3月10日は「東京大空襲」のあった日です。
1945年のこの日、午前零時8分、折からの強風
(北西の風、風速30㍍)の中、B29爆撃機350機は、
江東区、墨田区、台東区にまたがるおよそ40k㎡の周囲に
約100万発(2000㌧)もの焼夷弾を投下しました。
日本の家屋は紙と木でできている。
だから通常爆弾より焼夷弾で焼き払ったほうが効率的だ、
とアドバイスしたのは、建築家のアントニン・レイモンドでした。
レイモンドは、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの
助手をつとめた男で、大の親日家でした。
焼夷弾は油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、エレクトロン(高温発火式)焼夷弾
など数種で、燃焼温度は約2000~3000℃。エレクトロンなどは、
水や消化剤では消すことができず、燃え尽きるまで待つしかありません。
おまけに酸素がなくても燃えるため、水の中でも燃え続けます。
川や海に飛び込んで難を逃れようとしてもムダなのです。
これら鉄の雨はまず外縁を描くように投下されて退路を断ち、
次第に内側におよんで、住民を猛火の中に閉じこめました。
行き場を失って逃げ惑う市民には、低空から容赦なく機銃掃射が浴びせられました。
死者の数およそ10万人、負傷者11万人。そのほとんどが非戦闘員、
すなわち無辜の市民でした。
この天人ともに赦しがたい大虐殺を指揮したのはカーチス・E・ルメイ将軍で、
戦時中は「鬼畜ルメイ」と呼ばれていました。その鬼畜にもとる男が、戦後、
航空自衛隊の育成に功があったとして、勲一等旭日大授章を授与されています。
昭和39年、佐藤栄作内閣の時でした。
この栄えある勲章は日本でいちばん最初に制定された勲章で、
国家に〝功績〟のあった男子に与えられると云います。
よりによって広島・長崎の原爆投下にも関与したとされるこの男を、
なにゆえ敵国だったわが国が麗々しく顕彰しなければいけないのか、
理解に苦しみます。ゲスの勘ぐりかもしれませんが、佐藤内閣時のことですから、
ひょっとするとアメリカとの間に各種の「密約」やら裏取引があったのかもしれません。
また驚くことに、ほんの数年前、靖国神社内に「カーチス・ルメイ顕彰館」
を創ろうという話まで持ち上がりました。靖国神社は偏向している、
という世間の批判をかわすため、とされているのですが、
我らが同胞を虐殺した「戦争犯罪人」をみんなで褒め称えましょう、
とする神経は、おかしいというより、そうとう狂っているとしか思えません。
勝てば英雄で、敵国から勲章までいただき、
負ければ断罪され戦犯にさせられる。
春秋に義戦なし、と孟子は言いましたが、
所詮、歴史というものは勝者の歴史でしかないのでしょうか……。
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