年のせいか、やけに涙もろくなってきた。
子育てまっ最中のヤングママさん。
背中に赤ん坊をおんぶし、前と後の荷台にちっちゃな子供を乗せ、
必死に自転車を漕いでいる。まるでサーカスの曲乗りみたいだ。
それでも昔のような所帯やつれ、といった湿っぽさはない。
髪ふり乱してがんばっている若いお母さんの姿を見ると、
つい目もとがうるみ、「がんばれよ!」と声をかけたくなってしまう。
(うちも20数年前はこんなふうだったな……)
どこかほろ苦い思い出の断片が、ちらと脳裏をかすめてゆく。
先月、老母の米寿を祝ってささやかな温泉旅行に繰り出したが、
母はすでに涅槃の境地に達しているのか、終始、童女のような笑顔で、
不肖の息子たちを見守っていた。まさに慈母観音菩薩そのものだった。
生気と水っけが抜け、若い頃の半分くらいに縮んでしまった老母のことを、
最近は毎日のように思い浮かべる。なぜ母のことが気になってしまうのか、
自分でもよく分からないのだが、時に「かあさん」などとこっそり呟いてみると、
不覚にも涙のごときものがあふれ出てきてしまう。
俗に親孝行と火の用心は先にしたほうがよい、などと云う。
しかし正直なところ、親から受けた養育の恩をどうやって返したらいいのか、
さっぱり分からないのだ。
母よ、おしえたまえ。
あなたはいま、幸せですか?
私はあなたの善き息子でしたか?
4 件のコメント:
こんなに母を思ってくれる息子がいるなんて、お母様は絶対にお幸せです。
母上は認知症は患っていらっしゃいませんか?ならば、今子らができる親孝行は、できるだけ頻繁に顔を見せに行くことだと思います。
世の中の母親は、たとえ不出来でも?子供たちの元気な顔を見るのが一番の幸せだ、と、現在二人の子供を独立させた私は思います。
ただし、私自身は一昨年の暮れに、姉弟の諍いを起こし、実の母親から「死ぬまで顔を見なくてよい」と追い出された身です。
会いに行かれる母親がいるというのは、それだけで自分も幸せですよ。
匿名さん、コメントありがとう。
おっしゃるとおり、孫なども連れて頻繁に顔を見せることでしょうね。実は私もそう思っているのです。親の老いを間近に見つめるというのはつらいものですが、真摯に向き合わなくてはいけませんね。温かいお言葉、感謝、感謝です。
親孝行様: 久しぶりに母の写真を眺め、小さく ”母ちゃん”と呼びかけました。
母の何回忌でしたでしょうか 訪れた旦那寺で見つけたポスターに 「100億の民に 100億の母あらむも 我が母に優る母 あらむや」とありました。
会いたいね 母ちゃん!
匿名さま
コメントありがとう。
誤解のないように言っておきますが、僕は親孝行でも何でもありません。ただ老母のことを想うと、なぜか鼻の奥のほうがツンとしてくる、と言ってるだけなのです。ヤキが回ったのでしょうね、いずれにしろ涙腺がゆるんできたのは老化現象の現れでしょう。面白いのは、思い出すのは母ばかりでおやじではないんですよね。おやじというのは追慕の対象ではないんですな。
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