誤解を恐れずに云うと、エリート教育は必要だと思う。
よくnoblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)というような言い方をする。
哲学者のオルテガが『大衆の反逆』の中で使った言葉で、
高貴な身分の者には道徳的な義務がともなう、という意味である。
第一次世界大戦の時、イギリスの戦死者数の比率を階層別に見たところ、
貴族の死亡率が圧倒的に高かったという。つまり戦場では、
最前線で陣頭指揮を執り、砲煙弾雨の中、敵陣へまっ先に駆けだしたのは
貴族出身の将校たちだった。
ふだんはやんごとなき身分を約束されているが、一朝有事の際には、
市民の見本となるような高貴な生き方を身をもって示す。これが
noblesse obligeの意味である。
エリートとノン・エリートとはどこが違うのか?
簡単に云ってしまうと、責任をとるのがエリートで、
その必要がないのがノン・エリートだ。
わが国にも自称エリートはいっぱいいる。東大のそれも法学部卒の人たちなどは、
内心エリートだと自負しているだろう。それはそれでけっこうなのだが、
いざとなった時、noblesse obligeをどこまで実践できるかが問題だ。
ハト山のお坊ちゃまみたいに、銀のスプーンをくわえて生まれてきたにもかかわらず、
責任をとらずに中途で政権をおっ放り出す、なんていう出来損ないのエリートもいる。
総じて日本のエリートたちの多くは、めったに責任をとろうとしない。
その代表でもあるお坊ちゃまは、あろうことかあるまいことか、
「国民の皆さんが聞く耳を持たなくなってきた」などと、
自分の無能を棚に上げ、国民に責任をなすりつけようとさえしている。
あきれ果てた男である。これじゃ、一億総懺悔とか云って、
戦争責任に頬っかむりした先の大戦の指導者たちと同じである。
ハト山、じゃなくてサル山では、かわいい小猿ではなく大猿にエサをやろう。
いざとなったら群れを守るために外敵と戦うのだから、腹ペコじゃァつとまらない。
ハトよりサルのほうがnoblesse obligeの何たるかを知っている。
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