山寺の和尚さんが、わが陋屋へ泊まりに来た。
新潟・三条の山奥で寺の住職をやっている友人Aが数年ぶりに訪ねてきた。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや……ネット時代だろうと何だろうと、
友人がわざわざ足を運んで会いに来てくれる、というのは何より嬉しい。
で、一杯やる前にひとっ風呂浴びに近所のプールへ行った。
Aも心得たもので、水着もゴーグルもちゃんと用意してある。
以前来た時も、まずはプールでひと泳ぎ。その後のビールがひときわ旨かった。
この暑さである。プールへ案内するのが最高のおもてなしなのだ。
Aは僕の友人Kの学友で、たまたま学生時代に知り合った。
その後、洋酒メーカーに就職したAは名古屋地区が担当で、
こっちが名古屋出張の折には、よく呼び出しては錦や栄の繁華街で
飲み歩いたものだった。
そのうちKとはだんだん疎遠になってしまったが、Aとはよほどウマが合うのか、
君子の交わりがずっと続いている。Aはある日、突然、仏門に入ってしまった。
前触れなしだったもので、いささか当惑したが、深く詮索せずに今日に至っている。
Aはご多分にもれず生臭で、葷酒(くんしゅ)を避けるどころか、
ウワバミみたいに飲みかつ食らう。ふだん飲んでいる安ワインを出したら、
「まずいな、こいつは」とピシャリ。それでも、何食わぬ顔で数本を空にした。
こんな破戒僧にまともにつき合ったら、とても身が持たない。
案の定、へべれけになって、記憶の半分が飛んでしまった。
こういう状態を「泥酔」というが、なぜ「泥」なのか、みなさんご存じか。
偉そうに講釈を垂れているが、実は僕も知らなかったのである。
正体がなくなるくらい酔うことを「泥のごとし」などという。これを「ドロのごとし」
と読む人がいるが、「デイのごとし」が正しい。〝ドロ派〟の間違いは、
おそらく「泥(ドロ)のように眠る」からの連想だろう。
泥酔の「泥(デイ)」は中国の伝説に登場する骨のない架空の虫で、
南の海に棲んでいるという。水の中ではすこぶる元気だが、
水気を失うと一塊のドロのごとく、ふにゃふにゃになってしまう。
この様がまるで酔っ払いみたいだから、デイのごとく酔うことを
「泥酔(デイスイ)」と云ったのである。
Aと僕はデイのごとく酔いつぶれ、またまた家人の前で醜態をさらしてしまった。
「俺の法話は御利益があるからって、けっこう評判なんだよ」
などとAはしきりに自慢しておったが、酔いつぶれて蒲団に突っ伏し、
股ぐらをポリポリ搔いているような男の法話なんぞ、とても拝聴する気にならない。
翌朝、玉子かけご飯を旨そうに食べ、元気に出ていったAの背中に向かって、
僕は「また来いよ……和尚さん!」と心の中で声をかけた。
2 件のコメント:
山寺の和尚さんが次回お越しになるときは
新潟県のワインを土産に所望して下さい。和尚さんが仏門に入る前に洋酒メーカーにお勤めしていた由ですが寿屋ではありませんか?
小輩の田舎に寿屋と共同出資して株式会社となった”岩の原ぶどう園”があります。日本のワインの草分け的存在の川上善兵衛さんが創立したワイナーリーです。和尚さんも
きっとご存知のはずで ”不味い”とは
言わないと思いますよ(?)
次回は、今風に言って、爆酔して下さい。
匿名様
壽屋ではなく対抗馬のニッカウヰスキーのほうですね。この和尚は酒類だけでなく料理にも詳しく、とりわけフレンチに造詣が深い。フォアグラだとかキャビアに目がなく、実にとんでもない生臭なのであります。
さて、岩の原ワインのことですが、僕はまったく不案内ですが、たぶん和尚は知ってるでしょうね。かつて「日本のワインがおいしくなった」というテーマで取材をし、記事を書いたことがありますが、なるほど日本のワインはびっくりするくらいおいしくなっている。海外でも高い評価を得ているようですね。
わが家で飲んでいるのはごくごく安いワインで、テロワールがどうしたこうしたというような複雑精妙なグレートワインではないのです。安ワインだからこそ泥酔、いや爆酔してしまうのでしょうね。
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