2012年6月8日金曜日

暑い夏

団地内に懇意にしてもらっているOさんという老夫婦がいる。
二人の年齢を足すとおよそ180歳。まだまだ元気だが、
転倒したり軽い肺炎に罹ったりで、何かと病院通いが欠かせない。
で、ヘルパーのお世話になっているのだが、ときどきボクも買い物
の代行をやったりしている。

お二人は大正教養主義の洗礼を受けた最後の生き残りみたいな存在で、
その篤学の精神にはほんとうに頭が下がる。齢90を超えても
向学心は少しも衰えを見せないのである。

ロシアの貴婦人のような白皙の奥方は、世が世なら五千石の大身旗本のお姫様。
祖父は若き日の田山花袋や島崎藤村の世話をし、樋口一葉とも交流のあった戸川残花で、
伯母の達子は勝海舟の孫と結婚している。

江戸の屋敷だったところは築地の「新喜楽」(芥川賞・直木賞の選考が行われる場所として
知られる。吉兆、金田中と並ぶ日本三大料亭のひとつ)がある場所で、維新後は接収されて
大隈重信邸となり、伊藤博文や井上馨などが入りびたり〝築地の梁山泊〟などと呼ばれた。

Oさんには娘が2人いたが、下の娘を10年前に亡くしてしまった。
母親似の超のつく美人で、ボクたち夫婦とも仲が良かったのだが、
突然の発病でこの世を去ってしまった。
二人の嘆きようは言葉に言い表せないほどのものだった。
子が親に先立つ逆縁がどれほど切なく絶望的なものか、
悲しみを必死にこらえるOさん夫妻を間近に見て、ボクは心底思い知った。

愛娘を失ったOさん夫妻の余生は、まるで抜け殻みたいだ。
手当たり次第本を読みあさっているのは、たぶん悲しみから逃れたいがためだろう。
そんなOさん夫妻にボクは2冊の本を薦めたいのだが、言い出しかねている。
タイトルは『「平穏死」のすすめ』と『大往生したけりゃ医療とかかわるな』だ。

前者は去年、母が幽明界をさまよっている時に読んだ本で、
どうやったら美しく死ねるかが書いてある。後者は「医者よ、薬よ、病院よ」と、
大騒ぎなどせず、老いに寄り添い、病に連れ添う。年寄りが楽に生きる王道は
それしかない、と説く。2冊とも、とてもいい本である。
でもタイトルがタイトルだけに、お年寄りに薦めるのがむつかしい。

父も母も、病院のベッドの上で、鼻といわず口といわず、身体中に管をつけられ、
点滴と酸素吸入、経管栄養でむりやり生かされていた。
延命治療はしないでくれと一札入れたにもかかわらず、
自然の摂理に逆行するような医療行為が平然と行われている。

病院に見舞えば誰でも気づくことだが、日本の終末期医療の現場はちょっと変なのだ。
そこには〝死に時〟を逸し、だらだらと生かされ続けている悲惨な老人たちの群れが
病床にうごめいているばかりで、人間の尊厳なんてものは脇に置かれてしまっている。
死にたくとも死なせてくれない。自然死を阻もうとする医療現場――どこかが決定的に
まちがっている。

今月はブラックフォーマルの出番が続く。
亡母の一周忌と叔母の七十七日忌があるのだ。
母にはかわいそうな死なせ方をしてしまったという負い目がある。
それは口には出さぬが兄弟が等しく感じているもので、
思い出すたびに後悔の念にさいなまれる。



今年の夏も暑くなりそうだ。



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