2011年7月22日金曜日

短調の消えた時代

若い頃、チャーリー・パーカーやアート・ペッパーに魅せられ、
アルトサックスを衝動買いしてしまったことがある。

このサキソフォンという楽器、敵性語だからと横文字が禁じられた
先の大戦中は、「金属製先曲がり音響音出し器」などと呼ばれていた、
と淡谷のり子の回顧談にある。ピアノを「洋琴」、ヴァイオリンは「提琴」
と呼び直していた時代の話で、よく知られているところでは、
野球のストライクを「よし1本」、三振アウトを「それまで」なんて言っていた。

「こんなマンガみたいなことをやってるから、勝てる戦争にみすみす負けちまうんだよ…」
と、腹いせまぎれに思ってしまうが、まァ、いかんせん日本人の料簡が狭すぎた。

反骨精神のかたまりのような淡谷は、
「そんなややこしい呼び方ができるか」
とばかりに、サックス奏者に向かって
「おい、そこの尺八ッ!」などと呼びすてにしていたという。

淡谷は〝ブルースの女王〟と呼ばれ、満州などの外地へよく慰問に行った。
しかしヒット作の『別れのブルース』や『雨のブルース』などのレコードは
すでに発禁処分を食らっていて、舞台上では絶対歌ってはならぬ、
と当局からきつく申しわたされていた。歌の内容がおセンチすぎて、
国民や兵士の士気を鼓舞するには甚だ不向きだ、というのである。

しかし明日をも知れぬ最前線にあっては、兵士たちは勇ましい軍歌など
聴きたくなかったし歌いたくもなかった。現に兵士たちのリクエストは
哀愁あふれる歌謡曲やブルースばかりで、そんな時は憲兵や将校たちも
気を利かし、ホールからそっと出ていってくれたという。
そして彼らもまた、舞台の袖からのぞき見ながら涙を流していた。

アメリカの「9.11同時多発テロ」の1周忌に行われた追悼式典では、
モーツァルトのニ短調『レクイエム』が演奏された。
モーツァルトの遺作とされるミサ曲で、死者を悼むにこれほどふさわしい曲はない。
人々の深い悲しみを癒すことができるのは、快活で明るい長調の曲より
悲哀に満ちた短調の楽曲のほうがふさわしいのだ。

我らが幼き時代に流行った哀調を帯びた童謡や小学唱歌、それに子守唄は
どれもみな短調だ。ところが今や、テレビなどから流される曲の大半が長調で、
赤ん坊でさえも昔の子守唄をきかせると、眠るどころかむずかるという。

短調の消えた時代というのは、果たしてよい時代なのだろうか。
物悲しい短調の曲が街角に流れている時代のほうが、
気分が前向きで健康的なのではなかろうか。
なぜか、そんな気がしてならないのである。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

勞さん: この歳ですと何と言っても短調の
調べですね! ただ、外国へ何かを発信するには長調でないといけません。長調で育った若い人たちに大いに期待します! 

昔ドイツの或る町に日本人が経営していた
ナイトクラブ風の飲み屋があり、ヨーロッパの女性がホステスとして侍っていました。お客さんは100%近く日本人で日本の歌謡曲がBGMとして流れていましたがこの日本の歌謡曲がヨーロッパの御嬢さん方に不評でした。あまりにも暗すぎて、陰々・滅滅なんだそうです。”じゃどんな歌が好いのか”と聞いたら教えてくれたのがその頃ヨーロッパで流行っていた曲でGeroge McCraeの"Rock Your Baby"で"Women,take me in your arms, rock your baby"。歌詞に女が出てきますが実に明るい感じで、人種が違うとこんなにも感性が違うものかと感心しました。

ところで”Sukiyaki Song"は長調ですか?

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様

おもしろいエピソードですね。
日本の歌謡曲は陰々・滅々と響くんですかね、
彼女たちの耳には。

ボクには長調の曲より短調の曲のほうが
いくぶん高尚な感じがしますがね。

ギターを弾いてても、
CとかFとかGばかりの曲は
バカっぽい感じ?がしませんか?

『上を向いて歩こう』は
GとEmの繰り返しで始まりますが、
全体には長調と短調がちゃんぽんに
なってる感じです。

ボクなんかは断然〝短調派〟ですね。
根がクラ~イですから。