ドイツはライン河畔にあるケルンという町に行ったとき、取材先の
レストランのオーナーが、店の前の通りを指さして、「この道をナポレオンが
進軍していったんだ」と誇らしげに語っていた。
ケルンkölnの語源はラテン語のコロニアcoloniaとされている。
すなわち植民地の意で、かつてこの町はローマ軍の植民市であり、
ナポレオンの占領地でもあった。ローマやフランスのコロニーであったのに、
なぜケルン市民はそのことを誇りに思うのか。
端的に云うと、おらが村さへ文明がやってきた! って感じだろうか。
「ちょっとばかり屈折した感情だけんども、北の地にあったおらが村は
ローマから見れば蛮族の棲む未開の地。そこに文明の光を引っ提げて、
遠くローマから小隊が送られてきた。占領されちまったけんど、
なんだか無性に嬉しい。これでようやくおれっちも、
輝ける文明人の仲間入りだわさ……」
フランスもかつてはガリアと呼ばれた蕃地だった。
そこにローマ軍がやってきて、あまねく文明の光を注いでくれた。
これがフランス中華思想の原形で、いまでもフランス人の心の中には、
ドイツなど周辺諸国を下目に見る華夷秩序に似た優越意識が、
ひっそりと息づいている。
「フランスにフランス人がいなかったら、どんなにすばらしいことか!」
などと、フランス以外の「夷狄」の人々は強烈な皮肉を言う。
フランス人嫌いが一様に難じるのはフランス人の傲慢さと愛想のなさだろう。
思想家の内田樹に云わせると、サービスというのは奴隷が主人に向かって
することだ、という意識があるため、愛想が悪ければ悪いほど、
社会的なポジションは上がっていく、と考えるのがフランス風なのだそうだ。
だからフランスの郵便局や銀行の窓口は、チョー不機嫌な人たちの見本市と相成る。
このぶっちょう面も中華思想の一環であるのなら、文明の意味って何なんだ、
ということになる。話変わって、サッカーのW杯でフランス代表が監督と衝突したり、
練習を拒否したり、サルコジ大統領が介入するほど内紛で大もめなのだという。
ああ、フランス人抜きのフランス代表だったら、どんなにすばらしいことか!
4 件のコメント:
労様;”ローマ軍がフランスに文明の光を注いでくれた”と同じように今回のブログも
知識の光を注いでくれました。きっと
難しい本なのでしょうがシーザーの”ガリア戦記”に挑戦しようと湧きたっています。ローマ軍がケルンを通過した時の様子が描かれていたら面白いでしょうね。
ケルンと言えば隣のデユッセルドルフに3ヶ月半程長期出張した事が有り、その間数度訪れました。駅から降りてライン対岸から眺める大聖堂の景色の素晴らしかったこと! 大聖堂広場の一角にフユーと言う名前と記憶していますが飲み屋があって、そこのビールが美味く、風邪に効くと言うことでガブ々飲んだものです。
出張が終りさて帰国土産は?となった時に
決めたのが”ケルン水、Koelnische Wasser 4711(Eau de Cologne)でした。そんなに高くもなく好評でした。石鹸もありましたね!
匿名様
ドイツはいろんな町を巡りましたが、何が楽しみといって、土地々で違うビールの味でした。あれはうまかった。僕は今でもベルギービールなどのエールを好んで飲んでますが、そのきっかけを作ったのがドイツでのビール体験でした。
ケルン水も最初は胃痛に効くと云ったように万能薬として売り出されたみたいですね。こんど腹を下したら、オー・デ・コロンを飲んでみようかしら。
労さん:確かにドイツの地ビールは良いね!
その数たるや日本の地酒以上でしょう。
一度訪問先のお客さんにご馳走になった田舎のレストランの苦味の利いた生の味が忘れず次に訪問した時帯同した日本の方と二人で
コッソリ呑みにいって堪能しました。ドイツの店なのにGolden Anchorと英語の名前を冠したレストランでした。
日本の地ビールは一定量以上作らねばならぬ規制があって誰でもが作るわけにいかず、規制が外されればもっと全国に多種多様な地
ビールが生まれることでしょう。
変ったビールと云えばデユッセルドルフで
コーヒー色した一杯100円のアルコール度の低いアルツと言うのがあり、何杯も飲めましたね。懐かしい! Kinder Beer,
子供用のビールがあったのに吃驚しました。
匿名様
コメントありがとう。日本の地ビール(最近はクラフトビールと呼ぶことも)も年間製造量規制が2000klから60klに緩和されましたので、けっこうバラエティに富んできました。僕は両国の「ポパイ」という店がひいきで、ご主人の青木さんとは懇意にさせてもらっています。いわゆるリアルエールも楽しめますから、機会があったら、ぜひ寄ってやってください。野球賭博のお相撲さんたちも常連です。
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