
いるらしい。おそらく〝元〟という一字に万感の思いを込めているのであろう。
「社畜」の身分から解放され、晴れて裸一貫になれたというのに、
哀れ社畜だった頃が懐かしいのか、「現役で海外を飛び回っていた頃はね……」
「バブル時には毎夜、銀座で豪遊してね……」などと、事あるごとに昔の武勇伝を
披露したがる。凡骨の身であるこっちは「ハァ、なるほど」などと適当に相槌を
打ってはいるが、なに半分も聞いちゃァいない。おじさんって奴は、ほんとうにめんどくせェ。
その点、おばさんはいい。「元ナントカ」なんていうややこしい名刺など出さないし、
自慢といえば、せいぜい息子や娘や孫を自慢するくらいで、実にたわいがない。
おじさんたちもこうしたおばさんたちの「身軽な生き方」を少しは学べばいいのに、
そんなことはオトコ(もう上がってるけどね)の沽券にかかわるとばかりに、傲然と胸を反らす。
おじさんという生き物は実に何とも可愛いげがない。
ボクが超有名企業の取締役だったりしたら、それこそ「元ナントカ」の名刺を出しかねないが、
幸か不幸か、そうした才覚に恵まれず、「ライター&ゴーストライター」などという
〝虚業・賤業〟の世界に身を沈めることになってしまった。
そのおかげなのか、上からでも下からでもない「ふつうの目線」を獲得することができ、
聞いたところでは、「Sさんって気取りがなく、ざっくばらんな性格でいいわよね」などという
評判を生んでいる。ボクは団地内のおばさんやおばあさんの間で、
絶大な人気を誇っているのである。←そんなもん、自慢になるか!
ああ、60年もオトコをやってるとほんとうに疲れる。
残された余生は、ぜひともオンナもしくはオンナもどきとして生きてゆきたい。
最近は主夫歴が長いせいか、おばさんたちとの立ち話も板についてきたし、
ダイコンや長ネギをぶらさげて歩いている姿が実にサマになってきた。
だんだん細胞が〝おばさん化〟しているのだろう。
こうなったら、ぜひとも白い割烹着姿の「オボちゃん」に分析をお願いし、
「〝おばさん化細胞〟もあります!」
と力強く宣言してもらいたい。←「理研」の本部は和光市だもんね
カフカの『変身』ではないが、そのうち
《ある朝目覚めたら、巨大なおばさんになっていた……》
なんて珍事が起きるかもしれない。
またまたハッキリ言っちゃうけど、おじさんはきらいだ。
はやく進化系のおばさんに脱皮して、屈託なく朗らかに生きてゆきたい。
生物学的な〝性〟を超越してしまったおばさんは偉大だ。
おばさんバンザイ!
に分かれている。ボクは西側の人間で、友人は概ね西側に集まっている。西側の住人から
すると東側は「奇人変人の巣窟」で、東側も西側の住人をそんなふうに思っている。
同じエレベーターを使っていれば、いつしか言葉を交わすようになり、
そのうち「お茶(or酒)でも飲みませんか」という話になる。しかし東側の住人はちがう。
顔を合わせるのはせいぜい棟の総会とか防災訓練の時などに限られ、
接触時間が短い分だけ自然と関係は疎遠になる。棟総会時に発言した片言隻句を
針小棒大にとらえられ「あいつの頭はおかしい」などという評判を立てられてしまう。
以前もふれたが、わが棟には「昔偉かったおじさん」がいっぱいいる。
いまは隠居の身だが、昔は有名一流企業で辣腕をふるっていたとか、
超有名大学で教鞭を執っていたとか、そこそこ名の通った会社を経営していたとか、
医者とか弁護士とか、それこそ高給取りだった人がいっぱいいるのである。
おまけに東大出が佃煮にするくらいウジャウジャいる。
努力して偉くなったのだから、それはそれで慶賀すべきことで、
文句のつけようなどないのだけれど、彼らがつい「上から目線」になりがちなのは
いただけない。おそらく現役時代に身についてしまった習性なのだろう。
が、すでに退職され、肩書きのないふつうのおじさんになったのだから、
威張ってばかりいないで、誰と会っても優しく微笑みかけるような
〝和顔施(わがんせ)〟の実践こそが求められる。
たとえば横柄な態度のAさん。噂では一部上場企業のお偉いさんだったと聞くけど、
ボクはあんたの家来じゃないし、あんたと利害関係があるワケじゃない。
だからせめてその説教くさい物言いを改めてもらえませんか?
陰ではみんなあんたのことを煙たがっているんですよ。
「昔偉かったおじさん」たちの活躍の場は団地総会や棟総会の場だ。
なかには六法全書を持ち込んで、管理組合規約の不備を執拗に追求するものもいる。
あるいは元建築設計家だったのだろう、大規模修繕工事の細目について、
愚にもつかぬ熱弁を延々とふるうものもある。
ハッキリ言いますが、ありがた迷惑なのである。
オトコという人種はまことに窮屈な生き物で、焼き場で「灰」になるまで、
「自分という人間はいかに衆に優れた人間であるか」ということを機会あるごとに
訴えかけたいという病癖を持っている。たとえ隠居の身であっても、
「おれみたいな才能ある人間は、こんな市井に埋もれていてはいけないんだ」
などと考えている。「◇△商事・元営業本部長」なんて名刺を持ち歩いている人も
いるらしい。おそらく〝元〟という一字に万感の思いを込めているのであろう。
「社畜」の身分から解放され、晴れて裸一貫になれたというのに、
哀れ社畜だった頃が懐かしいのか、「現役で海外を飛び回っていた頃はね……」
「バブル時には毎夜、銀座で豪遊してね……」などと、事あるごとに昔の武勇伝を
披露したがる。凡骨の身であるこっちは「ハァ、なるほど」などと適当に相槌を
打ってはいるが、なに半分も聞いちゃァいない。おじさんって奴は、ほんとうにめんどくせェ。
その点、おばさんはいい。「元ナントカ」なんていうややこしい名刺など出さないし、
自慢といえば、せいぜい息子や娘や孫を自慢するくらいで、実にたわいがない。
おじさんたちもこうしたおばさんたちの「身軽な生き方」を少しは学べばいいのに、
そんなことはオトコ(もう上がってるけどね)の沽券にかかわるとばかりに、傲然と胸を反らす。
おじさんという生き物は実に何とも可愛いげがない。
ボクが超有名企業の取締役だったりしたら、それこそ「元ナントカ」の名刺を出しかねないが、
幸か不幸か、そうした才覚に恵まれず、「ライター&ゴーストライター」などという
〝虚業・賤業〟の世界に身を沈めることになってしまった。
そのおかげなのか、上からでも下からでもない「ふつうの目線」を獲得することができ、
聞いたところでは、「Sさんって気取りがなく、ざっくばらんな性格でいいわよね」などという
評判を生んでいる。ボクは団地内のおばさんやおばあさんの間で、
絶大な人気を誇っているのである。←そんなもん、自慢になるか!
ああ、60年もオトコをやってるとほんとうに疲れる。
残された余生は、ぜひともオンナもしくはオンナもどきとして生きてゆきたい。
最近は主夫歴が長いせいか、おばさんたちとの立ち話も板についてきたし、
ダイコンや長ネギをぶらさげて歩いている姿が実にサマになってきた。
だんだん細胞が〝おばさん化〟しているのだろう。
こうなったら、ぜひとも白い割烹着姿の「オボちゃん」に分析をお願いし、
「〝おばさん化細胞〟もあります!」
と力強く宣言してもらいたい。←「理研」の本部は和光市だもんね
カフカの『変身』ではないが、そのうち
《ある朝目覚めたら、巨大なおばさんになっていた……》
なんて珍事が起きるかもしれない。
またまたハッキリ言っちゃうけど、おじさんはきらいだ。
はやく進化系のおばさんに脱皮して、屈託なく朗らかに生きてゆきたい。
生物学的な〝性〟を超越してしまったおばさんは偉大だ。
おばさんバンザイ!
8 件のコメント:
これはまた、某超一流有名高校~某超一流有名大学をご卒業された労師には御謙遜を・・・十分に「昔偉かったおじさん」であり且つ「今でも偉いジジィ」じゃぁないですか。
かくいう愚生も某超一流有名高校~某(後輩のおかげで)一流大学~某三流大学大学院という華麗なる学歴のもと、某二流上場企業(現存していない)に就職し、史上最年少で主任・係長の試験に合格し、将来を嘱望されつつ30歳で退職(自称「定年が30年早かっただけ」)後、約30年、世捨て人をやりつつ、所詮は「昔偉くなれる可能性があったおじさん」でございます。
相変わらずの毒言となりますが、所詮、ゲッキュウトリなんざぁ飼い犬で、首輪をかけられている時に自由を感じ、定年という死刑宣告を受けた後、生ける屍と化し、その腹いせに「昔偉かったおじさん」となってしまうのですな。
亡父には常々「オトコの価値なんざぁ葬式で本気の涙を流してくれるヤツが何人いるかでしか決まらねぇよ」と、なぜ、ニッキョーソのくせにこんなウヨクのような事ばかり言っていたのかは不明ですが、よく聞かされており、ハイパー親不孝者の愚生ですが、これだけは真実であろうと考えつつ、今後も死に場所探しの余生を続ける所存でございます。
迂塞齋様
月給取りは「首輪をかけられてる時に自由を感じる」という指摘は正しいですね。
彼らには縄で縛ってくれるご主人様が必要
なのかもしれません。
その点、迂塞齋さんとボクは共に30代で
サラリーマン生活におさらば。首輪が性に合わないタイプなのだとしみじみ思います。
「葬式」では空涙ばかり流しているインチキ
野郎であります。迂塞齋さんがくたばった時
に、どんな涙が出るのかわかりませんが、
とりあえずお先に逝ってください。確認してみますから。
嶋中労さま
おはようございます。
「昔偉かったおじさん」は田舎町の直売所でもいるのです。
俺は法律の中で生きて来たので・・・、常に役員会議の席で
規約・規定を持ちだして、あーだ、こーだと言うだけ言って
行動が伴わない人がいたのです。
本来、総会をもって役員の引き継ぎが終了するのですが任期
が3月31日と総会資料に記してあるからと、役員は二年任期と規約・規定にあるにも関わらず昨年役員を下りたのです。
そんな人も金にはせこく役員手当の2万円はしっかり受け取
りました。
日本は肩書が無いと人を認めないところが有ると感じていま
すのでこの様な事が起こるのではと想っています。
結びに、おばさんは好きですが野獣には痛い想いをしていま
すので・・・
季節の変り目です。お体をお大事になさってください。
田舎者様
おはようございます。
田舎者さんから紹介してもらった毎田周一
の『雑草のうた』の中に、こんな箴言が
あります。
☆人生観
世の中で一番大切なことはどういうことで
あるか。
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。
☆道徳
人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。
高慢な人は心の貧しい人なんでしょうね。
ボクは「権威」を認めますが、「権威主義」
ってやつは大きらいです。
おばさんは好きだけど野獣には痛い思い
をした?
この「野獣」とはどういう意味ですか?
嶋中労さま
こんにちは!
野獣とは、女を捨てた。女を忘れた。おばさんのことです。
ホテルマン時代のお客さまからの教えで
『人に噛みつくような言動をするおばさんは、野獣だよ。
速い話が女を捨てたんだよ。』ここから使うようになりました。
自分本位のおばさんは、いや野獣は直売所の組合員の中にも
いて年に数回噛みつかれます。
先程の「昔偉かったおじさん」の奥さんも野獣です。
お気を付け下さい。
田舎者様
よくわかりました。
「女を捨てた」というより「人間を捨てた」
という感じかな。
高慢チキな人間は、男でも女でもサイテー
です。高慢は無教養の証拠。
ボクが教養(教育ではない)のない人間をきらうのは、そういうことです。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)
捨てるほどの「女」の部分がもともと無い木蘭でございます。(笑)
裏山とお堂の間に高さ90㎝の壁があります。
長さは40m以上ありますが、
先日その壁の上に高さ1mの防獣網を張りました。
うちのシェパードが脱走しないようにです。
今日その壁に乗り、除草剤をまこうとしましたが、10㎝の幅を伝い歩くことができず、
あえなく落下。(>_<)
高さ90㎝しかありませんが、
前に膝を痛めていたので飛び降りている最中は不安でしたが膝は無事。
でも着地場所が悪く、10㎝くらいの段があったのでバランスを崩して着地後転倒。(-_-;)
右手親指のみの負傷ですみましたが~このように私の仕事の中にも「女」でない部分が
。(笑)
さらにまき割りなどもしますよ。(^_^;)
「女」じゃなくなっても「人間」を捨てさえしなけれなんとかまともに生きていけるものです。(笑)
うちにおいでになるある会社の社長さん。
やはり超一流大学を出て一流企業におられました。
引き抜かれたあと今はその会社の社長だっていうのに、
時々うちのペンキ塗りを手伝って下さるんですよ。(^_^;)
とても温厚で気さくな方です。
やはりその人のもともと持っている人間性なのでしょう。
だからしまふくろうさまも、
過去にどんなに立派な肩書があったとしても、
きっと今のように気さくさは変わらないものと思います。(*^^*)
歳を重ねるごとは外見や肩書は衰えたり無くなったりしますが、
磨かれた内面の輝きは決して失われるものではありません。
木蘭様
こんにちは。
あらまあ、壁から墜落ですか。
見たかったなァ(笑)。
薪割りも見たい。
エイ、ヤア、トォ……無念無想の境地になって、ひたすら薪を割る。これも修行ですね。
薪割りも修行、典座も修行、壁から落ちるのもたぶん修行でしょう(笑)。
今日も午前中、ひと泳ぎしてきました。
連休中ですから、芋を洗うようでした。
このプールには障害者の方が多く来られます。知的障害の方、あるいは片足のない人、
半身不随の人……生まれつき障害のある人は
ほんとうにお気の毒だけれど、嘆いてばかりいたって誰かが代わりを務めてくれるわけじゃありません。
これも天から与えられた修行だと思えば、
どうにかこうにか明るく生きていけると思うのですが、こんなのは健常者の勝手な寝言
でしょうかね。
ボクら悩める衆生は、悩んだりもがいたりしているうちが花で、死んでしまったら地獄の業火に焼かれるか、蓮の台にすわってボンヤリ永遠の命を生きるだけです。
どっちが面白いかといったら、
ああでもないこうでもないと、ない頭を絞って、悩みながら生きていくほうが断然面白い。この世は生きてる人の天下なんです。
木蘭さんも、ケガをしない程度に
壁から落ちたり、野壺に落ちたりして
修行に励んでくださいね。
草葉の陰から応援しております。
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