2014年12月24日水曜日

ホストファミリーになりませんか?

来年あずかる予定の留学生(チェコ人、17歳)は英語の能力がexcellent(優秀)だという。
こっちは女房ともどもpoor(劣弱)そのもので、毎度のことだが、意志疎通がきびしい。
英語は好きだし得意だったハズなのだが、いかんせん会話ができない。

受験期、「赤尾の豆単」を丸暗記したクチだから、いまもって語彙力だけはある。
小説は読めるし、もちろん英字新聞だって読める。しかし、しゃべれとなるとからっきしで、
自己紹介すら満足にできやしない。学校で10年以上学んでいるのに、初歩の会話も
おぼつかないというのは、いったい何なんだろう。教育が悪いのか、
それともおれの頭が悪いのか?

たぶん両方なのだろう。実際、外国人を前にして、ただ単語を並べるだけとか、
身ぶり手ぶりだけというのでは、いかにも情けない。せめて〝ピジン英語〟くらい
しゃべりたい、と思うのだが、それすらままならない。ピジンとは、英語と現地語が
チャンポンになったような言語で、たとえばLong time no see.(お久しぶり)などが
いい例だ。明らかに英語の構文からは逸脱しているが、アメリカ・インディアンが
しばしば使った語法だという。

会話はpoorだが、読み書きができるのだから、いざとなれば筆談という手はある。
昔むかし、空海や道元といった僧侶は学問するために海を渡った。当然ながら
コミュニケーションの手段は筆談だったと思われるが、空海は会話(唐音といった)
にも長けていたという。天才の面目躍如たるところだ。

こっちは天才どころか、凡骨の最たるもので、筆談だって手に余る。
だいいち、まだるっこしくて留学生のほうが先に音を上げてしまうだろう。

あいにく英語の会話力に長けた娘たちはすでに親元を離れている。
「ときどきは顔を出して助けてやっから、心配しないでチョー!」
などと言ってはくれるが、いざとなったら娘頼みというのがいかにも情けない。

そんなこんなで、最初は互いに苦労すると思うが、
慣れてくれば意思疎通もできるようになり、
そのうち日本語だってしっかりしゃべれるようになる。
現に、短期ながらわが家であずかった留学生たちは、
もともと優秀なのだろうが、帰国間際の段階では、
ほとんど日常会話に支障がないくらいのレベルに達していた。

なぜ留学生をあずかるのか? けっこうな物入りだし、余計な神経も使わなくてはいけない。
また毎朝、早起きして弁当を作ってやらなくてはいけない。女房の最大の悩みである。
そんな七面倒くさいことをよくやるな、という声がないわけではない。たしかに滞在費用は
すべてこっち持ちだから、金は出ていくばかりだが、うちの娘たちだって同じように、
すべてあっち持ちで世話になった。イタリアに行った長女なんかフィンランドまで旅行させて
もらった。ホスト側だって余計な出費で大変だっただろう。だから、せめて恩返しをしたい。
それが1つの理由である。

しかし理由はそればかりではない。同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食うということは、
家族同然ということ。帰国後も、その絆は消えない。事実、来春、次女が結婚する
予定なのだが、式にはアメリカ・シアトルのホストファミリーも招待するし、
外国の友人たちも駆けつけてくれる。

髪の色、目の色、肌の色の異なった家族がいたっていい。
それもこれも、すべては娘たちの高校生留学から始まった。
留学先の同級生たちが観光を兼ねて日本へ遊びに来る。
また高校生の時に日本留学した子が、こんどは日本の大学に留学する。
あるいは次女がイギリス留学した時の同級生3人は、いま日本で働いている。
長女の同級生などは、もう何度も来日し、日本中をぐるりと回った。

外国人とまるで縁のなかったわが家も、にわかに出入りが激しくなってきた。
そしてまた、そのことがボクたち夫婦の生きがいにもなってきている。
人生は1回こっきり。どうせ生きるのならエキサイティングなほうがいい。
世界中にボクたちの息子や娘たちがいて、会うたびに「お父さん」「お母さん」と
慕ってくれる。なんだかふしぎな心持ちがするものだが、決してわるいものではない。
草の根の国際交流。あなたもホストファミリーになってみませんか?






←冬枯れのわが団地。
真正面にあるのがボクの住む棟。
留学生たちはみな一様に
「緑が多いですね」と言ってくれる。
でも今は葉が落ち、その面影はなし








0 件のコメント: