2012年1月24日火曜日

哭き男

大切な人が次から次へと死んでゆく。
そのたびに殊勝顔して葬儀に参列し、
遺族にお悔やみを言い、涙を流す。

でも1週間も経つと、何ごともなかったかのように、
ごくふつうの日常が戻ってくる。
食欲も変わらず、めしなんか何杯もお代わりをする。

母が死んだ時もそうだった。
身も世もないくらい泣きはらしたはずなのに、
次の瞬間、しっかり酒を飲み、めしを食っている。
親戚のオバちゃんたちと軽口をたたき合い、
げらげら笑っている。

軽い。すべてが軽い。
命も言葉もシャボン玉みたいに軽く、目方が少しも感じられない。

あれほどまで喪失感におそわれ、全身から力という力が抜け、
生きていくことに自棄を起こしそうになったというのに、
流した涙はすでにカラカラに乾いている。

あれって空涙? みんな演技だったの?
悲しそうなふりして、実はちっとも悲しくないんだろ?

「ともだち」だとか「きずな」だとか、
発音するたびに奇態な音を立てそうな言葉が、
ひらひらと中空を舞っている。

弔い酒だと? 供養だと?
ただお酒が飲みたいだけじゃないの?

ニヒルな顔して沈んでいるけど、
そんな自分を冷ややかに見ている
もうひとりの自分がいて、そのまた自分を見ている
別の自分がいて……

もっともらしく『方丈記』なんぞを引っ張り出し、
《ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……》
なんて朗唱してるけど、見え透いているよね。
わざとらしいよね。


いけねッ、もうこんな時間だ。
晩めしの支度をしなくっちゃ。


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