わが家のジジとババ(ボクたち夫婦のことです)はとても口うるさい。
いつも何かに向かって咆えている。咆える対象(娘たちです)がいなくなった今、
今度はテレビに向かって咆えている。やれ芸能人の箸の持ち方がなってないだとか、
「やべぇ」「すげぇ」などと言葉がうす汚いだとか、何かにつけ咆えまくっている。
イタリア語にうるさい女房などは、これまたテレビ画面に向かって、
「カフェ・ラテじゃなくてカフェ・ラッテ。ルッコラじゃなくルーコラよ。何度言ったらわかるの!」
と、ガミガミ怒鳴ってる。「何度言ったらわかるの」と言われてもねェ……
というわけで、今回は「わが家のきらいなしぐさ」がテーマ。
①おまえは「首ふりペコちゃん人形」か?
近頃、首を上下にふりながらしゃべる人が増えている。テレビなどの街頭インタビュー
か何かでマイクを向けられた人は、8割方首をふっている。自分のしゃべったことに
対して相手が首肯する前に、自分から「ウン、ウン」とうなずく感じで、相手に
「同意してくれませんか?」と促しているようにも見える。外国人はまずやらないしぐさ
なので、そのうち〝クール・ジャパン〟の1つに数えられるかもしれない。
しかし、あんまりふりすぎると首の骨を痛めるかもしれないので要注意だ。
②どっちかひとつにしてくれ!
日本人は外国人に挨拶する時、握手をしながらおじぎをする。日本の閣僚が
外国の要人に対してこれをやる時がよくあるが、あれは実にみっともない。
支那の臭菌屁などは、朝貢団を迎えるみたいに胸を反らし、偉そうに握手をするが、
基本的にはあれでいい。卑屈にぺこぺこ頭を下げているほうがおかしいのだ。
握手をするなら握手だけ。おじぎをするならおじぎだけ。両方を同時にやろうとするから、
「世界一卑屈な民族」に見えてしまう。
③相手の目を見ろ!
シャイな国民性というのはわかる。日本人はたしかに恥ずかしがり屋で、
特に外国人(白人)に対すると、借りてきた猫みたいに押し黙ってしまう。そして得意の
〝うす笑い〟である。人と話をする時、相手の目を見ずあらぬところを見ているような
人間は外国ではペケである。「何かよからぬことを考えている」と受けとられ、信用され
ないのだ。サッカーやバレーボールの国際試合などで、相手チームと代わる代わる
握手を交わすシーンがあるが、日本の選手たちはほとんど相手の目を見ていない。
みな〝あさっての方向〟を見ながら、機械的に握手をしている。あれって、
典型的なill-manner(不作法)だと思うんだけど、監督とかコーチは、そういうことは
指導しないのかしら。握手をする時は相手の目を見る。これがジョーシキです。
④悲しい時にニヤニヤするな!
話す時、決まってニコニコうす笑いをしながらしゃべる人がいる。ボクの友人にもいたが、
ハッキリ言って気持ちがわるい。ボクは喜怒哀楽を出したほうがいい、と考える人間で、
「顔で笑って、心で泣いて」といった曲芸まがいのことはできないし、したくない。
悲しい時は男も女もなく、思いっきり泣けばいいし、嬉しい時は喜びを素直に爆発
させればいい。ただ、朝鮮の人たちみたいに大仰に泣いたり喚いたりするのは
みっともない。そこには自ずと慎みというものがある。
拉致被害者の会の横田滋・早紀江夫妻の早紀江さんのほうはいいが、旦那の滋
氏はどうもいけない。話す際にいつも口もとに笑みを浮かべているのである。たぶん
クセになっているのだと思われるが、娘が北朝鮮に拉致され、悲しい運命に翻弄され
ている身なのである。「口びるに微笑みを!」は余計でしょう。というより、不謹慎です。
ボクは「シンプルに生きる」をモットーにしているので、ややこしいことは好まないし、
自分でもやらない。自然児みたいに喜怒哀楽をハッキリさせ、相手に「この人、とっても
わかりやすい」と思わせるようにしている。〝単純な人〟と思われるのがボクの理想だ。
⑤口もとを手で隠すんじゃない!
多くの日本人女性は、笑う時、口もとを手で隠す。あれはお歯黒をしていた時代の
名残だというが、あのしぐさ、ボクは好きじゃない。歯を見せて笑うことが不作法には
思えないからだ。むしろ手で覆い隠すしぐさのほうが不自然で異様に見える。
あれって、条件反射的に手で蔽っちゃうんだろうね。そういう遺伝子が日本女性に
組み込まれているのかもしれない。でもね、あのしぐさ、やっぱりおかしいよ。
奥床しくて素敵、と思う人もいるだろうけど、少なくともボクはきらい。自然に歯を見せ
笑ったほうがずっとずっと美しいし、かっこいい。
←最近は韓国の女優にもこの〝病気〟が
うつったもよう。
いつも何かに向かって咆えている。咆える対象(娘たちです)がいなくなった今、
今度はテレビに向かって咆えている。やれ芸能人の箸の持ち方がなってないだとか、
「やべぇ」「すげぇ」などと言葉がうす汚いだとか、何かにつけ咆えまくっている。
イタリア語にうるさい女房などは、これまたテレビ画面に向かって、
「カフェ・ラテじゃなくてカフェ・ラッテ。ルッコラじゃなくルーコラよ。何度言ったらわかるの!」
と、ガミガミ怒鳴ってる。「何度言ったらわかるの」と言われてもねェ……
というわけで、今回は「わが家のきらいなしぐさ」がテーマ。
①おまえは「首ふりペコちゃん人形」か?
近頃、首を上下にふりながらしゃべる人が増えている。テレビなどの街頭インタビュー
か何かでマイクを向けられた人は、8割方首をふっている。自分のしゃべったことに
対して相手が首肯する前に、自分から「ウン、ウン」とうなずく感じで、相手に
「同意してくれませんか?」と促しているようにも見える。外国人はまずやらないしぐさ
なので、そのうち〝クール・ジャパン〟の1つに数えられるかもしれない。
しかし、あんまりふりすぎると首の骨を痛めるかもしれないので要注意だ。
②どっちかひとつにしてくれ!
日本人は外国人に挨拶する時、握手をしながらおじぎをする。日本の閣僚が
外国の要人に対してこれをやる時がよくあるが、あれは実にみっともない。
支那の臭菌屁などは、朝貢団を迎えるみたいに胸を反らし、偉そうに握手をするが、
基本的にはあれでいい。卑屈にぺこぺこ頭を下げているほうがおかしいのだ。
握手をするなら握手だけ。おじぎをするならおじぎだけ。両方を同時にやろうとするから、
「世界一卑屈な民族」に見えてしまう。
③相手の目を見ろ!
シャイな国民性というのはわかる。日本人はたしかに恥ずかしがり屋で、
特に外国人(白人)に対すると、借りてきた猫みたいに押し黙ってしまう。そして得意の
〝うす笑い〟である。人と話をする時、相手の目を見ずあらぬところを見ているような
人間は外国ではペケである。「何かよからぬことを考えている」と受けとられ、信用され
ないのだ。サッカーやバレーボールの国際試合などで、相手チームと代わる代わる
握手を交わすシーンがあるが、日本の選手たちはほとんど相手の目を見ていない。
みな〝あさっての方向〟を見ながら、機械的に握手をしている。あれって、
典型的なill-manner(不作法)だと思うんだけど、監督とかコーチは、そういうことは
指導しないのかしら。握手をする時は相手の目を見る。これがジョーシキです。
④悲しい時にニヤニヤするな!
話す時、決まってニコニコうす笑いをしながらしゃべる人がいる。ボクの友人にもいたが、
ハッキリ言って気持ちがわるい。ボクは喜怒哀楽を出したほうがいい、と考える人間で、
「顔で笑って、心で泣いて」といった曲芸まがいのことはできないし、したくない。
悲しい時は男も女もなく、思いっきり泣けばいいし、嬉しい時は喜びを素直に爆発
させればいい。ただ、朝鮮の人たちみたいに大仰に泣いたり喚いたりするのは
みっともない。そこには自ずと慎みというものがある。
拉致被害者の会の横田滋・早紀江夫妻の早紀江さんのほうはいいが、旦那の滋
氏はどうもいけない。話す際にいつも口もとに笑みを浮かべているのである。たぶん
クセになっているのだと思われるが、娘が北朝鮮に拉致され、悲しい運命に翻弄され
ている身なのである。「口びるに微笑みを!」は余計でしょう。というより、不謹慎です。
ボクは「シンプルに生きる」をモットーにしているので、ややこしいことは好まないし、
自分でもやらない。自然児みたいに喜怒哀楽をハッキリさせ、相手に「この人、とっても
わかりやすい」と思わせるようにしている。〝単純な人〟と思われるのがボクの理想だ。
⑤口もとを手で隠すんじゃない!
多くの日本人女性は、笑う時、口もとを手で隠す。あれはお歯黒をしていた時代の
名残だというが、あのしぐさ、ボクは好きじゃない。歯を見せて笑うことが不作法には
思えないからだ。むしろ手で覆い隠すしぐさのほうが不自然で異様に見える。
あれって、条件反射的に手で蔽っちゃうんだろうね。そういう遺伝子が日本女性に
組み込まれているのかもしれない。でもね、あのしぐさ、やっぱりおかしいよ。
奥床しくて素敵、と思う人もいるだろうけど、少なくともボクはきらい。自然に歯を見せ
笑ったほうがずっとずっと美しいし、かっこいい。
←最近は韓国の女優にもこの〝病気〟が
うつったもよう。
2 件のコメント:
労さま
吼えまくってますね。(ふふふ)
ノーローとチクノウの友人がいまして、
「たっ、たのむ、息をダイレクトに・・・やめちくれぇー」
ってなトキも。
労さま、もうすぐですね。楽しみです。
なごり雪様
ノーローとチクノウの人は勘弁してもらいたいね。
そもそも口を開くこと自体が犯罪行為です。
飽きもせずに咆えてるけど、年寄りは咆えるのが生きがいなんだね。
「近頃の若いもんは……」というセリフは、数千年、数万年前からの
年寄りの専売特許で、古代エジプトのヒエログリフにも同じセリフが
書いてあったそうです。
つまり、若者批判は年寄りの専売で、咆えることが責務でもあるんです。
若者に媚びない――ものわかりのいい年寄りにだけはなりたくないものですね。
川越でのしのび逢い……楽しみにしています。
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