2012年1月19日木曜日

一路白頭ニ到ル

昨夜、友人のU君を亡くした。
わが団地住民の右総代、というような男で、
こわもてで無愛想だが、実に心の温かい男だった。

友人からのメールでその急死を知った時、
一瞬、何のことやらわからなかった。

真偽を確かめるべく急いでU君の住む隣の棟まで走った。
応対に出てきたのは息子だった。急死はほんとうだった。
「急に身体の具合が悪くなりまして……」
出版社に勤める息子は、多くを語らなかった。

U君の顔を見たのは1週間ほど前だった。
市会議員のKさんが、「Uちゃんがひきこもっちゃってるよ」
と冗談交じりに言うものだから、
(鬼の霍乱だな、きっと)
と、こっちも真に受けず、ひとつ冷やかしに行ってみようと、
年賀の挨拶も兼ねて訪ねてみたのである。

「ヨォ、どうしてる? 最近、お見限りじゃないの。
恒例の餅搗き大会にも出てこなかったし……。
みんなUちゃんのムスッとした顔を恋しがってるよ(笑)。
ん? どうしたの。どっか具合でも悪いの?」

玄関口に立ったUちゃんは、いつもと変わらぬ仏頂面で、
「いや、別に……ちょっと調子が悪いだけ。酒も飲みたくないし」

「まさか妙な病気を患ってるんじゃないよね」
「…………」
あの手この手で探りを入れてみたが、ガードは堅かった。
(いつものUちゃんじゃないな……やっぱ、調子悪いのかな)

「ま、見たところ大丈夫そうだから安心したよ。
たまには一杯やろうよ。じゃ、またな……」
結局、この会話が、U君との最後のやりとりになってしまった。
まだ60代半ば。あまりにも若い。


団地の生き字引ともいうべきU君は、
管理組合で一緒だった時は、団地内のわけのわからない連中
どんな事案にも反対する共産党とか旧社会党みたいな連中)を向こうに回し、
獅子奮迅の働きをした。彼はいわば志を同じくする戦友みたいなものだった。

プライベートでも思想信条を共有する同志だった。
彼は毎年、敗戦記念日に靖國神社へ赴き、英霊たちの魂を鎮めた。
また日本国をダメにする朝日新聞や毎日新聞、日教組を蛇蝎のごとくきらっていた。

一路白頭ニ到ル――。
誰が何と言おうと、白髪頭になるまで自分の信念を貫き通す――そんな意味である。
U君の男くさく骨っぽい生涯をふりかえった時、白髪頭の風貌と相俟って、
キリスト者留岡幸助の座右の銘がふと頭に浮かんだ。


ウッちゃん、あんたがいないとひどく淋しいよ。
あっちでは仇敵だったO女史とはくれぐれも仲良くしてね。
そのうちイト◇のじっちゃんとかキタ◎◆のババアが会いに行くだろうから、
もうしばらく辛抱してくれ。
おれ? おれはまだ飲み足りないから、もうしばらく娑婆にいるよ。

迷わず成仏してくれ。合掌。


←This One Thing I Do !
留岡はこれを「一路白頭ニ到ル」と訳しました。
〝われ、この一事を努む〟
いい言葉ですね。

2 件のコメント:

Nick's Bar さんのコメント...

ROUさん、

こんばんは。

本文後のリアクション項目に「おもしろい」しかないのは、面白くないです。


合掌・・・

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様

朝に死に、夕に生るゝならひ、ただ水の泡
にぞ似たりける。不知、生れ死ぬる人、
いづかたより来たりて、いづかたへか去る――

『方丈記』巻頭の一節を引いてみました。
(われら)よどみに浮かぶ泡沫は、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。

諸行無常ですね、人の一生は。
近く「お別れの会」をやるそうですから、
にぎやかに送ってやりましょう。