若い頃、チャーリー・パーカーやアート・ペッパーに魅せられ、
アルトサックスを衝動買いしてしまったことがある。
このサキソフォンという楽器、敵性語だからと横文字が禁じられた
先の大戦中は、「金属製先曲がり音響音出し器」などと呼ばれていた、
と淡谷のり子の回顧談にある。ピアノを「洋琴」、ヴァイオリンは「提琴」
と呼び直していた時代の話で、よく知られているところでは、
野球のストライクを「よし1本」、三振アウトを「それまで」なんて言っていた。
「こんなマンガみたいなことをやってるから、勝てる戦争にみすみす負けちまうんだよ…」
と、腹いせまぎれに思ってしまうが、まァ、いかんせん日本人の料簡が狭すぎた。
反骨精神のかたまりのような淡谷は、
「そんなややこしい呼び方ができるか」
とばかりに、サックス奏者に向かって
「おい、そこの尺八ッ!」などと呼びすてにしていたという。
淡谷は〝ブルースの女王〟と呼ばれ、満州などの外地へよく慰問に行った。
しかしヒット作の『別れのブルース』や『雨のブルース』などのレコードは
すでに発禁処分を食らっていて、舞台上では絶対歌ってはならぬ、と当局からきつく申しわたされていた。歌の内容がおセンチすぎて、
国民や兵士の士気を鼓舞するには甚だ不向きだ、というのである。
しかし明日をも知れぬ最前線にあっては、兵士たちは勇ましい軍歌など
聴きたくなかったし歌いたくもなかった。現に兵士たちのリクエストは
哀愁あふれる歌謡曲やブルースばかりで、そんな時は憲兵や将校たちも
気を利かし、ホールからそっと出ていってくれたという。
そして彼らもまた、舞台の袖からのぞき見ながら涙を流していた。
アメリカの「9.11同時多発テロ」の1周忌に行われた追悼式典では、
モーツァルトのニ短調『レクイエム』が演奏された。
モーツァルトの遺作とされるミサ曲で、死者を悼むにこれほどふさわしい曲はない。
人々の深い悲しみを癒すことができるのは、快活で明るい長調の曲より
悲哀に満ちた短調の楽曲のほうがふさわしいのだ。
人々の深い悲しみを癒すことができるのは、快活で明るい長調の曲より
悲哀に満ちた短調の楽曲のほうがふさわしいのだ。
我らが幼き時代に流行った哀調を帯びた童謡や小学唱歌、それに子守唄は
どれもみな短調だ。ところが今や、テレビなどから流される曲の大半が長調で、
赤ん坊でさえも昔の子守唄をきかせると、眠るどころかむずかるという。
短調の消えた時代というのは、果たしてよい時代なのだろうか。
物悲しい短調の曲が街角に流れている時代のほうが、
気分が前向きで健康的なのではなかろうか。
なぜか、そんな気がしてならないのである。
2 件のコメント:
勞さん: この歳ですと何と言っても短調の
調べですね! ただ、外国へ何かを発信するには長調でないといけません。長調で育った若い人たちに大いに期待します!
昔ドイツの或る町に日本人が経営していた
ナイトクラブ風の飲み屋があり、ヨーロッパの女性がホステスとして侍っていました。お客さんは100%近く日本人で日本の歌謡曲がBGMとして流れていましたがこの日本の歌謡曲がヨーロッパの御嬢さん方に不評でした。あまりにも暗すぎて、陰々・滅滅なんだそうです。”じゃどんな歌が好いのか”と聞いたら教えてくれたのがその頃ヨーロッパで流行っていた曲でGeroge McCraeの"Rock Your Baby"で"Women,take me in your arms, rock your baby"。歌詞に女が出てきますが実に明るい感じで、人種が違うとこんなにも感性が違うものかと感心しました。
ところで”Sukiyaki Song"は長調ですか?
匿名様
おもしろいエピソードですね。
日本の歌謡曲は陰々・滅々と響くんですかね、
彼女たちの耳には。
ボクには長調の曲より短調の曲のほうが
いくぶん高尚な感じがしますがね。
ギターを弾いてても、
CとかFとかGばかりの曲は
バカっぽい感じ?がしませんか?
『上を向いて歩こう』は
GとEmの繰り返しで始まりますが、
全体には長調と短調がちゃんぽんに
なってる感じです。
ボクなんかは断然〝短調派〟ですね。
根がクラ~イですから。
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