毎週日曜日は「キャッチボールの日」である。
現在、メンバーは8名。全員が集まることはめったにないが、
都合のつくものたちが近くの小学校の校庭に、三々五々集まってくる。
創設メンバーはボクとシモちゃん。団地の管理組合で知り合った仲で、
キャッチを始めてもうかれこれ8年になる。数年後、やはり管理組合で
知り合ったトミさんが加わり、ずっとこの3人でやってきた。3人ともに
飲んべえで、キャッチのあとの〝反省会〟がまたお楽しみであった。
「反省会」といってもキャッチの上達に資するようなことは何もやっていない。
近所のコンビニで缶ビールとつまみを調達し、これまた団地内のちっちゃな
公園のベンチで、ビールを飲みながらバカッ話に花を咲かせる。
ただそれだけである。
反省とは、つまりこうした愚かな生き方を深く〝反省〟する、ということなのだ。
キャッチボールのどこが面白いのか――あんなもの、ただボールを投げて受けて、
そのくり返しじゃないの、と言うものがあるが、全然分かっておりませんな。
キャッチボールはいわば精神のエクササイズで、あれで立派な〝哲学〟なのですよ。
→『強い父さん、賢い母さん』参照
サラリーマンのシモちゃんとトミさんは、
「キャッチのあとに一杯やり、バカッ話で大笑いすると、なんかこう、
いやなことを忘れて、明日からまたがんばろうって気になるんだよな……」
なんて言っている。8年も続いているのは、案外そんなところに理由が
あるのかもしれない。
シモちゃんは今夏、会社帰りに同僚と酒を飲み、しこたま酔っぱらったあげく、
二人してタクシーにはねられ、入院してしまった。同僚は腰の骨を折り、
シモちゃんは頭部を激しく打って脳の髄液が流れ出そう、というところまでいった。
一時は再起不能かと囁かれもした。
しかし、われら飲んべえ仲間の想いが天に通じたのか、シモちゃんは奇跡的に快復。
しばらく運動と酒は医者から禁じられていたが、ようやくお許しが出て、いまは
以前と同じように投げたり走ったりしている。飲酒も完全復活だ。
友達というのはいいもんだ。
遠慮なく何でも言い合える仲というのはそうそうあるもんじゃない。
互いに「ああ、こいつも俺と同じバカなんだな」と、どこかで共感し合えないと
なかなか真の友達にはなれないものだ。
オトコという生き物は、大したことがない割には変に誇り高く、
ちょっとした物言いに傷ついたりする。見かけによらずナイーヴなのだ。
だから、遠慮せずズケズケものを言い合ってはいるのだが、心臓にグサリと
刺さるような言葉だけは微妙に避けている。「寸止め」が肝心なのだ。
その適正な間合いが大事で、こればっかりは年の功でつかむしかない。
裃を脱ぎ、変なプライドを捨て、徐々に〝オバサン化〟していくことが幸せへの道、
とボクは何度も「オジサンの生き方」について語ってきたが、
多く不器用でつぶしの利かないオジサンたちは、いまだに定年後の生き方に
逡巡している。
「そのカミシモ、さっさと脱いじゃったら?」
ボクはしかつめらしい顔をしたオジサンを見ると、つい声をかけたくなってしまう。
すでに〝80%オバサン化〟しているボクからみると、面子だとかプライドに
こだわって身動きできないオジサンたちが歯がゆくてしかたないのだ。
かの坂本龍馬も言っている。
《恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし》と。
ボクなんか本も書いているが、恥だって負けないくらいかいている。
どう転んだって聖人君子にはなれないのだから、それでいいのですよ。
迷えるオジサンたちよ、キャッチボールに興じながら人生を考えてみませんか。
←キャッチをしながら、そこはかとなく
人生を考えてしまう〝三バカ大将〟
の面々。
現在、メンバーは8名。全員が集まることはめったにないが、
都合のつくものたちが近くの小学校の校庭に、三々五々集まってくる。
創設メンバーはボクとシモちゃん。団地の管理組合で知り合った仲で、
キャッチを始めてもうかれこれ8年になる。数年後、やはり管理組合で
知り合ったトミさんが加わり、ずっとこの3人でやってきた。3人ともに
飲んべえで、キャッチのあとの〝反省会〟がまたお楽しみであった。
「反省会」といってもキャッチの上達に資するようなことは何もやっていない。
近所のコンビニで缶ビールとつまみを調達し、これまた団地内のちっちゃな
公園のベンチで、ビールを飲みながらバカッ話に花を咲かせる。
ただそれだけである。
反省とは、つまりこうした愚かな生き方を深く〝反省〟する、ということなのだ。
キャッチボールのどこが面白いのか――あんなもの、ただボールを投げて受けて、
そのくり返しじゃないの、と言うものがあるが、全然分かっておりませんな。
キャッチボールはいわば精神のエクササイズで、あれで立派な〝哲学〟なのですよ。
→『強い父さん、賢い母さん』参照
サラリーマンのシモちゃんとトミさんは、
「キャッチのあとに一杯やり、バカッ話で大笑いすると、なんかこう、
いやなことを忘れて、明日からまたがんばろうって気になるんだよな……」
なんて言っている。8年も続いているのは、案外そんなところに理由が
あるのかもしれない。
シモちゃんは今夏、会社帰りに同僚と酒を飲み、しこたま酔っぱらったあげく、
二人してタクシーにはねられ、入院してしまった。同僚は腰の骨を折り、
シモちゃんは頭部を激しく打って脳の髄液が流れ出そう、というところまでいった。
一時は再起不能かと囁かれもした。
しかし、われら飲んべえ仲間の想いが天に通じたのか、シモちゃんは奇跡的に快復。
しばらく運動と酒は医者から禁じられていたが、ようやくお許しが出て、いまは
以前と同じように投げたり走ったりしている。飲酒も完全復活だ。
友達というのはいいもんだ。
遠慮なく何でも言い合える仲というのはそうそうあるもんじゃない。
互いに「ああ、こいつも俺と同じバカなんだな」と、どこかで共感し合えないと
なかなか真の友達にはなれないものだ。
オトコという生き物は、大したことがない割には変に誇り高く、
ちょっとした物言いに傷ついたりする。見かけによらずナイーヴなのだ。
だから、遠慮せずズケズケものを言い合ってはいるのだが、心臓にグサリと
刺さるような言葉だけは微妙に避けている。「寸止め」が肝心なのだ。
その適正な間合いが大事で、こればっかりは年の功でつかむしかない。
裃を脱ぎ、変なプライドを捨て、徐々に〝オバサン化〟していくことが幸せへの道、
とボクは何度も「オジサンの生き方」について語ってきたが、
多く不器用でつぶしの利かないオジサンたちは、いまだに定年後の生き方に
逡巡している。
「そのカミシモ、さっさと脱いじゃったら?」
ボクはしかつめらしい顔をしたオジサンを見ると、つい声をかけたくなってしまう。
すでに〝80%オバサン化〟しているボクからみると、面子だとかプライドに
こだわって身動きできないオジサンたちが歯がゆくてしかたないのだ。
かの坂本龍馬も言っている。
《恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし》と。
ボクなんか本も書いているが、恥だって負けないくらいかいている。
どう転んだって聖人君子にはなれないのだから、それでいいのですよ。
迷えるオジサンたちよ、キャッチボールに興じながら人生を考えてみませんか。
←キャッチをしながら、そこはかとなく
人生を考えてしまう〝三バカ大将〟
の面々。
4 件のコメント:
嶋中労さま
こんばんは!
ただいま、夜なべが終わりました。身の丈に合ったお酒をあおり
白菜を72束、明日の出荷準備が終えたところです。
一つだけ引っかかりました。
それは、「すでに〝80%オバサン化」です。
柔軟性とオバサン化では似て非なのです。
イヤー 呑まれてます。
田舎者さま
♪ 父さんが夜なべをして、白菜を束ねてくれたァ……
いいですね、幸せそうで。ボクは夜、鍋をつつきながら身の丈に合わない酒を飲みました。
「(精神の)柔軟性とオバサン化」は矛盾している、とのご指摘。さすがに鋭いですな。
たしかにおっしゃるとおりで、二律背反的なところはあるのですが、
ボクの周囲にいるオバサンたちは、意外に柔軟性がありましてね、
一皮も二皮もむけて、仏様のようになっているのですよ。
あっ、ゴメン。「オバサン化」ではなく、渋皮がむけ枯淡の境地に入りつつある「オバアサン化」
の間違いでした。オバサンはまだオンナを捨てきれず、けっこう山っ気もありますからね。
そこへいくと、オバアサンはすっかり性(しょう)が抜けて、神様に近づきつつある。
ボクもだんだん〝神様〟になりつつあるんです。
誰だ? (便所)っ紙っていうやつは!
ROUさま、
キャッチボールすらせずに、バカっ話ししている場合はいかように解釈すればよいのでせうか。
まぁ、それはそれで一興でせうか?
NICKさま
NICKはテニスのラケットを振っているせいか手首のスナップが強く、剛速球を投げ込みます。
ただし、悲しいかな球道が定まらない。投げるたびにあっち行ったりこっち行ったり……
時には地面に叩きつけたりします。
キャッチボールはボールだけでなく〝優しい心〟の応酬でもありますから、
まずその〝根性曲がり〟から矯正していかなくてはなりませんね。
バカッ話も言葉のキャッチボールですから、まったく問題ありません。
ただそこには自ずと機知と諧謔を潜めるべきでしょうね。
バカッ話はバカではできないのです。
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