敗戦処理に当たった、時の吉田茂外相は、
皇居のお濠端にある進駐軍総司令部に出かけていき、
マッカーサー連合国軍最高司令官に向かってこう切り出したそうだ。
「GHQとはどういう意味ですか?」
「ジェネラル・ヘッドクォーターズの略で……」
と勿体ぶって答えるマッカーサーに、
「ああ、そうでしたか、私はてっきりGo home quickly! の略かと思ってましたよ」
と、とぼけた顔で言い返したという。
マッカーサーの苦々しげな顔が目に浮かぶようだ。
「和製チャーチル」と呼ばれた吉田には巧まざるユーモアがあった。
ユーモアといえば、世間では英国人の専売特許のようにいわれている。
『遙かなるケンブリッジ』『国家の品格』などを書いた藤原正彦も、
「イギリスで最も大切なものはユーモアだ」
とユーモアの大切さを説いている。
では「ユーモア」とは何か。
説明するのはなかなかむつかしいが、
共通するのは、「いったん自らを状況の外に置く」
「自分を相手より下目に置く」、つまり自分をバカに見立てる、という姿勢だ。
そして対象にのめり込まず、適正な距離をキープする。
その心の余裕がユーモアの源泉となる。
ユーモアが最も力を発揮するのは、危機的状況に立たされた時だ。
戦時中、日本軍がシンガポールを占領し、在留のイギリス軍が
撤退せざるを得なくなった時、現地の市民が、
「どうした? イギリス兵1人は日本兵10人に匹敵する、と自慢してたじゃないか!」
と言うと、イギリス兵は、
「いやなに、日本兵が11人来ちまったんでな」
いけしゃあしゃあと言ってのけたという。
日本人だって負けてはいない。
戦争中の「ぜいたくは敵だ」の貼り紙に一文字つけ加えて「ぜいたくは素敵だ」に
書き替えたり、男たちを戦地にとられた女たちが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の
「工」の字を消し、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」にするなど、やんわりとした政府批判
もこめ、旺盛なユーモア感覚を発揮した。
どんなに頭がよくても、家柄が立派でも、また人格が高潔であっても、
ユーモアがなければ紳士の資格がない――英国人の多くはこう考えるという。
自分で言うのも何だが、ボクは比較的ユーモアのある人間だと思っている。
が、危機的状況に立たされた時、そのユーモア感覚が十二分に発揮される
かどうかはわからない。ただ、そう努めたいとは思っている。
江戸の文人・狂歌師に大田南畝(蜀山人)という男がいる。
世の中に 金と女は仇なり どうか仇にめぐり会いたし
世の中に 絶えて女のなかりせば おとこの心 のどけからまし
日本人は堅苦しくて笑いのない民族だ、なんていったい誰が決めつけたのかねェ。
わが団地の裏手に「うけら庵跡」というのがある。
江戸期、その大田蜀山人が詩歌の会などでよく訪れたという庵である。
世の中に 蚊ほど(かほど)うるさきものはなし ぶんぶ(文武)といひて夜もねられず
これは文武を奨励した松平定信の寛政の改革を皮肉った狂歌だが、
あいにくお上の逆鱗に触れ、きびしい取り調べを受けたという。
日本の小役人どもは、今も昔もユーモア感覚に欠けますね。
←蜀山人が愛した「うけら庵」。
写真中央に見える高い建物がボクの住む
団地の一部です
※ひとくち知識
大田蜀山人こと大田南畝は江戸後期の文人。
川柳や狂歌をサイドビジネスで町人に教えていた。
また有能な官僚でもあって、一時、長崎奉行所に
勤務していたことがある。紅毛船にて茶菓の供応
を受けた折、はじめてコーヒーという飲み物を喫する。正直な感想を日誌にこう綴った。
《焦げ臭くて味ふるに堪えず……》
皇居のお濠端にある進駐軍総司令部に出かけていき、
マッカーサー連合国軍最高司令官に向かってこう切り出したそうだ。
「GHQとはどういう意味ですか?」
「ジェネラル・ヘッドクォーターズの略で……」
と勿体ぶって答えるマッカーサーに、
「ああ、そうでしたか、私はてっきりGo home quickly! の略かと思ってましたよ」
と、とぼけた顔で言い返したという。
マッカーサーの苦々しげな顔が目に浮かぶようだ。
「和製チャーチル」と呼ばれた吉田には巧まざるユーモアがあった。
ユーモアといえば、世間では英国人の専売特許のようにいわれている。
『遙かなるケンブリッジ』『国家の品格』などを書いた藤原正彦も、
「イギリスで最も大切なものはユーモアだ」
とユーモアの大切さを説いている。
では「ユーモア」とは何か。
説明するのはなかなかむつかしいが、
共通するのは、「いったん自らを状況の外に置く」
「自分を相手より下目に置く」、つまり自分をバカに見立てる、という姿勢だ。
そして対象にのめり込まず、適正な距離をキープする。
その心の余裕がユーモアの源泉となる。
ユーモアが最も力を発揮するのは、危機的状況に立たされた時だ。
戦時中、日本軍がシンガポールを占領し、在留のイギリス軍が
撤退せざるを得なくなった時、現地の市民が、
「どうした? イギリス兵1人は日本兵10人に匹敵する、と自慢してたじゃないか!」
と言うと、イギリス兵は、
「いやなに、日本兵が11人来ちまったんでな」
いけしゃあしゃあと言ってのけたという。
日本人だって負けてはいない。
戦争中の「ぜいたくは敵だ」の貼り紙に一文字つけ加えて「ぜいたくは素敵だ」に
書き替えたり、男たちを戦地にとられた女たちが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の
「工」の字を消し、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」にするなど、やんわりとした政府批判
もこめ、旺盛なユーモア感覚を発揮した。
どんなに頭がよくても、家柄が立派でも、また人格が高潔であっても、
ユーモアがなければ紳士の資格がない――英国人の多くはこう考えるという。
自分で言うのも何だが、ボクは比較的ユーモアのある人間だと思っている。
が、危機的状況に立たされた時、そのユーモア感覚が十二分に発揮される
かどうかはわからない。ただ、そう努めたいとは思っている。
江戸の文人・狂歌師に大田南畝(蜀山人)という男がいる。
世の中に 金と女は仇なり どうか仇にめぐり会いたし
世の中に 絶えて女のなかりせば おとこの心 のどけからまし
日本人は堅苦しくて笑いのない民族だ、なんていったい誰が決めつけたのかねェ。
わが団地の裏手に「うけら庵跡」というのがある。
江戸期、その大田蜀山人が詩歌の会などでよく訪れたという庵である。
世の中に 蚊ほど(かほど)うるさきものはなし ぶんぶ(文武)といひて夜もねられず
これは文武を奨励した松平定信の寛政の改革を皮肉った狂歌だが、
あいにくお上の逆鱗に触れ、きびしい取り調べを受けたという。
日本の小役人どもは、今も昔もユーモア感覚に欠けますね。
←蜀山人が愛した「うけら庵」。
写真中央に見える高い建物がボクの住む
団地の一部です
※ひとくち知識
大田蜀山人こと大田南畝は江戸後期の文人。
川柳や狂歌をサイドビジネスで町人に教えていた。
また有能な官僚でもあって、一時、長崎奉行所に
勤務していたことがある。紅毛船にて茶菓の供応
を受けた折、はじめてコーヒーという飲み物を喫する。正直な感想を日誌にこう綴った。
《焦げ臭くて味ふるに堪えず……》
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