2012年6月12日火曜日

風雅な食事

わが家ではカミさんの言葉が絶対で、娘2人も〝カミの声〟として素直に聞き入れる。
「なに、その行儀のわるい食べ方は。米粒がいっぱい残ってるでしょ」
カミさんの叱声が飛ぶと、娘たち(とボク)は慌てて茶碗の米粒を箸でつまむ。
わが家には「米粒を一粒でも残すと目がつぶれる」という古い教えがいまだに生きている。

食前食後の「いただきます」「ごちそうさまでした」は英語などの外国語に翻訳しにくい、
とよくいわれるが、日本のアニメに英語の字幕がつく場合は、「いただきます」は
Thank youとかI'm eatingなどと訳されるという。
『吾輩は猫である』が『I Am a Cat』と訳されるのと同じようなもので、なんだかピンと来ない。

外国でのホームステイ経験のある娘たちに聞いても、食事のたびに祈りを捧げている家は
まれで、一般的には無言で食べ始め、食べ終わっても無言だという。

モンスターペアレントが新聞紙上をにぎわしていた頃、こんな〝事件〟があった。
「給食時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費は
ちゃんと払ってるんだから……」
そう学校に申し入れた母親がいたというのである。

この母親は「いただきます」という感謝の言葉が「学校」に向けたものだと思い込んでいる。
もちろんそれは間違いで、「いただきます」は「あなたの命をいただきます」の意だ。
人は生きるために動植物の殺生を余儀なくされる。われわれを生かすために死んでいって
くれた動植物に対して感謝の気持ちを表す言葉がこの「いただきます」で、キリスト教徒が
神に食事を感謝するのとは性質が異なっている。

米粒は一粒たりとも残さず食べろ、という古来からの教えは、もちろん生産してくれた
農家への感謝の気持ちもあるが、神聖なお米は神からの賜り物、とする古神道的な
価値観が大きい。「給食費を払ってるんだから」とする若い母親の出現は、現代日本人が、
食物に対する感謝の念をいかに失いかけているか、の証左ともいえる。

現在、「いただきます」「ごちそうさまでした」は手を合わせて唱えるだけの簡単なもの
でしかないが、昔(といってもずっとずっと昔だが)はちがった。物の本によれば、
本来は一拝一拍手の後に和歌を詠み、続けて「いただきます」もしくは
「ごちそうさまでした」と唱えるのが作法だったという。まさに風流そのものだが、
なかなかメシにありつけないとなると、せっかちなわが家の家風には馴染みそうにない。

ちなみに食前の和歌は、
たなつもの百(もも)の木草(きぐさ)も天照す日の大神のめぐみえてこそ

食後の和歌は、
朝よひに物くふごとに豊受(とようけ)の神のめぐみを思へ世の人



風雅の道を愛する皆さま、またご用とお急ぎでない方々は、
食前食後にぜひとも和歌を詠んでいただきたい。
たとえ目刺しと香の物だけの簡素な食事であっても、
きっと雅趣に富んだ正餐のように思えるでしょう。





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