2011年7月14日木曜日

そのまんまがいい

ひとの性格は変わるものだ。
というより変えようと努力すれば、
努力したぶんだけ変わっていく。

ひとは弱さを見せまいと、強いフリをしたり必要以上に背伸びしたりする。
強がっているうちに、(まてよ、俺ってけっこう強いのかも)と自他共に錯覚し、
その錯覚が積み重なっていくうちに、
いつしかほんものの強さに近づいていくことがある。

ボクのことを社交的で、自己主張が強く、物怖じしない積極派人間だと
思っているひとがいる。ほとんど人見知りをせず、誰にでも声をかけるし
(電車内でも母はよく隣のひとに声をかけていた。いまは姉がその遺伝子を
引き継ぎ、あちこちで気味悪がられている)、物言いに遠慮がなく、
ひとたびマイクを握ると離さなかったりするからだろう。
それらはすべて死んだ母のDNAだと思うのだが、
昔のボクを知っている人間は、まったくの別人と思うかもしれない。

小中高校時代のボクは、引っ込み思案の非社交的人間だった。
もちろん友達など皆無で、口数少なく、極端にシャイな性格のためか、
いつもうつむきがちで、対人・赤面恐怖症の典型だった。

いまでもコアの部分では変わっておらず、時々あの頃のボクが
顔を出したりして友人たちを戸惑わせることがあるが、
一種の持病なので、いまは「ありのままでいい」と体裁など繕わず、
為るがままにまかせている。

個性の強い人間はひとから好かれる率が低いと云われる。
なるほどボクには友達は少ないが、最近は「何の不足があろう」
と半分開き直ってもいる。肘をとって共に語り合う友人は
少数のほうがいいのだ。

不羈狷介の性格は時に累(わずらい)をなすだろうが、
それもわが個性なのだと、いまはすっかり折り合いをつけている。

還暦を前にして、前半の〝訥弁時代〟と後半の〝能弁時代〟
との帳尻が合い、ようやく振り出しに戻ったみたいだ。

60年生きてきて体得しえた教訓は、実に凡庸そのもの。
あるがままでいい。
そのまんまがいい。

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