2013年8月31日土曜日

善人ぶりっこ

ボクのお隣さんはKさんといいう歯医者さんだ。
といっても開業医ではなく、母校の大学で教鞭をとり、患者も診ている。

「コーヒーでもいっしょに飲みませんか?」
誘ったらニコニコ顔で応じてくれた。
Kさんとは山登りもしたし、築地に買い出しに行ったりもした。
ボクと同じで主夫業も兼ねている。魚をさばかせたら玄人はだし。
年上だけど気の合う友だちの一人である。

「あと2年半……待ち遠しいなァ」
Kさんがボソリとつぶやいた。リタイアする日を指折り数えている。
退職したらやりたいことが山ほどあるのだという。
そのうちの1つが、どこか僻地の無医村に行って歯の治療をすること。
それもボランティアでやりたいという。

「アフリカのどこかの国がいいな。1年と期限を切るんだけど、
何か他人様の役に立つようなことがしたいとずっと思ってたんです」

ボクは正直、胸が熱くなってしまった。
みんな偉いんだな。ボクなんかとてもマネできそうにない。
これといった技術も無いし、外国語もできない(特技は酒を飲むことだけ)。
それにしてもKさんがそんなことを考えていたとは(嬉しいけど、ショック)。

そういえば、同じ団地内の友人Fさんも退職後、得意の語学を活かそうというのか、
いま、カンボジアでボランティア活動をしている真っ最中、と奥方が言っていた。
ボクの長女に触発され、岩手・大船渡に震災ボランティアに出かけたという人だから、
もともと心根が優しいのだろう。

KさんといいFさんといい、おじさんたちもなかなか捨てたもんじゃない。
貧しい国の子どもたちは、ほんとに目がきれいなんですよ
いつだったか、Kさんがそんな話をしてくれたことがある。
バックパッカーの長女も、フィリッピンやケニアから帰国した時、
「子どもたちのはじけるような笑顔と瞳の美しさは、先進国にはまずないね」
と言ってたっけ。

あの貧しい子どもたちを笑顔にしてやりたい、幸せにしてやりたい――。
ボクみたいな〝性悪説〟信奉者だって、たまにはそんなことを思ったりする。
いや外国でなくてもいいのだ。生きる希みを断たれた人、
淋しさに震えている人、悲しみに打ちひしがれている人がいれば、
そばに行ってそっと手を握ってあげたい(できれば美人のお手々がいい)。
黙って話を聞いてやりたい(おしゃべり男だからたぶんムリか)。

若い頃は〝Cool Dandy〟を売り物にしていたというのに、
年を食って焼きが回ったせいか、このザマである。
近頃は周りに善人ばかりがわらわらと集まってきやがる。

ついでだから善人ぶって言わせてもらうと、
まずひとにやさしくすること
なぜなら、美しさとは他者に対するやさしさだから(いいこと言うじゃん。ウットリ)。
これがボクの中の「(じゅう)の掟」の1つだ。
ついでに、いやなヤツはとことんやっつけること(腰が抜けてなけりゃね)。
これも掟の1つである。

卑怯なマネはしないこと。これも大事な掟だ。
卑怯未練なヤツは生まれてきたことを後悔したくなるくらい
ボコボコにしてやること(ナニをちびってなけりゃね)。これも大事な掟である。
それにしても、オレはずいぶん人間が円くなった(しみじみ……)。

ボクには定年なんてないけれど、
KさんやFさんを見習って、
少しは他人様のお役に立つようなことをしたいと思う。
とりあえず5時になったら〝おちゃけ〟を飲み、
税金(酒税)をいっぱい納めることにする。
そのくらいのことしか、いまは思い浮かばない(バカ)。





←子供はみんな天使です。
この純真無垢な笑顔を見ているだけで泣けてきます。
すべての子供たちに幸せがあらんことを……







 

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