麻生副総理ら閣僚たちの靖國神社参拝に、例によって支那と韓国が反発している。
自分の頭の上のハエを追っていればいいものを、「歴史認識が足りない」などと、
いつもながらゴチャゴチャとらちもないことを言っている。自分たちこそ歴史を平気で
ねじ曲げているくせに、「日本の右傾化はアジア諸国との関係を難しくする」
などと図々しくも説教まで垂れている。笑止である。
対して安倍首相は、
「金大中時代以前は(抗議が)ほとんどない。なぜ、急に態度が変わったか、
ちゃんと調べておく必要がある。中国もA級戦犯が合祀された時も、
その時の首相の参拝に抗議しなかった」
としっかり反論している。
A級戦犯合祀が一般に知られたのは、昭和54年4月19日の新聞報道からだ
(実際は、前年の秋の大例祭の前日に合祀されていた)。そして時の内閣総理大臣は
大平正芳。大平首相は同年8月15日に参拝している。もちろん、支那は何も言わなかったし、
〝火病患者〟の韓国人だって自傷行為や日の丸を食いちぎったりはしなかった。
大平が日中国交正常化の際の外相だったから遠慮したのでは、という見方もあるが、
それならばなおのこと〝ご都合主義〟としか言いようがない。
靖國神社に祀られているのはおよそ246万余の祭神だ。祀られている英霊は、
〝天皇のために忠義を尽くして斃れた人々の霊〟である。
もとは「東京招魂社」と呼ばれていて、明治12年に「靖國神社」と改称された。
殉難者の霊を祀るというのは嘉永6年(1853年)、つまりはペリー来航の年であるが、
この嘉永6年以降の国事殉難者の霊を祀るというところから出発している。
幕末の動乱はこの年に始まる、という認識なのだ。
天皇のために死んだ人々の霊、とはすなわち「官軍」のことで、皇運の挽回のために
尽力し斃れた志士たちを指している。そのため、幕府方の戦死者は靖國には祀られていない。
新撰組や会津びいきのボクなんか、「それは不公平とちゃう?」なんて思ってしまうのだが、
現実は冷厳なもの。英霊として祀られているのは、天皇のためにがんばった人たちだけなのだ。
出征する兵士たちにとって靖國神社に祀られるということは、非常な励みになった。
ちっぽけな存在に過ぎない一介の庶民の自分が、お国のために命を捨てれば、
畏れ多くも天皇陛下が直々に御親拝なさってくれる。こんなにありがたいことはない。
いいも悪いも、兵士たちの精神の拠りどころになったのが靖國神社だったのである。
あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も日露戦争の日本軍の強さの源泉について、
《現在、戦争に召集されている何千何万という若者の口から、名誉を担いながら
故国に帰りたいなどという表現を一言も聞くことはできない……異口同音に語っている
希望は「招魂社」に長く名をとどめたいということだけである》
と記している。
しかるに今、天皇陛下は靖國神社へ参拝することはしない。
天皇・皇后両陛下のご臨席をたまわるのは全国戦没者追悼式である。
つまり、天皇は戦死した英霊たちの熱い思いに報いてはいない。
支那人や朝鮮人は何かというとA級戦犯という言葉を使う。
A級戦犯がどんな罪を犯したのかというと、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」だという。
この罪状は戦後、ドイツのニュルンベルグ裁判を開く際に即席でこさえられたもので、
まぎれもない「事後法」だ。事後法は国際法上、違法とされている。
「事後法の禁止」という法律は、
『行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、後に制定された法律によって
裁いてはならない』とする原則中の原則で、「遡及処罰の禁止」ともいう。
東京裁判でインドのパール判事だけがこのことを告発した。曰く、
「仮にこれ(事後法)が認められるなら、欧米列強がアジアやアフリカで行った
侵略行為こそ裁かれなければならないはず。ところが戦勝国は自分たちの罪状には
いっさいふれず、日本のみを侵略国として断罪した」
これが有名な〝日本無罪論〟である。
余談だが、東京裁判はその後、国際法学者の間では完全に否定され、
違法な裁判であったとする見方が定着している。あのマッカーサーでさえ、
1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会において、
「日本にとってあの戦争は、自存自衛のための戦争だった」
と証言している。あの戦争は侵略戦争などではなかった、と言っているのだ。
何度でも言う。日本にはA級もB、C級の戦犯もいない。
靖國に祀られているのは「法務死」を遂げた昭和殉難者の霊ばかりである。
靖國問題は純然たる国内問題であって、支那や朝鮮が関与すべき問題ではない。
公正と信義を有し〝平和を愛する諸国民(日本国憲法前文より)〟の支那と朝鮮の民よ、
つべこべ言わず、すっこんでろ!
自分の頭の上のハエを追っていればいいものを、「歴史認識が足りない」などと、
いつもながらゴチャゴチャとらちもないことを言っている。自分たちこそ歴史を平気で
ねじ曲げているくせに、「日本の右傾化はアジア諸国との関係を難しくする」
などと図々しくも説教まで垂れている。笑止である。
対して安倍首相は、
「金大中時代以前は(抗議が)ほとんどない。なぜ、急に態度が変わったか、
ちゃんと調べておく必要がある。中国もA級戦犯が合祀された時も、
その時の首相の参拝に抗議しなかった」
としっかり反論している。
A級戦犯合祀が一般に知られたのは、昭和54年4月19日の新聞報道からだ
(実際は、前年の秋の大例祭の前日に合祀されていた)。そして時の内閣総理大臣は
大平正芳。大平首相は同年8月15日に参拝している。もちろん、支那は何も言わなかったし、
〝火病患者〟の韓国人だって自傷行為や日の丸を食いちぎったりはしなかった。
大平が日中国交正常化の際の外相だったから遠慮したのでは、という見方もあるが、
それならばなおのこと〝ご都合主義〟としか言いようがない。
靖國神社に祀られているのはおよそ246万余の祭神だ。祀られている英霊は、
〝天皇のために忠義を尽くして斃れた人々の霊〟である。
もとは「東京招魂社」と呼ばれていて、明治12年に「靖國神社」と改称された。
殉難者の霊を祀るというのは嘉永6年(1853年)、つまりはペリー来航の年であるが、
この嘉永6年以降の国事殉難者の霊を祀るというところから出発している。
幕末の動乱はこの年に始まる、という認識なのだ。
天皇のために死んだ人々の霊、とはすなわち「官軍」のことで、皇運の挽回のために
尽力し斃れた志士たちを指している。そのため、幕府方の戦死者は靖國には祀られていない。
新撰組や会津びいきのボクなんか、「それは不公平とちゃう?」なんて思ってしまうのだが、
現実は冷厳なもの。英霊として祀られているのは、天皇のためにがんばった人たちだけなのだ。
出征する兵士たちにとって靖國神社に祀られるということは、非常な励みになった。
ちっぽけな存在に過ぎない一介の庶民の自分が、お国のために命を捨てれば、
畏れ多くも天皇陛下が直々に御親拝なさってくれる。こんなにありがたいことはない。
いいも悪いも、兵士たちの精神の拠りどころになったのが靖國神社だったのである。
あのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も日露戦争の日本軍の強さの源泉について、
《現在、戦争に召集されている何千何万という若者の口から、名誉を担いながら
故国に帰りたいなどという表現を一言も聞くことはできない……異口同音に語っている
希望は「招魂社」に長く名をとどめたいということだけである》
と記している。
しかるに今、天皇陛下は靖國神社へ参拝することはしない。
天皇・皇后両陛下のご臨席をたまわるのは全国戦没者追悼式である。
つまり、天皇は戦死した英霊たちの熱い思いに報いてはいない。
支那人や朝鮮人は何かというとA級戦犯という言葉を使う。
A級戦犯がどんな罪を犯したのかというと、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」だという。
この罪状は戦後、ドイツのニュルンベルグ裁判を開く際に即席でこさえられたもので、
まぎれもない「事後法」だ。事後法は国際法上、違法とされている。
「事後法の禁止」という法律は、
『行為時に法律上犯罪とされていなかった行為を、後に制定された法律によって
裁いてはならない』とする原則中の原則で、「遡及処罰の禁止」ともいう。
東京裁判でインドのパール判事だけがこのことを告発した。曰く、
「仮にこれ(事後法)が認められるなら、欧米列強がアジアやアフリカで行った
侵略行為こそ裁かれなければならないはず。ところが戦勝国は自分たちの罪状には
いっさいふれず、日本のみを侵略国として断罪した」
これが有名な〝日本無罪論〟である。
余談だが、東京裁判はその後、国際法学者の間では完全に否定され、
違法な裁判であったとする見方が定着している。あのマッカーサーでさえ、
1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会において、
「日本にとってあの戦争は、自存自衛のための戦争だった」
と証言している。あの戦争は侵略戦争などではなかった、と言っているのだ。
何度でも言う。日本にはA級もB、C級の戦犯もいない。
靖國に祀られているのは「法務死」を遂げた昭和殉難者の霊ばかりである。
靖國問題は純然たる国内問題であって、支那や朝鮮が関与すべき問題ではない。
公正と信義を有し〝平和を愛する諸国民(日本国憲法前文より)〟の支那と朝鮮の民よ、
つべこべ言わず、すっこんでろ!
6 件のコメント:
労師、極東軍事裁判は違法無効であります。
したがって、主権を侵害されたままの平和条約も無効。
大日本帝国において目下は実態の休戦中ではありますが、
労師に限らず国民全員が「戦中派」なワケです。
戦死者に報うためにも、無法に領土を踏み荒らしている
米・中・韓に対して、直ちに戦端を開くべきであります。
それは野蛮だなんて〝ご都合主義〟の平和ボケは
してませんよね。我々の子女にも銃をとらせて、
一緒に鬼畜米中韓を殲滅しましょう。今さら逃げないでね。
帰山人様
Got it!
一億一心火の玉となって突撃しましょう。
まずはノブレス・オブリージュということで、帰山人閣下に先鋒をつとめてもらいましょう。
みごと散華したら後に続きますので、
心おきなく昇天してくださいませ。
帰山人閣下、ばんざ~い!
老先生こんにちは
5日間のパラダイスがあっという間に
過ぎてしまいました。もっと遊びたい。
まだ、わずかに余韻に浸っております。
クルクルパー様
M紙だけでなくS紙も併読し、
SM愛好者になることをお薦めします。
5日間のパラダイスとはうらやましい。
そんなパラダイスはどこにあるんでしょう。
ボクは毎日酒に溺れ、
1年365日、毎日がパラダイスです。
いま、二日酔いの余韻にひたっております。
シマフクロウさま、おこんばんは(*^^*)
靖国神社は私も一年に一度くらいは参拝しております。
拝殿に向かう石畳。
「どれほどたくさんの人達が、それぞれに抱えきれないほどの思いを持ってここを歩いていたのだろう・・・」と思うと胸が熱くなって参ります。
参拝して手を合わせ、
「みなさんのおかげで今の日本があります。ありがとうございました」と感謝の心を捧げます。
そして必ず遊就館に寄って、たくさんの遺影に会ってきます。
そうして帰る頃には、
私の心は「日本人の心」でいっぱいになるのです。
最後にもう一度振り向くと、
「また会いにきてくださいね」と英霊の声が聞こえてくるようです。
だから私は、
「また会いにきます」と~勝手に約束するわけです(笑)。
靖国問題でわいのわいのとやっていたら、
英霊たちはいつまでたっても静かに眠る事なんぞできません。
有事の際には~私も微力ながらお手伝いを致します。
シマフクロウさまの後ろにて(笑)
木蘭様
おはようございます。
靖國神社はいいですよね。
都心ですから森閑とした趣き、というわけではありませんが、それでも神域に踏み込んだと
という、心洗われるような心持ちにはなります。
靖國問題は日本の政治家の覚悟というか、
腰が定まっていないところに淵源が
ありましたね。彼らが毅然としていてくれれば、英霊たちの御魂も鎮まっていてくれたでしょうに。情けないことです。
有事の際には木蘭さんもご出馬とか。
たのもしいですね。がんばってください。
シマフクロウは夜行性なので、
明るいうちは木蘭さんの膝枕で寝ています(笑)。
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