2014年5月25日日曜日

書を捨てて「文楽」を見にゆこう

先日、柄にもなく女房といっしょに国立劇場で人形浄瑠璃「文楽」を鑑賞してきた。
天皇陛下もご覧になられたという七世竹本住大夫の引退公演(5/10~5/26)である。
ただしボクたちの観たのは第二部の『女殺油地獄』と『鳴響安宅新関』で、住大夫の
語る第一部ではない。

女房が文楽を観るのは初めて。ボクは大阪の国立文楽劇場でいっぺん観ているが、
どんな演目だったか忘れてしまった。ただ実に面白く、食い入るように見たのを憶えている。
初めて見たときは人形遣い(主遣い、左遣い、足遣い、黒衣)の存在がうっとうしく、
人形の動きに集中できなかったものだが、見ているうちに人形の動きだけが見えるように
なってくる。ふしぎな体験だった。

近松の『女殺油地獄』は歌舞伎などでもお馴染みだが、やくざな放蕩息子が金目当てに
殺人を犯すという、いわゆる〝処罰物〟で、実在の事件を元に書かれた演目だという。
殺す側も殺される側も、油まみれになって、右から左へ、左から右へツルリツルリと
滑るわ滑るわ。人形遣いも汗だくである。しかし、いかんせん話が暗すぎる。
その暗さを太棹三味線の重く物悲しい響きがいやでも増幅させる。
なんだか気が滅入ってくる。

『鳴響安宅新関』はいわゆる〝勧進帳の段〟で、義経をかばう弁慶と関主富樫との
息詰まる問答が見せ場である。大夫は弁慶が豊竹英大夫、富樫が竹本千歳大夫。
この二人の掛けあいが実になんともすさまじい。迫真の語りといっていい。

午後4時から延々4時間。腰痛持ちなもので、途中休憩を挟むとはいえ、座りっぱなしは
ちょっぴりこたえた。それでも、富樫と弁慶のやりとりは腰の痛みを忘れさせたほどだ。

「シテ篠懸(すずかけ)の因縁は?」
「これぞ九会曼荼羅(くえまんだら)を表す」
「黒き脚絆(きゃはん)は?」
「胎蔵界の黒色なり」
「八つ目の草鞋は?」
「八葉の蓮花を踏むに象(かたど)る」
「シテ山伏のいでたちは?」
「すなわちその身を不動明王の尊容に象るなり」
「出る入る息は?」
「阿吽(あうん)の二字」
                       (床本(台本のこと)より)

浄瑠璃の言葉はむずかしい。舞台の左右に字幕も出るのだが、
字幕ばかり追っていると肝心の「人形・太夫・三味線」が織りなす三位一体
パフォーマンスを楽しめない。初心者は鑑賞前に物語のあらすじや
主な登場人物を調べておくことが肝要だろう。

女房の友人で、月刊『文藝春秋』編集者だったH女史(現在フリーライター)は、
アラブ問題専門の敏腕記者だが、「文楽」にも詳しく、彼女から伝え聞いたところでは、
名人クラスであっても市営住宅のような質素な家に住んでいるという。
信じがたいような話だが、名もない連中の生活は推して知るべしだろう。

2年前、橋下徹・大阪市長が文楽協会への補助金見直しを打ち出した。
その時期のストレスがたまったのか、文楽界の最長老・竹本住大夫は脳梗塞で
倒れてしまった。そして懸命のリハビリの末、ようやく舞台復帰を果たした。
しかし寄る年波には勝てぬのか、今回の東京公演を限りに引退することになった。

大阪市の財政がきびしいのはわかる。が、そもそも「文楽」の興行収入だけでは
技芸員が〝食えない〟のだからしかたあるまい。
少しでも古典芸能という文化財を護っていく気があるのなら、補助金見直しなどという
ケチな料簡は捨て、力強く「保護します」と宣言してもらいたいものだ。
素人が見たって、文楽の洗練と奥深さは十二分にわかる。
世界に誇れるこのすばらしい伝統芸能を絶やしてはならない。




←『女殺油地獄』の一場面。流れる油に
足を取られながら与兵衛がお吉を刺す
クライマックス。主遣いは桐竹勘十郎







※ひとこと知識
「文楽」では人名にかぎり「太夫」を「大夫」と表記します。

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