2013年9月3日火曜日

「一応、東大です…」

何度も言うけど、ボクはおじさんがきらいだ。
ほとんど憎んでさえいる。
自分がもう立派な?おじさん(おじいさんだろ!)なのに、
なぜかおじさんという種族がきらいなのである。

いやなおじさんの典型が同じ棟にいる。
このおじさんは無口で無愛想だ。笑った顔を見たことがない。
いつも不機嫌そうな顔をしていて、エレベーターに乗り合わせても、
「俺に話しかけるんじゃねえ」オーラをあたり一面にふりまいている。
こっちから挨拶すると、ニコリともせず尊大ぶった一瞥を投げかける。
「てめえいったい何様だと思ってんだよ、この唐変木のひょうろく玉め!」
ボクは心の中で顔面にパンチをお見舞いする。

このおじさん、現役時代はさぞ偉かったのであろう。
名刺を出せば、取引先の誰もが平蜘蛛のように這いつくばったに違いない。
でもね、今はただの隠居の身。昔日の栄光など、赤の他人には
何の関係もありましぇーん。だいいち、ボクはおじさんの家来じゃない。

それでもおじさんは、「下郎、下がりおろう!」といった高慢ちきな顔で、
あたりを睥睨(へいげい)する。ひとは年齢を閲(けみ)するにつれ、自負心がやわらかく
ほぐされていくものなのに、このおじさんはそんなもの、どこ吹く風だ。

噂では、おじさんは東大法学部出のエリートで、親兄弟全員が東大一家なのだという。
ボクは真のエリートは必要な存在だと思っている。こう言うと、左翼のおバカさんたちは
猛烈に反発してくる。エリートと聞くだけで敵愾心を抱いてしまうのだ。
左翼の人たちは教育があっても教養がない。そこが哀しい。
バカにつける薬はないのである。

さてéliteとはフランス語で「選ばれし者」の意だ。どんな社会、国家にあっても
優れた能力を持つエリートの存在は不可欠である。だから、
強い克己心で人一倍努力した人間に対しては、社会は相応の敬意を
払うべきなのだろうが、日本にあっては、エリートはほとんど唾棄すべき
存在と化しているのだから始末にわるい。「東大出」はその最たるものだ。

幕末の下級武士は生活が貧しく、特権など何もなかったが、
武士は四民のトップであるというエリート意識は持っていた
エリートとは、noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)という言葉があるように、
高い身分に伴う道徳上の責任を負う者のことをいう。社会のために、
自分の利益とは関係なく、何かを為す――そういう特別な責務をもつ
人間たちをエリートと呼ぶのだ。だから社会階級には関係ない。
エリートとは意識の問題であり、意欲の問題だ、と哲学者オルテガは言った。

ボクはエリート意識こそ教育の要諦だと思っている人間だが、
日本ではエリートへの風当たりが強く、まじめに勉学に励む少年少女を
「ガリ勉」だとか「点取り虫」と呼んで不必要に蔑む風潮がある。
出る杭は寄ってたかって打とうとする。また軍人エリートにミスリードされ、
散々な目に遭わされたためか、戦後の日本人はエリートを警戒し、
白眼視するようになってしまった。結果、エリートたちの精神も自然とゆがみ、
どこかニヒルな影を引きずって、世間を斜めに生きるようになってしまった。

「失礼ですが、大学はどちらですか?」
「いや、大したところじゃないです」
「なにか差し障りがありそうですね」
「いやそんなことはない。一応、東大です…」

東大出はしばしばそんな言い方をする。
たぶん、この同じ棟に住む尊大なおじさんも「一応…」のクチだろう。
素直に胸張って「東大です」と言えばいいものを、「一応」だもんね。
「一応」というのは「とりあえず・ひとまず」の意ですよ。

「とりあえず(ひとまず)東京大学に入っときました」ってか。
大したもんだよ蛙のションベン、
見あげたもんだよ屋根屋のふんどしってね。

結論? そんなものあるわけない。
寅さんと同じで、この手のインテリは虫が好かないだけ。
てめえ、さしずめインテリだな!」
駄インテリは、寅のこの一言でイチコロだ。

ボクはやっぱり「おばさん」が好き。
明日からおばさんになります。



←「さしずめ」って言葉が秀逸だな。
なかなか言えませんよ、こんなセリフは








 

4 件のコメント:

木蘭 さんのコメント...

朝から薪運びをした、健康的なおばさんの木蘭でございます。(笑)

うちは、かまでお風呂(サウナ)を焚きます。
廃材を利用しているのでとってもエコです。(笑)


東大のお話。

私は幼い頃、親戚のおばさんに「大きくなったら東大に入る」と言ってたそうです。

「どうして?」とおばさんが聞くと、
「だって角材持って歩けばいいんでしょう」という返事があったそうで。(^▽^;)

東大紛争の頃のこと、
ニュースでよく放映していたからでしょうね。

まったく覚えていないのですが、
大きくなって身の程を知ってからは、もちろんそんな気はさらさらありませんでした。(笑)


「善業を積もうとしない人が死んだあと、金持ちだから、頭がいいから、地位や名誉があるからいい所に行くということは一切ない。『私は大きな会社の社長をしていた』と牛頭馬頭の前でいばったって、そんなのなんにもならない。悪所に引っ立てられる姿は、猿回しの猿みたいなものだ」
そう教わってきました。

学歴では成仏できません。


私の父は大正10年生まれ。
学校でいくら勉強ができていても、
修身のできない人間は相手にされなかったと話してくれたことがあります。


きっとそのおじさんには「人間性」を育もうとする人が周りにいなかったのかもしれませんね。


かわいそうですね、そのおじさん。





ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様

いらっしゃい。

心やさしい木蘭さんのお言葉、
今度おじさんに会ったら伝えておきます(笑)。

木蘭さんは大きくなったら東大に入る、
と宣言していたんですね。きっと角材を
振りまわしたかったんだと思います。

ボクはタダ飯食いの東大
(東京大工組合だったりして)がきらいで、
あえて受験せず私立を選びました(笑)。

「オリャ、オリャー!」と角材を振りまわしたかった木蘭さん、いまは代わりに廃材を利用してお風呂を沸かしている。
エコエコアザラクですね、とっても。

ボクは頭はわるいですけど、
金もありません(笑)。地位も名誉もなく、
まるで牛頭馬頭(ごずめず)のようです。

こんな無いない尽くしの男ですが。
成仏できるでしょうか?
〝一応〟訊いときます

Nick ' s Bar さんのコメント...

ROUさん、

こんにちは。

成仏できるかって?
大丈夫って親鸞さんが言ってましたよ。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

況んや悪人をや……って言いたいわけ?

ま、死んだあとのことはどうでもいいや。
大事なのは生きてる間のこと。

最近は人間が円くなったせいか、
〝生き仏様〟みたい、な~んて言われてる。
NICKさんもせいぜいボクを見習って
成仏するんだよ。

南無阿弥陀仏。