2011年12月4日日曜日

半年忌

若い頃は非社交的な人間だった。
でも今は、社交的な人間だと思っている。
これはたぶん死んだ母親の血だろう。

母は人見知りというものを知らない女だった。
どんな人間とも分け隔てなくつき合うことができた。
逆に父は、非社交的人間の典型だった。
小心で神経が超のつくくらい細かった。

神経が太いというより、ほとんど神経の無かった母に
全身神経だらけの父。ボクはそんな両親のもとに生まれた。
大胆と小胆が同居し、社交家と非社交家の両面を持っている。

姉は母の遺伝子を受け継ぎ、いまでも知らない人に
ホイホイ声をかける。車内でも隣の人に突然話しかけたりする。
おまけにほとんど敬語というものを知らず、ハナから馴れなれしい
言葉づかいなので、話しかけられた人は一瞬「ギョッ」とする。
昔はよくこんなオバサンがいた。鬱陶しいけど憎めない。

ボクも姉ほどひどくはないが、そうした図々しさを持ちあわせていて、
見知らぬ人に声をかけるがごときは少しも苦ではない。
見た目がごつくて怖そうだから、相手は一瞬ひるむが、
やさしいオジサンと分かると、笑顔で応じてくれる。

若い頃は父の血が優り、四十路を過ぎてからは母の血が優っている。
どこか〝影〟のあった若い頃はうんざりするほど女にもてたが(大ウソ)、
影も日向もなくなった今となっては、もてるのは漬け物石くらいで、
それこそ見る影もない。

母が逝って半年になる。半年忌というのはついぞ聞かないが、
勝手に母を偲んでいる。母は明るくて賑やかな女だった。
叶うならもう一度母に会いたい。母の打ったうどんが食べたい。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

勞さん:

”誰に会いたいか”と問われたら母と父です。

”何を食べたいか”と問われたら母の作って
くれた”ほうれん草と油揚げの煮物”です。

”何の歌を聴きたいか”と問われたら
父が高く・か細い声で唄った民謡です。

いつかは会えますが後20年程の辛抱と思って
います。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様

そうですね。
もう一度、父と母に会いたいですね。

父とはカラオケに行き、
へたな歌を死ぬほど聴いてやり、
母とは飛行機に乗り、
海外旅行へ連れていってやりたい。

母は飛行機に一度も乗ることなく
あの世へ行ってしまいました。

母はおデブちゃんで、
父は針金みたいに痩せこけている。
つまり典型的な蚤の夫婦。

性格も体格もすべてが対照的。
でも仲は良かったな。

週末、天気が良かったら
墓参りに行ってこよおっと。