ボクは生来の悪筆だ。わが文字ながら見ているといやになってくる。
筆勢が定まらず、その日の気分であっち行ったりこっち行ったり。
右肩上がりの文字を書く時もあれば、左肩上がりの時もある。
〝自己韜晦(とうかい)型〟と自分で呼んでいるのだが、要するに得体が知れない。
だから、手紙などもワープロだし、もちろん原稿はワープロで打つ。
せいぜいタイプアップした後の締めくくりに直筆の署名を入れるくらいだ。
一方、カミさんは達筆で、娘たちも書道では段持ちで、それも高段者だ。
ボクの兄弟もみな有段者で、ボクだけが金釘流で情けないような文字を書く。
とにかく生まれてこのかた、習い事というものをしたことがなく、学習塾とも無縁だった。
亡くなったカミさんの父親は書の達人で、そのまま掛け軸にしたいくらい巧かった。
若い頃は「ソロバン日本一」になった人でもあるから、たぶん人一倍努力家だったのだろう。
わが悪筆も噴飯ものだが、上には上があって、ときどき葉書を寄越してくれる
出版社勤務のMさんの字も世界遺産級にひどいものだ。
糸くずがからまった判じものみたいな文字で、ボクはMさんの葉書を見るたびに、
「この文字がどれだけ世の悪筆に悩む人々を慰め励ましていることか」
などと不謹慎なことを思い、ひとり笑ってしまう。
ボクたち夫婦の仲人をやってくれたI編集長の字も負けず劣らずひどかった。
何と言おう、地上から10センチほどのところをふわふわ浮いているような
目方のなさそうな文字で、当時、大日本印刷の植字工もI氏の原稿を判読できず、
ウソかまことか、後にI氏専門の文選工が養成されたと聞くから、
その悪筆ぶりは石原慎太郎並みにひどかったのだろう。
話変わって、男には「三種の神器」があるという。
腕時計と万年筆、ライターがそれである。
昔は腕時計はオメガ、万年筆はパーカー、ライターはロンソンだったというが、
今はそれぞれロレックス、モンブラン、ダンヒルなのだそうだ。
銀座のクラブなどに出没する金持ち連中には必需品なのだろうが、
貧乏人のボクにはまったく関係がない。腕時計はもう何年も前からしていないし、
禁煙したからライターも持たない。もっとも吸っていた頃は使い捨てライターの愛用者で、
生業(なりわい)までもが今も変わらぬ〝100円ライター〟だというのがちょっぴり悲しい。
ただ、ひとつだけ持っているものがある。モンブランの万年筆である。
「モンブランのマイスターシュテュック146」というもので、ワープロが出現するまでは
この万年筆で原稿を書きまくっていた。机の抽斗の奥に眠っていたモンブランを
引っ張り出したのはほんの気まぐれだ。が、せっかく日の目を見させてあげたのだからと、
一晩ぬるま湯に浸け、洗浄した。そして「ミッドナイトブルー(昔のブルーブラック)」の
インクをネットで購入、冬眠状態だった万年筆に息を吹き込んでみた。
文字はスラスラ書けた。ペン先の感覚が徐々に指先に蘇ってくる。
しかし悪筆は相変わらずで(当たり前だ)、モンブランで書けばたちまち弘法大師に
変身できるわけではない。それでもこのペンには何ともいえぬ温もりがある。
磨いたり撫でまわしているだけで、ついニヤついてしまう。
そして猛烈に原稿を書きまくっていた頃のことを思い出し、
ちょっとばかりおセンチになってしまう。あの頃はボクも若かった。
せっかく蘇らせたのだから、だれかに手紙を書きたくなった。
病院から退院した叔母に送ったら喜んでくれるだろうか。
それとも遠く離れた心の友に一筆したためてみようかしら。
原稿書きに追われ、時間泥棒に支配されている身の上で、
ふとそんなことを夢想してみた。
←ミミズののたくったようなボクの金釘流も、
こいつの幼稚な字よりは数段マシか。
頭の空虚さがそのまま字に表れている
筆勢が定まらず、その日の気分であっち行ったりこっち行ったり。
右肩上がりの文字を書く時もあれば、左肩上がりの時もある。
〝自己韜晦(とうかい)型〟と自分で呼んでいるのだが、要するに得体が知れない。
だから、手紙などもワープロだし、もちろん原稿はワープロで打つ。
せいぜいタイプアップした後の締めくくりに直筆の署名を入れるくらいだ。
一方、カミさんは達筆で、娘たちも書道では段持ちで、それも高段者だ。
ボクの兄弟もみな有段者で、ボクだけが金釘流で情けないような文字を書く。
とにかく生まれてこのかた、習い事というものをしたことがなく、学習塾とも無縁だった。
亡くなったカミさんの父親は書の達人で、そのまま掛け軸にしたいくらい巧かった。
若い頃は「ソロバン日本一」になった人でもあるから、たぶん人一倍努力家だったのだろう。
わが悪筆も噴飯ものだが、上には上があって、ときどき葉書を寄越してくれる
出版社勤務のMさんの字も世界遺産級にひどいものだ。
糸くずがからまった判じものみたいな文字で、ボクはMさんの葉書を見るたびに、
「この文字がどれだけ世の悪筆に悩む人々を慰め励ましていることか」
などと不謹慎なことを思い、ひとり笑ってしまう。
ボクたち夫婦の仲人をやってくれたI編集長の字も負けず劣らずひどかった。
何と言おう、地上から10センチほどのところをふわふわ浮いているような
目方のなさそうな文字で、当時、大日本印刷の植字工もI氏の原稿を判読できず、
ウソかまことか、後にI氏専門の文選工が養成されたと聞くから、
その悪筆ぶりは石原慎太郎並みにひどかったのだろう。
話変わって、男には「三種の神器」があるという。
腕時計と万年筆、ライターがそれである。
昔は腕時計はオメガ、万年筆はパーカー、ライターはロンソンだったというが、
今はそれぞれロレックス、モンブラン、ダンヒルなのだそうだ。
銀座のクラブなどに出没する金持ち連中には必需品なのだろうが、
貧乏人のボクにはまったく関係がない。腕時計はもう何年も前からしていないし、
禁煙したからライターも持たない。もっとも吸っていた頃は使い捨てライターの愛用者で、
生業(なりわい)までもが今も変わらぬ〝100円ライター〟だというのがちょっぴり悲しい。
ただ、ひとつだけ持っているものがある。モンブランの万年筆である。
「モンブランのマイスターシュテュック146」というもので、ワープロが出現するまでは
この万年筆で原稿を書きまくっていた。机の抽斗の奥に眠っていたモンブランを
引っ張り出したのはほんの気まぐれだ。が、せっかく日の目を見させてあげたのだからと、
一晩ぬるま湯に浸け、洗浄した。そして「ミッドナイトブルー(昔のブルーブラック)」の
インクをネットで購入、冬眠状態だった万年筆に息を吹き込んでみた。
文字はスラスラ書けた。ペン先の感覚が徐々に指先に蘇ってくる。
しかし悪筆は相変わらずで(当たり前だ)、モンブランで書けばたちまち弘法大師に
変身できるわけではない。それでもこのペンには何ともいえぬ温もりがある。
磨いたり撫でまわしているだけで、ついニヤついてしまう。
そして猛烈に原稿を書きまくっていた頃のことを思い出し、
ちょっとばかりおセンチになってしまう。あの頃はボクも若かった。
せっかく蘇らせたのだから、だれかに手紙を書きたくなった。
病院から退院した叔母に送ったら喜んでくれるだろうか。
それとも遠く離れた心の友に一筆したためてみようかしら。
原稿書きに追われ、時間泥棒に支配されている身の上で、
ふとそんなことを夢想してみた。
←ミミズののたくったようなボクの金釘流も、
こいつの幼稚な字よりは数段マシか。
頭の空虚さがそのまま字に表れている
6 件のコメント:
しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)
ここのところ草刈りを振り回す日々が続き、
手も足も筋肉痛になっている木蘭でございます。
あら。
私はしまふくろうさまの字が好きですよ。
石井英夫さんも、
私を見出して下さった産経新聞社のsさん(今は大阪代表)も、
とても特徴のある字を書かれます、(*^^*)
新撰組の近藤勇は殴り書き、
土方歳三は柔らかな女性のよう、
そんな字を書いていたそうです。
昔、井上有一という書家が次のように書きました。
きらいな字、だめな字-御安泰な字 悟り顔の字 しゃれた字 ヘタぶった字 線の目立つ字 動きの目立つ字
すきな字、いい字-オロオロした字 すったもんだ迷ってる字 気のきかぬ字 ヘタを意識しないヘタな字 線の目立たぬ字 動きの目立たぬ字
私も~悟り顔の字やしゃれた字は嫌いかも。(笑)
原稿が終わりましたら、
自筆のお便り、
お待ち申し上げております。(*^^*)
木蘭様
どうもありがとう。
参ったな(笑)。
わが金釘流のことを言われると、
何と言っていいのか……ひたすら恥ずかしい。
石井さんの字はたしかに個性的?かもね。
ボクの手紙のやりとりしたから、
その〝正体〟を見ております。
良寛さんは書家の書いた字をきらっていましたが、取り澄ましたような字はやはりボクの
好みではないですね。
ボクが自分の字を自己韜晦型というのは、
字を見てその人となりを判断されるのが
いやだったからです。
だから、敵?に尻尾をつかませないように
あっち行ったりこっち行ったり。
ヌエのような字を書くのです。
ボクは用心深い人間なのです。
木蘭さんは怖いお人だから、
やはり直筆で書くのははばかれますね。
「正体見たり枯れ尾花」では情けないもの。
原稿はあと1週間ほどで書き上がりそうです。
先生こんにちは♪
先日、お会いしたことのないある方に手紙を
書こうと思いつきまして、万年筆を引っ張り出しました。 何度も何度も書き直し、履歴書を書くような緊張感でした。
手紙は、友達にラフな感覚で出すのが一番気楽でイイです。
私も先生の字は好きですよ♪ おおらかな感じで。私も、もう一度自筆のお便り頂けたら嬉しいなあ
ななし様
そう、手紙は力まず背伸びせず、自分のありなままの姿を「どうぞ見てください」という感じで書くのがいいですね。
ですから、商業文の最初に書く《貴社益々ご盛栄のこととお慶び申し上げます》といった類の決まり文句は省きます。
いきなり「前略」とか「冠省」で始め、時候の挨拶みたいなものも省きます。すぐ本題に入ります。ラフな感じでいいのです。ただし相手をみて、礼を失しないように言葉には気をつけます。ラフといっても、そこは大人のたしなみで、マナーはしっかり守ります。
ななし様にもお便りですか。
家が50メートルしか離れていないのに?
棟が斜めに向き合っているのだから、
ベランダに出て大声で叫べば用は足せます。
ななし様の字もきれいですね。
清らかな心がそのまま文字に表れています。
婚活の合間にたまにはラブレターでもくださいな(笑)。
記事にある画像・・・今後は「福島蚯蚓穂(みみずほ)」と名乗るが良いぞ!ですなぁ。まさに、みみずの穂先・・・
と、言いながら、愚生も稀代の悪筆でございます。小学校5年生まで左利きだったのですが、それまでは「それなり」の字を書いておりました。鉄棒から落ち、左腕圧迫骨折の予後が悪く、3ヶ月ギプス生活で右手を使い続けた結果、何故か左で字が書けなくなった・・・要するに、小学校5年生で初めて字の書き方を覚えたのです・・やはり「読み・書き・算盤」は遅く始めてはいけないのですな。(どーでもよいオハナシでした)
言霊師様
おはようございます。
言霊師様が幼少のみぎり、左利きだったとは
知りませんでした。そのまま何事もなければ
「左党」でいられましたのに(笑)。
言霊師様の直筆はいまだ拝見しておりません
ので、その悪筆ぶりがどのようなものか想像
できませぬが、大兄のことですから、
すさまじいほどの悪筆なのでしょうね。
でも〝みみず穂〟よりは数段マシでしょうから大丈夫、生きていけます。
こんど、直筆のラブレターがいただけたら、
望外の喜びであります。
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