毎日酒を飲んでいる。「水」と「木」は休肝日にしようと誓ったばかりなのに、
実行したのは1週だけ。翌週からはなんだかんだと理屈をつけ、酒瓶に手を伸ばしてる。
なんという意志薄弱。おかげで1日中微醺(びくん)を帯びた状態で過ごしてる。
ボクは酩酊状態の時もしらふの時もそれほど変わらない、と勝手に思っていたのだが、
どうやらそうではないらしい。メートルが上がると、だいぶ騒がしくなるようだ。
もともと地声が大きく、よく通るほうなので、自然と周囲に迷惑をかけてしまうのかも
しれない。
出入り差し止めの店もある。あんまり騒ぎすぎて店主夫妻を怒らせてしまい、
「今後いっさい出入り禁止」を食らってしまったのである。
やきとんを立ち飲みで食べさせる店で、わが町では絶大な人気を誇っている。
飲んべえというのは可愛い(←自分で言うな!)。飲むほどに酔うほどに気持ちが大きく
なってきて、舌が滑らかになるにつれ上司を批判したり同僚をこきおろしたりと
大いそがしになる。あげくは自分ひとりで会社を引っぱっているかのような大言を
吐いてはばからない。で、そこに先程来こきおろしていた当の課長がひょっこり
顔を見せたりすると、
「いやあ、課長と飲めて光栄です」
などと、心にもないことをイケシャアシャアと言う。
下戸の人はこうした光景を見て、
(酒飲みというのはなんと他愛なく、愚にもつかぬ連中なのか……)
と呆れ果てるかもしれないが、その日のいやなことも、つらいことも酒場で
すべて発散させてしまえば、心にわだかまりを残さず、すっきりした気分で
家路につくことができる。そうすれば翌日もまた元気よく仕事に出かけられる。
酒飲みにも三分の理なのだ。
ボクみたいに〝酒品〟のいい?男は別だが、他人に迷惑がかからない程度
の賑やかさなら、飲んべえどもの大言壮語や高歌放吟、はては杯盤狼藉も、
多少は大目に見てもらいたい(←度が過ぎてんだよ!)。
居酒屋は胸襟を開いて語り合える、いわば心の解放区。
時々、バカをやり、友に心の弱さを見せたりすることもあるだろうが、
愚かさに徹し、すべてを捨てきれば、そこに自ずとのびやかな自由もある。
イエス・キリストも言っている。
《我にもし、人に誇りとするところあらば、我が弱さのみ誇らんと》
ボクはコーヒー1杯でも会話のお相手をしっかりつとめられるが、
できれば酒があったほうがいい。しかし美禄に枯腸が温められると、
つい酔余の勢いで平生のたしなみ(←そんなものあるのかよ)を忘れ、
粗暴に走ってしまう。酔いが醒めたときの驚愕悔恨は尋常ではなく、
それこそ穴があったら入りたいといった心持ちになる。
ああ、思い起こせば恥ずかしきことの数々……(←寅さんの同類です)。
ならば、煙草をスッパリ断ったみたいに酒断ちをすればいいではないか、
とお思いだろうが、ことはそう簡単にはいきませぬ。
狂水(きちがいみず)に飲まれても、翌日になるとさっきまで入ってた〝穴〟から
のそのそ這い出して、まるで前夜の酔態などなかったかのような顔をして、
またぺろぺろ酒を舐めはじめるのです。 ♪バカは死ななきゃ~治ら~ない
「下戸の建てた蔵はない(下戸は交際下手で出世が遅い?の意)」
などと負け惜しみをいってもはじまらない。
明日も明後日も、そのまた明明後日も飲み会がひかえている。
母さん! ボクの節酒宣言はいったいどこへ行ってしまったのでしょうね?
(↑映画『人間の証明』のノリで)
酒と女は仇なり、どうぞ仇に巡り会いたし、か……
嗚呼! 俺はなんという薄志弱行のロクデナシなんだ。
←そういえば、若いものと飲む
機会がめっきり少なくなったな。
でも若者はバカばかりだしな
(おまえが言うな!)
実行したのは1週だけ。翌週からはなんだかんだと理屈をつけ、酒瓶に手を伸ばしてる。
なんという意志薄弱。おかげで1日中微醺(びくん)を帯びた状態で過ごしてる。
ボクは酩酊状態の時もしらふの時もそれほど変わらない、と勝手に思っていたのだが、
どうやらそうではないらしい。メートルが上がると、だいぶ騒がしくなるようだ。
もともと地声が大きく、よく通るほうなので、自然と周囲に迷惑をかけてしまうのかも
しれない。
出入り差し止めの店もある。あんまり騒ぎすぎて店主夫妻を怒らせてしまい、
「今後いっさい出入り禁止」を食らってしまったのである。
やきとんを立ち飲みで食べさせる店で、わが町では絶大な人気を誇っている。
飲んべえというのは可愛い(←自分で言うな!)。飲むほどに酔うほどに気持ちが大きく
なってきて、舌が滑らかになるにつれ上司を批判したり同僚をこきおろしたりと
大いそがしになる。あげくは自分ひとりで会社を引っぱっているかのような大言を
吐いてはばからない。で、そこに先程来こきおろしていた当の課長がひょっこり
顔を見せたりすると、
「いやあ、課長と飲めて光栄です」
などと、心にもないことをイケシャアシャアと言う。
下戸の人はこうした光景を見て、
(酒飲みというのはなんと他愛なく、愚にもつかぬ連中なのか……)
と呆れ果てるかもしれないが、その日のいやなことも、つらいことも酒場で
すべて発散させてしまえば、心にわだかまりを残さず、すっきりした気分で
家路につくことができる。そうすれば翌日もまた元気よく仕事に出かけられる。
酒飲みにも三分の理なのだ。
ボクみたいに〝酒品〟のいい?男は別だが、他人に迷惑がかからない程度
の賑やかさなら、飲んべえどもの大言壮語や高歌放吟、はては杯盤狼藉も、
多少は大目に見てもらいたい(←度が過ぎてんだよ!)。
居酒屋は胸襟を開いて語り合える、いわば心の解放区。
時々、バカをやり、友に心の弱さを見せたりすることもあるだろうが、
愚かさに徹し、すべてを捨てきれば、そこに自ずとのびやかな自由もある。
イエス・キリストも言っている。
《我にもし、人に誇りとするところあらば、我が弱さのみ誇らんと》
ボクはコーヒー1杯でも会話のお相手をしっかりつとめられるが、
できれば酒があったほうがいい。しかし美禄に枯腸が温められると、
つい酔余の勢いで平生のたしなみ(←そんなものあるのかよ)を忘れ、
粗暴に走ってしまう。酔いが醒めたときの驚愕悔恨は尋常ではなく、
それこそ穴があったら入りたいといった心持ちになる。
ああ、思い起こせば恥ずかしきことの数々……(←寅さんの同類です)。
ならば、煙草をスッパリ断ったみたいに酒断ちをすればいいではないか、
とお思いだろうが、ことはそう簡単にはいきませぬ。
狂水(きちがいみず)に飲まれても、翌日になるとさっきまで入ってた〝穴〟から
のそのそ這い出して、まるで前夜の酔態などなかったかのような顔をして、
またぺろぺろ酒を舐めはじめるのです。 ♪バカは死ななきゃ~治ら~ない
「下戸の建てた蔵はない(下戸は交際下手で出世が遅い?の意)」
などと負け惜しみをいってもはじまらない。
明日も明後日も、そのまた明明後日も飲み会がひかえている。
母さん! ボクの節酒宣言はいったいどこへ行ってしまったのでしょうね?
(↑映画『人間の証明』のノリで)
酒と女は仇なり、どうぞ仇に巡り会いたし、か……
嗚呼! 俺はなんという薄志弱行のロクデナシなんだ。
←そういえば、若いものと飲む
機会がめっきり少なくなったな。
でも若者はバカばかりだしな
(おまえが言うな!)
2 件のコメント:
先生こんにちは
飲み会はどうも好きになれないです。
飲めないのもありますし...
一人は気楽でイイです。
同じ人間なのに飲める人と飲めない人がいて、面白いですね♪
shirafu様
こんにちは。お久しぶりです。
飲み会は苦手ですか。フーム……下戸だと
つらいかもしれませんね。
ボクは飲み会大好き人間ですが、3~4人
くらいまでが限度で、それ以上で群れるのは
好きではありません。自分のリズムが刻め
なくなってしまうからです。
どんな場にあっても自分のリズムを刻む。
そのことはとても大事です。
ボクは若い時分、他人に合わせてばかりいました。過度の相槌を打ったり、作り笑いしたり……人に気を遣いすぎたのです。
でも今は違います。
2割くらいは気を遣いますが、8割は自分の
ペースを守ります(女房はそんなのウソ。10割丸ごと自分のことしか考えてない、と言ってますw)。
上戸と下戸。たしかに面白いですね。
ボクの父は完全なる下戸でしたが、
母とその兄弟一族はみなウワバミでした。
酒の席での失敗は数知れません。
思い出すだに顔から火が出そうになるものもあります。
でも懲りずにまた飲んじゃう。
一種の病気ですね。でも堂々としてます。
高額納税者ですから(笑)。
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