2012年6月22日金曜日

反戦詩なんかじゃない

   ああ、弟よ、君を泣く、
   君死にたまふことなかれ。

与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』は反戦詩として知られているが、
山本夏彦は、
反戦詩なんかじゃない。日教組が故意か無知でこれを反戦詩に仕立てたのである
と言っている。

晶子が呼びかけている弟は、2つ下の弟籌三郎(ちゅうざぶろう)で、
当時大阪の歩兵第8聯隊に所属し、旅順攻略に参加していた。
与謝野家は大阪・堺の老舗の和菓子屋で、弟は大事な家の跡継ぎ
(長兄が大学教授になり、次兄は夭折。3男が父宗七の名を継ぐことになった)。
だから、ああ、弟よ、死ぬことはないんだよ。お前は士族じゃない、
堺の商人の子じゃないか、と晶子は呼びかけたのである。

日清日露の戦役まで、一般庶民には戦争は士族がするもの、という認識があった
だから与謝野鉄幹は平気で雑誌『明星』に掲載したし発禁にもならなかった。
《昭和の戦争観とは全く違うのに、わざと誤解して、それが本当として通用する
ように日教組がしたのである。古人は今日の目をもって昨日を論ずるなかれ、
と言っている》(夏彦)

従軍慰安婦問題もそれと同じ。結論から言ってしまえば、軍は強制していないし、
連行もしていない。昭和33年まで公娼は官許だったという事実を忘れてはならない
戦前は貧しかったから娘を売る親がいた。そんな娘たちが女衒や桂庵のたぐいに集められ、
外地へ向かったのである。外地は内地より高給だったから、誘えば行くものがいくらでもいた。

朝鮮半島の娘たち(当時は日本人)も日本人同様貧しく、満州へ北支へ行かないかと誘うと
応募が引きも切らなかった。応募者がいくらでもあるのに強制連行する必要がどこにある。
半島の娘たちは、多額の前渡金と日々の手当を親元へ送った。
東北の貧しい親元へ、身体で稼ぎ送金した日本の娘たちとまったく同じである。

韓国済州島で「自ら慰安婦狩りをした」と吉田清治と称する男が証言したことがあるが、
それがまったくのでたらめであったことは、秦郁彦千葉大教授の『現代史の争点』
(文春文庫)の中で証明されている。まさに「一犬虚に吠ゆれば万犬声を吠ゆ」そのもの。
1人がいいかげんなことを言い出すと、世間はそれを真実と思って広めてしまう。

日本軍は他国の軍隊みたいに売笑婦を現地調達しなかった。
現地に迷惑をかけまいとしたから、というときれいごとに聞こえようが、
それは事実だ。アメリカ軍はどうか。アメリカ本土には腐るほど売笑婦がいるのに
戦地へは連れて行かなかった。ハナから慰安所を作らせ、
現地調達(自由恋愛だ、と彼らは言う)すればいい、という考え方だったからだ。
この考え方が当時はふつうだった。

現に昭和20年9月8日、アメリカ占領軍の第一騎兵師団が焼け野原の銀座に進駐してくるや、
和光や松屋はPXになり、松坂屋はB1~B3まで「オアシス・オブ・ギンザ」という慰安所
にさせられた。ここで400人の大和撫子が表向きダンサーの名で身を売ったのである。

執拗に慰安婦問題を持ち出す韓国なんかもっとひどい
ベトナム戦争時は勇猛なタイガー部隊として恐れられたが、
その勇猛さは残酷さの謂いでもあった。
兵士たちは貪婪な餓狗のように現地女性を強姦し、
多数の混血児を置き去りにした。その数およそ1万人。
日本の兵隊と比べ、いったいどっちが「非人道的」なのか。

どこの国の軍隊も〝下半身問題〟を抱えている。この〝慰安所〟という必要悪がないと、
どの国の兵士も強姦略奪をほしいままにしてしまう。明日をも知れぬ戦場では、
本能のなせる業か(子孫を残さなくてはいけないという本能か)、無性に女を抱きたくなるという。
悲しいかな、それが現実だ。

だから軍隊同士で〝臍下三寸〟は暗黙の了解事項になっているのに、
韓国はことさら天下に公言し、日本の戦争責任問題をまぜかえそうとしている。
軍が民間人に任せて商売をさせ、応募するものがいくらでもいたのに、
なにゆえ強制連行しなくてはいけないのだ。するわけがないではないか。

そもそも「日帝36年」(←韓国人の決まり文句)において、朝鮮は日本だった。
日本政府は李氏朝鮮において公然と行われていた16歳未満の妓生(キーセン)を禁止し、
売買の対象だった奴婢(ぬひ)を廃止している。そして戸籍制度を整備し、
半島全土の法秩序を日本と同じにした。つまり、日本の東京や大阪、
秋田新潟で日本政府が多くの少女を強制連行できないのと同じように、
ソウルでもプサンでもチェジュ島でも強制連行などできるはずがないのだ。

夏彦は言う。
《〝強制連行〟ならソ連が本家で、60万人あまりの日本人兵士をシベリアへ
強制連行して過酷な労働を強い、6万人以上を死なせた。ソ連は詫びたか? 
わが新聞は補償せよというキャンペーンをしたか?》

何度でも言う。
今日の目をもって昨日を論ずるなかれ。


←1950年代までの韓国では、
男の子を産んだ女性は「乳出しチョゴリ」を
着ていた。「私は男の子を産んだんだよ、すごいでしょ?
自慢だったらしい。韓国歴史ドラマではもちろん乳出し
は御法度だ

2 件のコメント:

Nick's Bar さんのコメント...

ROUさん、

こんにちは。


この辺の話になりますと、紙面が足りなくなりますので、一言のみ。

「勝てば官軍」

終わり。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

歴史とは勝者の歴史ですからね。
「勝てば官軍」に勝る言葉はありません。

今日の価値観で過去を測るな。
少女たちが女衒に買われ、
春をひさぐというのは実に哀れです。

でも、当時の日本は貧しく、
人権も男女平等思想もありませんでした。

今の若い人たちは、
そうした歴史的事実を一切無視して、
「かわいそう」だとか「女性蔑視だ」とか、
言い出す。

また公娼制度や畜妾は野蛮だ、
女をバカにしているなどとも言う。
すべて現在の価値観で判断しているのです。

戦争に正義などないし、
義戦などというものは存在しません。

きれいごとでは済まない数々の歴史的事実。
歳を重ねるというのは、そうした
身も蓋もない事実に、目をそむけることなく
向き合っていくことだと思います。