昨夜はキャッチボール仲間のシモちゃんと「巨人-DeNA戦」を見てきた。
日本のプロ野球にはまったく興味がなく、テレビも見たことがないが、
せっかくのお誘いだからと、デパ地下で弁当やつまみを仕込み、
東京ドームへと向かった。
指定の外野席はセンターとライトのちょうど中間あたり。目の前には巨人の
長野(ちょうの)選手が見える。試合前の練習風景をちょろっと覗いたが、
やはりプロの選手はちがう。距離70~80メートルはあろうかと思われるキャッチボールも、
手首をひょいと返すだけで、矢のような球を投げ返すことができる。
ボクたちは〝遠投〟と称して腕も折れよとばかり力いっぱい投げるが、
球は山なりで、へたすりゃ蝶々がとまりそうである。イチローのレーザービームは
あいにく見たことないが、彼らの練習風景を見れば、だいたい想像はつく。
たぶん恐っそろしく速いのだろう。
日本のプロ野球は見ないがアメリカのMLBは見る、と言ったらイヤミに聞こえようか。
実際、メジャーの選手なら名前もそらで言えるのだが、日本のプロ野球選手は
巨人なら阿部と長野くらいしか知らない。アメリカ嫌いのボクがなぜMLBびいき
なのか? 理由は簡単。選手一人一人が個性的で、技術も一流だからだ。
日本のプロはどうか。技術はまあ一流の部類だろうが、個性的とは言えまい。
それはバッターボックスに立った時の選手の構えを見ればわかる。
金太郎飴みたいに、どいつもこいつもみな同じなのだ。たぶん高校野球を
やっていた頃におバカな監督や先輩に個性をつぶされ、バッティングフォームを
矯正されてしまうのだろう。何ごとも『枠に入って枠を出でよ』の精神が大事なのに、
どの選手も枠に入ったままで終わってしまう。
みんな同じ、というのは応援風景にも表れている。 日本的風土というよりアジア的
風土なのか、応援団はどこも鳴り物入りで、ドンチャカドンチャカ、プープカプープカ、
それはやかましい。騒音嫌いのボクは、MLBのように静かに観戦できないものかと、
切実に思う。
昨夜の席もちょうど巨人応援団のど真ん中という最悪の場所で、
周りはジャイアンツカラーのオレンジ一色。それも熱狂的なファンばかりで、
巨人が攻める番になると全員立ち上がり、
〝レッツゴー レッツゴー、○△×◆!〟
などと叫び、振り付けよろしく手を振ったり跳びはねたり……実にうるさい。
そんな中で、二人だけ弁当をつまみビールを飲んでいると、完全に浮いてしまい、
周囲からの視線も冷たいものになりそうなので、オジサン二人はシャクトリムシが
木の小枝に自らを似せ、目立たなくするように〝擬態〟を演じることにした。
一緒になって立ち上がり、レッツゴー、レッツゴーと蛮声を張りあげるのである。
なんだか、自分で自分が情けなくなってきた。
そんな沈滞ムードの中、唯一の救いがビール売りのおネエちゃんたちだった。
「一番搾り」「スーパードライ」「ヱビス」と銘柄ごとに重いタンクを背負ったホットパンツ
のおネエちゃんが、懸命に階段を上り下りしながら笑顔を振りまいている。
ボクは若い娘たちのこの懸命さと健気さにすこぶる弱い。
おまけにどの娘もAKB48みたいにカワユイ。
オジサンは財布のヒモをゆるめ、健気な花売り娘ならぬビール売り娘に
やさしく声をかけてはビール(1杯800円は高すぎるよ!)を注文し、
「重くて大変だね、がんばってね」などといたわりの声をかけた。
その猫なで声にシモちゃんは呆れ、軽侮の目でボクを見た。
ボクは白ぱっくれた。
正直、野球は面白くなかった。外野席だから選手やプレイがよく見えないし、
ひたすら応援がうるさい。いったい何しに来たの?
決まってるでしょ、ビールを飲みに来たのですヨ。それと人間観察。
相方のシモちゃんは、
「あのやかましさに堪えるのは大変だったけど、すべては心の修行だからな」
などと、生悟りの禅坊主みたいなことを言っておった。
唯一の収穫は、老若男女を問わず、熱狂的な野球ファンがいるってことが
わかったこと。彼らは揃いの衣裳をまとい、同じ歌を歌い、同じ振り付けをする。
Jリーグの応援も似たようなもので、これはもう日本人に染みついたDNAといっていい。
となると、「付和雷同」的な行為いっさいをきらっているボクは日本人ではないのか。
小林秀雄は初期の作品『一つの脳髄』の中で、
同じ連絡船に乗り合わせた他の客たちと、いっしょになって波に揺られることに
たまらない嫌悪感をおぼえる。
《これらの人々が、皆醜い奇妙な置物のように黙って船の振動で
ガタガタ震へて居るのだ。自分の身体も勿論、彼らと同じリズムで
慄へなければならない。それが堪らなかった。然し自分だけが慄へない
方法は如何しても発見できなかった……》
この文章に接した時、ボクは震えるほど共感したのを憶えている。
たしか高校生の頃だった。
他者を〝受容〟できない精神状態を、
心理学的には「解離型心理状態」といい、
人間が十分に成熟しきっていないのだそうだ。
ああ、還暦をとうに過ぎたというのに、
いまだ〝他者〟を受け容れられない自分がいる。
困ったもんだとは思うが、このままでいいと囁くもう一人の自分もいる。
←典型的なアジア的風景がこれ。
むかし、支那の軍隊は夜襲をかける時
必ずドラを叩いたという。だから、敵側に
すぐわかってしまった、というオチが
あるけど、「鳴り物」入りというマヌケな
風習は、支那人あたりから伝わったもの
なんでしょうかねェ。
日本のプロ野球にはまったく興味がなく、テレビも見たことがないが、
せっかくのお誘いだからと、デパ地下で弁当やつまみを仕込み、
東京ドームへと向かった。
指定の外野席はセンターとライトのちょうど中間あたり。目の前には巨人の
長野(ちょうの)選手が見える。試合前の練習風景をちょろっと覗いたが、
やはりプロの選手はちがう。距離70~80メートルはあろうかと思われるキャッチボールも、
手首をひょいと返すだけで、矢のような球を投げ返すことができる。
ボクたちは〝遠投〟と称して腕も折れよとばかり力いっぱい投げるが、
球は山なりで、へたすりゃ蝶々がとまりそうである。イチローのレーザービームは
あいにく見たことないが、彼らの練習風景を見れば、だいたい想像はつく。
たぶん恐っそろしく速いのだろう。
日本のプロ野球は見ないがアメリカのMLBは見る、と言ったらイヤミに聞こえようか。
実際、メジャーの選手なら名前もそらで言えるのだが、日本のプロ野球選手は
巨人なら阿部と長野くらいしか知らない。アメリカ嫌いのボクがなぜMLBびいき
なのか? 理由は簡単。選手一人一人が個性的で、技術も一流だからだ。
日本のプロはどうか。技術はまあ一流の部類だろうが、個性的とは言えまい。
それはバッターボックスに立った時の選手の構えを見ればわかる。
金太郎飴みたいに、どいつもこいつもみな同じなのだ。たぶん高校野球を
やっていた頃におバカな監督や先輩に個性をつぶされ、バッティングフォームを
矯正されてしまうのだろう。何ごとも『枠に入って枠を出でよ』の精神が大事なのに、
どの選手も枠に入ったままで終わってしまう。
みんな同じ、というのは応援風景にも表れている。 日本的風土というよりアジア的
風土なのか、応援団はどこも鳴り物入りで、ドンチャカドンチャカ、プープカプープカ、
それはやかましい。騒音嫌いのボクは、MLBのように静かに観戦できないものかと、
切実に思う。
昨夜の席もちょうど巨人応援団のど真ん中という最悪の場所で、
周りはジャイアンツカラーのオレンジ一色。それも熱狂的なファンばかりで、
巨人が攻める番になると全員立ち上がり、
〝レッツゴー レッツゴー、○△×◆!〟
などと叫び、振り付けよろしく手を振ったり跳びはねたり……実にうるさい。
そんな中で、二人だけ弁当をつまみビールを飲んでいると、完全に浮いてしまい、
周囲からの視線も冷たいものになりそうなので、オジサン二人はシャクトリムシが
木の小枝に自らを似せ、目立たなくするように〝擬態〟を演じることにした。
一緒になって立ち上がり、レッツゴー、レッツゴーと蛮声を張りあげるのである。
なんだか、自分で自分が情けなくなってきた。
そんな沈滞ムードの中、唯一の救いがビール売りのおネエちゃんたちだった。
「一番搾り」「スーパードライ」「ヱビス」と銘柄ごとに重いタンクを背負ったホットパンツ
のおネエちゃんが、懸命に階段を上り下りしながら笑顔を振りまいている。
ボクは若い娘たちのこの懸命さと健気さにすこぶる弱い。
おまけにどの娘もAKB48みたいにカワユイ。
オジサンは財布のヒモをゆるめ、健気な花売り娘ならぬビール売り娘に
やさしく声をかけてはビール(1杯800円は高すぎるよ!)を注文し、
「重くて大変だね、がんばってね」などといたわりの声をかけた。
その猫なで声にシモちゃんは呆れ、軽侮の目でボクを見た。
ボクは白ぱっくれた。
正直、野球は面白くなかった。外野席だから選手やプレイがよく見えないし、
ひたすら応援がうるさい。いったい何しに来たの?
決まってるでしょ、ビールを飲みに来たのですヨ。それと人間観察。
相方のシモちゃんは、
「あのやかましさに堪えるのは大変だったけど、すべては心の修行だからな」
などと、生悟りの禅坊主みたいなことを言っておった。
唯一の収穫は、老若男女を問わず、熱狂的な野球ファンがいるってことが
わかったこと。彼らは揃いの衣裳をまとい、同じ歌を歌い、同じ振り付けをする。
Jリーグの応援も似たようなもので、これはもう日本人に染みついたDNAといっていい。
となると、「付和雷同」的な行為いっさいをきらっているボクは日本人ではないのか。
小林秀雄は初期の作品『一つの脳髄』の中で、
同じ連絡船に乗り合わせた他の客たちと、いっしょになって波に揺られることに
たまらない嫌悪感をおぼえる。
《これらの人々が、皆醜い奇妙な置物のように黙って船の振動で
ガタガタ震へて居るのだ。自分の身体も勿論、彼らと同じリズムで
慄へなければならない。それが堪らなかった。然し自分だけが慄へない
方法は如何しても発見できなかった……》
この文章に接した時、ボクは震えるほど共感したのを憶えている。
たしか高校生の頃だった。
他者を〝受容〟できない精神状態を、
心理学的には「解離型心理状態」といい、
人間が十分に成熟しきっていないのだそうだ。
ああ、還暦をとうに過ぎたというのに、
いまだ〝他者〟を受け容れられない自分がいる。
困ったもんだとは思うが、このままでいいと囁くもう一人の自分もいる。
←典型的なアジア的風景がこれ。
むかし、支那の軍隊は夜襲をかける時
必ずドラを叩いたという。だから、敵側に
すぐわかってしまった、というオチが
あるけど、「鳴り物」入りというマヌケな
風習は、支那人あたりから伝わったもの
なんでしょうかねェ。
2 件のコメント:
野球という種目には全く興味の無い愚生、そして、蹴球となれば、テレビジョンの解説者にでもなれる愚生・・・一言物申します。「応援」というのは単なる宗教行事ですので、労師のお考えは正しいが、「観戦」という見地からは、野球と蹴球は全く異なものであります。
野球に関しては、額に汗して働く米国の低層階級が日々のうっぷんを晴らすためにどこから観戦しても所詮は大差ない競技場が作られ、多少の階級意識を持たせるため、内野席だ、ネット裏だという差別化をはかっていますが、蹴球とオペラは欧州に生まれ、その長い歴史の中で、労働者と貴族の観戦する席は全く違うものと位置付けております。そして、貴族の遊びである観戦方式と試合の構成上、米国の低層労働者向けのようなビール売りなんざぁ蹴球場のスタンドには廻ってくる余地が無いのです。キックオフから試合終了のホイッスルまで席を立つなんざぁ愚者の行為であり、観戦の妨害に他ならないからです。
それから、あのJリーグのゴール裏に棲息する宗教家軍団は、試合そのものはそっちのけで、あたかも半島北部の国家のマスゲームのような一糸乱れぬ応援合戦に力を注いでおりますが、愚生を含め、「蹴球を観戦する貴族」は、メインスタンドのできる限り中央上段に席を設け、俯瞰で「ピッチ上のチェス」を楽しむのであります。
ところが・・・昨今では貴族席にもその「ゴール裏カルト」レベルの信心を持たぬくせに、そこそこ宗教色に染まった下賤の者どもが侵食してきており、貴族にとっては苦々しい光景を目の当たりにさせられることが増えてまいりました。
さて・・・そんなことを言いながら、近々、労師を日本初の蹴球専用試合場として名高い「大宮公園サッカー場」(愚生は「Nack5スタジアム」と呼ぶのは大嫌いです)にご招待いたしましょう。何しろ、愚生は貴族ゆえ、貴族席を2席有しておりますので。尚、観戦しながらのビールは禁じられておりませんのでご心配なく。(そう言っておいて、ご一緒する時に、橙色のレプリカユニフォームなんぞを着用している愚生を見たら、労師には「キサマなんざぁ生きる価値が無いわいっ!」とお叱りを受けるのではないかとヒヤヒヤしつつ・・・しかも、実は貴族ヅラしているけれど、平安末期の下級公家の状態であることも---既にご承知の通りでしょうが---)
迂塞齋様
ご丁寧な解説、畏れ入ります。まったく知りませんでした。
迂塞齋さんは博覧強記であらせられるから、ボクも勉強になります。
もっとも、どーでもいい話がほとんどなので、気楽に拝聴できますが……
野球はMLB、サッカーは日本代表戦しか観ません。
むかしはJリーグの試合も観ていた(Jリーグ発足当時の数年)のですが、
最初から最後までピョンピョン跳ね、応援歌をがなり立てるあのアジア的光景に
嫌気がさし、観る気力が失せてしまったのです。
「大宮公園サッカー場」(←なんかダサイ呼び名だな)の貴族席に招待してくれるというお話、
痛み入ります。低層階級労働者である私のような下賤の身が、そのような畏れ多い席に座っても
よろしいのでしょうか。バチが当たらないでしょうか。
ボクはもう歳なので、宗教家軍団に似せた〝擬態〟を演じるのだけはお断りしたい。
心静かに弁当をつかい、ビールを愉しみたいのです。そのため、いつだって耳栓を用意して
おります。こんな不心得者でよかったら、いつでもお伴させてください。
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