2010年6月30日水曜日

祭りのあとの寂しさは……

サッカーW杯、決勝トーナメントの日本対パラグアイ戦。
延長戦の末のPK戦で、日本は惜しくも敗退した。
PKの得意なDF駒野がまさかのミスキックをおかしてしまった。

わが家は全員が最後まで観戦。0対0の後半戦で、パラグアイがボールを持って
攻め上がったりすると、長女は「ダメ、キャーッ、ヤメテ、あっち行って!」と大絶叫。
深夜の隣近所に、おそらくブブゼラの130デシベルを超える騒音をまき散らした
ことだろう。うるさくて見てられない。

渋谷交差点や大阪・道頓堀あたりでは、おバカな若者たちが調子をこいて、
花火を打ち上げたり、堀に飛び込んだりしたという。若者ぎらいの
俺は、毎度のことながら「みんな溺れてしまえ!」と神に祈った。

全体に盛り上がりに欠け、技術的にも低調な対パ戦だったが、
あれが日本のまぎれもない現在ただ今の実力だと思えば、
(あの程度のレベルで、よく16強に残ったもんだ……)
と、むしろその幸運を喜ぶべきだろう。

サポーターたちは涙にくれながらも、
「感動をありがとう!」
「元気をもらいました」
「負けたけど、次につながる負け方でした」
などと、口々に叫んでは熱狂の余韻をかみしめていた。

(ああ、また『感動をありがとう』『次につながる負け』かよ……)
つむじ曲がりの俺はこの言葉が大きらい。
「いっぱい元気をもらいました!」
と叫ぶ安っぽい感動顔もきらい。何が元気をもらっただ、ケッ!

「背中を押してもらう」というのもイヤらしいな。他者依存型タイプ
の常套句で、不羈独立の精神がみごとに欠落している。
ためしに俺の背中を押してみな、ただじゃおかねえゾ。
な~んてヤー公みたいに凄みたくなっちまう。

「……をさせていただきます」
というのも自信がなさそうでイヤ。芸ノー人とか鳩山のお坊ちゃまがよく使ってる。
閨房のしとねでも幸夫人を前に「◎△☆◇……をさせていただきます」
なんて、ペコリと頭を下げているのかしらん。死ぬまでやってろ!

ああ、DF駒野よ、泣くんじゃねえ、泣くんじゃねえよォ。←新国劇のノリで
運がなかっただけで、だれもおまえを責めたりはしないさ。
おまえが悪いんじゃないんだ。ただヘタクソだっただけだ。←やっぱ責めてる
「イタリアの至宝」と呼ばれたあのロベルト・バッジョでさえPK戦に破れ、
ゴール前で呆然と立ちつくしていたではないか。
駒野よ! Walk tall. の精神だ。顔を上げろィ、胸を張れェ!

6 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

珍しく、負けて泣くプロの日本人選手を見たような気がします。

観客としては、やっぱり祭りの後の侘しさ感ですね。

日本人でよかった。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

Nick様
PK戦は非情ですね。失敗したら末代まで祟られる。だから「私は外してください」と監督に頼む選手もいると聞きます。僕も自信ないな。たぶんガチガチに固まっちゃうと思う。足はぶるぶる震えるだろうしね。失敗した仲間を慰める図は浪花節だけど、涙を誘うね。やっぱスポーツはいい。サッカーは正々堂々どころか反則のデパートみたいな競技だけど、それでもスポーツはいい。最近は、テレビではスポーツしか見ないし、スポーツしか信じられなくなってます。

匿名 さんのコメント...

労さんのおっしゃるように「感動を有難う!」「元気を貰いました」等々実に陳腐な表現だね。 負けて感動、元気も無いもんだ。こんな言葉が選手のハートを打ちますか?勇気付けると思いますか? もっと悔しがって欲しいな!

選手も「負けを素直に認めるa good loser」に止まることなく”糞!こんどは見とれ”と歯を食いしばって捲土重来を期して欲しい。

閑話休題: 野球は”フアン” テニスは
”パトロン” サッカーは”サポーター”と
何で違ってくるの? 観戦して楽しむのだから全部”ファン”で良いのじゃありませんか?

 

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様
 ゴルフはギャラリーというけど、オーガスタのマスターズに限ってはパトロンというらしいですね。もともと創設者のボビー・ジョーンズ等を後援していた人々、すなわちパトロンを試合に招待した、というところに発しているため、マスターズだけはパトロンと呼ぶのだそうです。
 テニスのことはよくわかりませんが、その発祥や歴史をたどると、限られた観客席のプラチナ・チケットを入手できる人たちは、ごく親しい支援者や高貴な人たちではなかったのか。
 どなたか詳しい人がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

Nick's Bar さんのコメント...

個人的考察です。

Gallery:もともと、何らかの構造物があることを前提としてそこに展示してある美術品などを鑑賞している人々を指しているのではないでしょうか。テニスはまさに人工のコートという構造物において、プレーヤーの所作を美術品として鑑賞している、少なくとも、そういう意識は名残をとどめているように思います。そのため、プレー中の応援は鑑賞の妨げになるので静粛を保つということが共同体の中では共通の記号として存在していると思います。ゴルフの場合は、ゴルフ場という仮想の自然空間を構造物として認知し、プレーヤーもしくはプレーそのものを鑑賞対象としていると捕らえているのではないでしょうか。これまたプレー中の応援はご法度。つまり、「Gallery」は鑑賞する主体のみを指すのではなく、鑑賞される側、鑑賞が行われる構造物(空間を含む)がそろった場合に、それを鑑賞している集団に当てはまる言葉ではないかと。日本語には厳密にこれに当てはまる単語は無いと思います。最初に使われだしたのがいつごろなのでしょうか。

Fan:単にそのスポーツが好きな人と言う以上の意味はないのではないように思います。Baseball FanもSoccer FanもTennis FanもGolf Fanも、単語の結びつきとして制限用法に抵触しているわけではないようですし。個人の性状をあらわす単語だと思います。

Patron:原義としてはラテン語の「父」であり、「擁護者、保護者」なのでしょう。テニスで言えばプレーする人間の社会的、経済的支援を行う人間のころ。ただ、プレーヤーを配下においてコントロールするという立場には無いと思います。支援に対する直接的な見返りは求めないと言う立場じゃないでしょうか。そうかんがえると、同時に、Fanである必要も、Galleryである必要もないといえるかと。

Supporter:サッカーファンの真部分集合ではないでしょうか。選手のプレーを楽しむこと、ご贔屓ゲームの勝利を期待すると同時に、声援を送り続けるという二義的なかつ能動的な参加の仕方によって定義される個人、もしくはその集合体。最近の野球もそれに近いファンが増えているように思います。

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

NICK様
すばらしい。語学の達人だけでなく言語学にも通じている。ざっと読んだだけではサッパリ分からなかったので、もういっぺん読み返してみます。