若い頃は非社交的な人間だった。
でも今は、社交的な人間だと思っている。
これはたぶん死んだ母親の血だろう。
母は人見知りというものを知らない女だった。
どんな人間とも分け隔てなくつき合うことができた。
逆に父は、非社交的人間の典型だった。
小心で神経が超のつくくらい細かった。
神経が太いというより、ほとんど神経の無かった母に
全身神経だらけの父。ボクはそんな両親のもとに生まれた。
大胆と小胆が同居し、社交家と非社交家の両面を持っている。
姉は母の遺伝子を受け継ぎ、いまでも知らない人に
ホイホイ声をかける。車内でも隣の人に突然話しかけたりする。
おまけにほとんど敬語というものを知らず、ハナから馴れなれしい
言葉づかいなので、話しかけられた人は一瞬「ギョッ」とする。
昔はよくこんなオバサンがいた。鬱陶しいけど憎めない。
ボクも姉ほどひどくはないが、そうした図々しさを持ちあわせていて、
見知らぬ人に声をかけるがごときは少しも苦ではない。
見た目がごつくて怖そうだから、相手は一瞬ひるむが、
やさしいオジサンと分かると、笑顔で応じてくれる。
若い頃は父の血が優り、四十路を過ぎてからは母の血が優っている。
どこか〝影〟のあった若い頃はうんざりするほど女にもてたが(大ウソ)、
影も日向もなくなった今となっては、もてるのは漬け物石くらいで、
それこそ見る影もない。
母が逝って半年になる。半年忌というのはついぞ聞かないが、
勝手に母を偲んでいる。母は明るくて賑やかな女だった。
叶うならもう一度母に会いたい。母の打ったうどんが食べたい。
でも今は、社交的な人間だと思っている。
これはたぶん死んだ母親の血だろう。
母は人見知りというものを知らない女だった。
どんな人間とも分け隔てなくつき合うことができた。
逆に父は、非社交的人間の典型だった。
小心で神経が超のつくくらい細かった。
神経が太いというより、ほとんど神経の無かった母に
全身神経だらけの父。ボクはそんな両親のもとに生まれた。
大胆と小胆が同居し、社交家と非社交家の両面を持っている。
姉は母の遺伝子を受け継ぎ、いまでも知らない人に
ホイホイ声をかける。車内でも隣の人に突然話しかけたりする。
おまけにほとんど敬語というものを知らず、ハナから馴れなれしい
言葉づかいなので、話しかけられた人は一瞬「ギョッ」とする。
昔はよくこんなオバサンがいた。鬱陶しいけど憎めない。
ボクも姉ほどひどくはないが、そうした図々しさを持ちあわせていて、
見知らぬ人に声をかけるがごときは少しも苦ではない。
見た目がごつくて怖そうだから、相手は一瞬ひるむが、
やさしいオジサンと分かると、笑顔で応じてくれる。
若い頃は父の血が優り、四十路を過ぎてからは母の血が優っている。
どこか〝影〟のあった若い頃はうんざりするほど女にもてたが(大ウソ)、
影も日向もなくなった今となっては、もてるのは漬け物石くらいで、
それこそ見る影もない。
母が逝って半年になる。半年忌というのはついぞ聞かないが、
勝手に母を偲んでいる。母は明るくて賑やかな女だった。
叶うならもう一度母に会いたい。母の打ったうどんが食べたい。
2 件のコメント:
勞さん:
”誰に会いたいか”と問われたら母と父です。
”何を食べたいか”と問われたら母の作って
くれた”ほうれん草と油揚げの煮物”です。
”何の歌を聴きたいか”と問われたら
父が高く・か細い声で唄った民謡です。
いつかは会えますが後20年程の辛抱と思って
います。
匿名様
そうですね。
もう一度、父と母に会いたいですね。
父とはカラオケに行き、
へたな歌を死ぬほど聴いてやり、
母とは飛行機に乗り、
海外旅行へ連れていってやりたい。
母は飛行機に一度も乗ることなく
あの世へ行ってしまいました。
母はおデブちゃんで、
父は針金みたいに痩せこけている。
つまり典型的な蚤の夫婦。
性格も体格もすべてが対照的。
でも仲は良かったな。
週末、天気が良かったら
墓参りに行ってこよおっと。
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