2010年8月27日金曜日

朋有り遠方より来たる

山寺の和尚さんが、わが陋屋へ泊まりに来た。
新潟・三条の山奥で寺の住職をやっている友人Aが数年ぶりに訪ねてきた。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや……ネット時代だろうと何だろうと、
友人がわざわざ足を運んで会いに来てくれる、というのは何より嬉しい。

で、一杯やる前にひとっ風呂浴びに近所のプールへ行った。
Aも心得たもので、水着もゴーグルもちゃんと用意してある。
以前来た時も、まずはプールでひと泳ぎ。その後のビールがひときわ旨かった。
この暑さである。プールへ案内するのが最高のおもてなしなのだ。

Aは僕の友人Kの学友で、たまたま学生時代に知り合った。
その後、洋酒メーカーに就職したAは名古屋地区が担当で、
こっちが名古屋出張の折には、よく呼び出しては錦や栄の繁華街で
飲み歩いたものだった。

そのうちKとはだんだん疎遠になってしまったが、Aとはよほどウマが合うのか、
君子の交わりがずっと続いている。Aはある日、突然、仏門に入ってしまった。
前触れなしだったもので、いささか当惑したが、深く詮索せずに今日に至っている。

Aはご多分にもれず生臭で、葷酒(くんしゅ)を避けるどころか、
ウワバミみたいに飲みかつ食らう。ふだん飲んでいる安ワインを出したら、
「まずいな、こいつは」とピシャリ。それでも、何食わぬ顔で数本を空にした。

こんな破戒僧にまともにつき合ったら、とても身が持たない。
案の定、へべれけになって、記憶の半分が飛んでしまった。
こういう状態を「泥酔」というが、なぜ「泥」なのか、みなさんご存じか。
偉そうに講釈を垂れているが、実は僕も知らなかったのである。

正体がなくなるくらい酔うことを「泥のごとし」などという。これを「ドロのごとし」
と読む人がいるが、「デイのごとし」が正しい。〝ドロ派〟の間違いは、
おそらく「泥(ドロ)のように眠る」からの連想だろう。

泥酔の「泥(デイ)」は中国の伝説に登場する骨のない架空の虫で、
南の海に棲んでいるという。水の中ではすこぶる元気だが、
水気を失うと一塊のドロのごとく、ふにゃふにゃになってしまう。
この様がまるで酔っ払いみたいだから、デイのごとく酔うことを
「泥酔(デイスイ)」と云ったのである。

Aと僕はデイのごとく酔いつぶれ、またまた家人の前で醜態をさらしてしまった。
「俺の法話は御利益があるからって、けっこう評判なんだよ」
などとAはしきりに自慢しておったが、酔いつぶれて蒲団に突っ伏し、
股ぐらをポリポリ搔いているような男の法話なんぞ、とても拝聴する気にならない。

翌朝、玉子かけご飯を旨そうに食べ、元気に出ていったAの背中に向かって、
僕は「また来いよ……和尚さん!」と心の中で声をかけた。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

山寺の和尚さんが次回お越しになるときは
新潟県のワインを土産に所望して下さい。和尚さんが仏門に入る前に洋酒メーカーにお勤めしていた由ですが寿屋ではありませんか?

小輩の田舎に寿屋と共同出資して株式会社となった”岩の原ぶどう園”があります。日本のワインの草分け的存在の川上善兵衛さんが創立したワイナーリーです。和尚さんも
きっとご存知のはずで ”不味い”とは
言わないと思いますよ(?)

次回は、今風に言って、爆酔して下さい。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様
 壽屋ではなく対抗馬のニッカウヰスキーのほうですね。この和尚は酒類だけでなく料理にも詳しく、とりわけフレンチに造詣が深い。フォアグラだとかキャビアに目がなく、実にとんでもない生臭なのであります。
 さて、岩の原ワインのことですが、僕はまったく不案内ですが、たぶん和尚は知ってるでしょうね。かつて「日本のワインがおいしくなった」というテーマで取材をし、記事を書いたことがありますが、なるほど日本のワインはびっくりするくらいおいしくなっている。海外でも高い評価を得ているようですね。
 わが家で飲んでいるのはごくごく安いワインで、テロワールがどうしたこうしたというような複雑精妙なグレートワインではないのです。安ワインだからこそ泥酔、いや爆酔してしまうのでしょうね。