歴史は石器時代から学ぶより現代から過去へ遡っていったほうが
断然面白い。父母の若かりし頃はどんな時代で、どんな唄がはやり、
どんな服が流行していたのか。そしてどんな悩みを悩んでいたのか。
祖父母の時代はどうだったか、曾祖父母は激動の明治をどう生きたのか。
そのまた高祖父母は佐幕派? それとも勤皇派? 秩父あたりの山猿がご先祖の
わが一族では、事績と呼べるようなものなどあるまいが、それでもご先祖さんが
どのようにして時代を生き抜いてきたのか、興味津々である。
歴史教育というのは、こうして身近な人間を感じながら過去を遡れば、
活きいきとした生気が吹き込まれてゆく。学ぶ側の興味だって持続する。
名も知らぬ古代人の生活を学ぶのは、ずっと後回しでいいのである。
今朝の読売新聞の三面に『生徒3割 日本史素通り』の見出しがあった。
高校の「地理歴史」の教科では、原則2科目が必修で、必ずとるべき世界史に
加え、日本史か地理のいずれかを選べばいいという。で、結果、生徒の3割前後
が日本史を履修していないらしい。
今年4月に実施した日韓共同の世論調査では、「日韓併合」を知らない日本人の
比率は26%(韓国は9%)、20歳代では33%(韓国13%)だったという。3人に1人が
韓国人の言う「日帝36年(韓国は数えで計算する)」を知らず、ヨン様だ
ヨンハちゃんだと騒いでいるのだから、これほどおめでたいことはない。
当然ながら、伊藤博文首相が安重根に暗殺されたことなど知るよしもない。
僕は「文科省なんかつぶしてしまえ」と数十年前から言いつづけている。
ゆとり教育にしろ何にしろ、文科省の繰り出す施策で、日本国や日本国民の
ためになったものが1つでもあったか? ゲスの勘ぐりかも知れないが、
中国や韓国を利することばかりやってきたのである。
多くの国では子供たちへの歴史教育はかなり意図的かつ作為的に行なわれている。
国家への帰属意識は、歴史の共有から生まれてくると堅く信じているからだ。
現代のようなグローバル化、ボーダーレス化時代にあっては、国家というものを
絶えず意識していなければ、「その他大勢」の国々の中に埋もれてしまう。
歴史的共同体、文化的共同体としての日本というものが亡くなってしまえば、
さほど特色はないけれど、金儲けだけはやたらうまい人たちが極東の島に
暮らしている――なんてことになってしまう。これでは軽侮されることはあっても
尊敬されることは決してない。三島由紀夫の『文化防衛論』の背景には、
こうした危機感が読み取れる。
NHKの『龍馬伝』のおかげ(というよりイケメン福山雅治のおかげ)で、わが家の
オンナ3匹は、突然、グレゴール・ザムザみたいに「歴女」に変身してしまった。
「ちょっと寺田屋を見に伏見まで」「ついでに京の土佐藩邸跡も見てこよおっと…」。
女房などは出張にかこつけて龍馬の足跡を丹念に辿っている。ちょっぴり頼りない
だろうけど、少なくともわが家だけは「文化防衛」の一翼を担う覚悟でいる。
イザ……。
4 件のコメント:
こんにちは。
個人の日本人が、欧米の輩に尊敬を受けることはあっても、民族・国家としての日本が尊敬の対象となることは、未来永劫ないでしょう。
戦後、最貧国から出発し、必死に活動してきた日本人に対し「エコノミックアニマル」と揶揄し嘲笑した本音が変化することは無いでしょう。ある意味民族的なDNAだと思います。
まぁ、それは欧米諸国の日本に対するというより、東洋に対する偽らざる本音と言ってもよいのではないでしょうか。
他方、中華思想が骨の髄まで染みた中国人は、そんなもの我関せずとやり過ごし、辺境の国日本は相対の中でしか自己の位置を確認しない。
歴史の必然性というのは大いなる幻想で、偶然の産物であると認識する方が本来のありようなんではないでしょうか。
人と言うのは「後ろ向き」に歩んでいて、来し方を見ながら、行く末を想像して踏み出す方向を決めている。もしかするとそこには底なしの亀裂が入っていることがあっても。
そういう意味で、人は歴史に学んではいると思います。
NICKさん
こんばんは。やけに悲観的なコメントですが、ありがとうございます。日本人は未来永劫、他国民から尊敬されることはない、という見解ですが、僕は必ずしもそうは思いません。シャイロックのままなら、一片の敬意さえ払われることはないでしょうが、日本人はごく最近まで、戦場で「身を鴻毛の軽きに置く」という自己犠牲の精神を忘れることはありませんでした。つまりNoblesse obligeに通ずる「名こそ惜しけれ」の精神であります。そうした美意識こそ民族的なDNAだと信じております。暖衣飽食して寝てばかりいると、ブタになっちゃいます。せいぜいノブレス精神の涵養につとめることにいたしましょう。
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
履歴書の添え状様
こんなろくでもないブログを読んでいただき、まことに恐縮。ブログは日記代わり、あるいは親戚や知人友人たちに「俺はまだ生きてるぞ」と近況を知らせる役目も果たしております。
これからもどうかご贔屓に。
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