去る3日(土)、同じ棟に住むKさん(76)と南千住の「カフェ・バッハ」に行った。
Kさんは元は有楽町そごうデパートの店員で、外商部にいたこともあったのか、
大きな商談をまとめたこともあるという。今は隠居の身で悠々自適なのだが、
奥さんが10年ほど前から認知症を患ってしまったため、自由の利かない生活
を強いられている。今回のバッハ行きはちょっとした息抜きである。
実はKさんはボクと知り合う以前からバッハに通っていた。奥さんの妹さんが
バッハの目と鼻の先にある隣町の竜泉に嫁いでいるからだ。
嫁ぎ先は「目玉屋中道義眼製作所」というところで、剥製やテディベアーなど
ぬいぐるみの目玉をつくっている。日本でも数少ない珍しい業種だという。
コーヒーに関してはまったくの素人だが、Kさんは田口さんの著作『珈琲大全』を読んでいる。
『おいしさの方程式』も買って読んだという。その編集にボクが関わっていたなんて、
知る由もない。だいいち、棟の住人たちは、一部を除いてボクがどんな仕事をしているか
知らない。昼間から団地内をフラフラしているから、どこか〝怪しいおじさん〟だと
思われている。嶋中労というペンネームがあるなんて、もちろん知らない。
階下のメールボックスには「小林・河合(女房の旧姓。仕事はこの名でしている)・嶋中」とあるから、
おそらく同居人がいるのだろう、と思われているにちがいない。
車を義妹の家の近くに停め、ボクとKさんはバッハへと向かった。
吉原を抜け、山谷の「いろは会商店街」を抜け、マンモス交番を右折すればもうすぐだ。
シャッター通りと化したこの商店街は人通りが少なく、街おこしのために掲げられた
「あしたのジョー」のフラッグも悲しくはためくのみ。例によって、道の真ん中で
マグロのようにのびている男がいれば、車座になって酒盛りしているおっさんたちもいる。
慣れない人はこの光景にまず肝をつぶす。
バッハは盛況だった。というより店内にも店外にもウェイティングが出ていた。
ボクはこの店にかれこれ100回以上通っているが、客が店の外にまであふれ出し、
椅子に座って順番を待っている光景を見たのは初めてだ。
いくら連休中とはいえ、何事が起こったのかと思ってしまう。
御大の田口さんと奥方の文子さんもボクたち2人を温かく迎えてくれた。
「オペラ」という新作のケーキまでサービスしてくれた。
聞けばSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)会長職の任期を全うした田口さん、
近く喜寿を迎えるに当たって四国八十八ヵ所の札所巡りを敢行するのだという。
〝コーヒーの神様〟がお遍路さんになって霊場を巡るなんて想像だにしなかったから、
ボクにはちょっとした驚きだった。
バッハでは「ドンパチ・ゲイシャ・ナチュラル」もごちそうになった。
飲む前にKさんにちょっとした解説を加えてやったが、はたしてわかったのかどうか、
いきなり砂糖をドバッと加えて飲んでしまった。
それにしてもバッハの盛況ぶりは何なのだろう。
「いろは会商店街」の凋落ぶりとは対照的で、
山谷地区でこの店だけが誘蛾灯のように客を引き寄せている。
店の若いスタッフたちもどこか誇らしげだ。
山谷には名店が3つある。
コーヒーの「カフェ・バッハ」に飲み屋の「大林」と「丸千葉」である。
丸千葉などは午後2時の始業からもう店は満席である。
あいにく下戸のKさんをお連れするわけにはいかなかったが、
あの独特の雰囲気だけは味わわせてやりたかった。
←ドヤ街の住人もみな年をとった。
「あしたのジョー」で街おこしをしている
いろは会商店街。
Kさんは元は有楽町そごうデパートの店員で、外商部にいたこともあったのか、
大きな商談をまとめたこともあるという。今は隠居の身で悠々自適なのだが、
奥さんが10年ほど前から認知症を患ってしまったため、自由の利かない生活
を強いられている。今回のバッハ行きはちょっとした息抜きである。
実はKさんはボクと知り合う以前からバッハに通っていた。奥さんの妹さんが
バッハの目と鼻の先にある隣町の竜泉に嫁いでいるからだ。
嫁ぎ先は「目玉屋中道義眼製作所」というところで、剥製やテディベアーなど
ぬいぐるみの目玉をつくっている。日本でも数少ない珍しい業種だという。
コーヒーに関してはまったくの素人だが、Kさんは田口さんの著作『珈琲大全』を読んでいる。
『おいしさの方程式』も買って読んだという。その編集にボクが関わっていたなんて、
知る由もない。だいいち、棟の住人たちは、一部を除いてボクがどんな仕事をしているか
知らない。昼間から団地内をフラフラしているから、どこか〝怪しいおじさん〟だと
思われている。嶋中労というペンネームがあるなんて、もちろん知らない。
階下のメールボックスには「小林・河合(女房の旧姓。仕事はこの名でしている)・嶋中」とあるから、
おそらく同居人がいるのだろう、と思われているにちがいない。
車を義妹の家の近くに停め、ボクとKさんはバッハへと向かった。
吉原を抜け、山谷の「いろは会商店街」を抜け、マンモス交番を右折すればもうすぐだ。
シャッター通りと化したこの商店街は人通りが少なく、街おこしのために掲げられた
「あしたのジョー」のフラッグも悲しくはためくのみ。例によって、道の真ん中で
マグロのようにのびている男がいれば、車座になって酒盛りしているおっさんたちもいる。
慣れない人はこの光景にまず肝をつぶす。
バッハは盛況だった。というより店内にも店外にもウェイティングが出ていた。
ボクはこの店にかれこれ100回以上通っているが、客が店の外にまであふれ出し、
椅子に座って順番を待っている光景を見たのは初めてだ。
いくら連休中とはいえ、何事が起こったのかと思ってしまう。
御大の田口さんと奥方の文子さんもボクたち2人を温かく迎えてくれた。
「オペラ」という新作のケーキまでサービスしてくれた。
聞けばSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)会長職の任期を全うした田口さん、
近く喜寿を迎えるに当たって四国八十八ヵ所の札所巡りを敢行するのだという。
〝コーヒーの神様〟がお遍路さんになって霊場を巡るなんて想像だにしなかったから、
ボクにはちょっとした驚きだった。
バッハでは「ドンパチ・ゲイシャ・ナチュラル」もごちそうになった。
飲む前にKさんにちょっとした解説を加えてやったが、はたしてわかったのかどうか、
いきなり砂糖をドバッと加えて飲んでしまった。
それにしてもバッハの盛況ぶりは何なのだろう。
「いろは会商店街」の凋落ぶりとは対照的で、
山谷地区でこの店だけが誘蛾灯のように客を引き寄せている。
店の若いスタッフたちもどこか誇らしげだ。
山谷には名店が3つある。
コーヒーの「カフェ・バッハ」に飲み屋の「大林」と「丸千葉」である。
丸千葉などは午後2時の始業からもう店は満席である。
あいにく下戸のKさんをお連れするわけにはいかなかったが、
あの独特の雰囲気だけは味わわせてやりたかった。
←ドヤ街の住人もみな年をとった。
「あしたのジョー」で街おこしをしている
いろは会商店街。
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