2012年2月17日金曜日

分際知らぬ芸ノー人

芸能人が「芸人」と呼ばれていた時代はよかった。
芸が光っていた。さすが、と唸らせるものがあった。

錦着て畳の上の乞食かな――戦前、世間は芸人を見くだしていた。
というより、素人と玄人、芸人と堅気が劃然と区別されていた。
だから千両とっても役者は乞食で、その千両は別物にした。

藤山寛美や勝新はその芸人魂のあった最後の人で、
稼いだ金はあぶく銭だといわんばかりに豪遊散財した。
貯金する輩は芸人の風上にもおけぬヤツ、と軽蔑した。

貯金をするとそれは次第にふつうの金、堅気の金に似てくる。
その金でアパートを建て、家賃を取り、料理屋を経営する。
世間には、長く修業しても自分の店を持てない板前がいる。
あぶく銭で店を持ったら、そうした堅気衆に申し訳が立たぬだろう、と。

寛美の懐古談。
「あっ、寛美だ」と子が指さした時、
およし、指が腐る」と
その手を払った母親がいたという。
芸人は長い間、こういう扱いを受けてきた。

淡谷のり子などは「遊藝稼人(かせぎにん)
という鑑札をもらい舞台に立っていた。
昭和15年まで芸人は1等から8等までの遊藝稼人だった。

だからといって、差別していたわけではない、区別していた。
世間は芸人の芸を愛し、芸人の側も芸は誇っても尊大さは微塵もなかった。
互いに分際をわきまえていたのである。

しかし戦後民主主義の時代になると、芸人は芸能人と呼び換えられた。
そしていつしか芸術家気取りのおっちょこちょいが出てくるようになった。
ジャーナリズムが持ち上げるので、「おれはひとかどの人物ではないのか」
と錯覚するものも続出した。次第に芸能人から〝才能〟が消え、
「芸ノー人」へと転落していった。

えんぴつ無頼の竹中労はかつて〝芸能界のドン〟と呼ばれた時期があった。
美空ひばりも錦之助も労さんがえんぴつ一本で育てあげた。
労さんは一目も二目も置かれた。あげくにひばりのお袋に向かって
「このクソ婆ァ!」とやってしまった。すっぱり縁を切られた。
「何とかしてこいつに天下をとらせたいと思っちゃう、ご先祖竹中半兵衛以来の
悪癖か……」(『芸能人別帳』)と労さんは苦笑い。

その労さんの威風に恐れをなした映画撮影所にはこんな立て札が。
「竹中労、右の者の立ち入りを禁ず」
「犬と中国人は芝生に入るべからず」よりは数段ましか。

しかし海千山千の労さん、痛痒を感じるどころかひと言。
「おれは右の者じゃない、左の方の者だからって入っちゃった(笑)」


←最後の〝芸人〟のひとり、藤山寛美

6 件のコメント:

帰山人 さんのコメント...

「おれは右の者じゃない」とは言えない労師、
誕生日おめでとうございます。
「嶋中労、右の者の本立ち読みを禁ず」
労師の横風に畏れをなして書店にこんな札、立てましょうか?
そして、芸人もけっこうですが、
鯨飲は避けてくださいよ、労師。
何?今日は優し過ぎる?
まぁ、ますます左右を弁別すべからざる状況下、
六十耳順をしつけはじめるに、最初は優しくいきます。
おーよしよし、長生きするんだよ。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

帰山人様

50になった時はショックだった。
もうだめかと思った。
《年つもって五十の翁》
なんて言葉もあるしね。

で、こんどは60だ。
『船頭さん』という童謡に、
♪村の渡しの船頭さんは
今年六十のお爺さん……ときたもんだ。

ガキの頃、こんな歌を唄ってたな。
よく憶えてるよ。遠い世界だと思っていたら、
いつの間にか自分が船頭さんになっちまった。

「珈琲漫考」は相変わらず冴えまくってるね。「狂気のゲイシャ」は実によかった。

今日はちょっぴり優しくいきますよ。
おーよしよし、長生きしてせいぜい
世にはばかるんだよ。

Nick's Bar さんのコメント...

ROUさん、

こんにちは。

無駄なことは言いますまい。

お誕生日、おめでとうございます。

以上。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

余計なことは言いますまい。

ご丁寧に、ありがとうございます。

胡塞齋 さんのコメント...

ついに師匠も鬼籍に・・・あわわわ・・・還暦になられましたか。めでたくもありめでたくもなし。
さて、ある噺家さんがインタビュアーに「芸能人」と言われて応えました。「オレには脳はねぇよ」。で、困ったインタビュアーは「芸術家」と言い換えたところ「オレ『術』は使わねぇよ。芸を売ってるだけのゲイニンさ。」・・・なんと格好良い・・・

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

胡塞齋様


そいつは三遊亭圓生師匠だね。
《私は芸人で、芸術家なんてもんじゃありません。別に術は使いませんから……》
と言ったらしい。


今は名刺に「詩人なにがし」とか
「作家なにがし」と刷る人間がいるとか。

こんなものは堅気の商売じゃないのだから、
内心忸怩たるものがないとね。
ただのヤボ天になっちまう。

時代も変わったもんだ。