2014年1月1日水曜日

恭賀新年

今年もぶじ明けました。
わが拙いブログを愛読してくださっている皆さま。
新年明けましておめでとうございます。
また海外にいらっしゃる読者の皆さま、本年もよろしくお願い申し上げます。

年が改まったからといって、格別の感慨もなく、また抱負といったものの
持ちあわせもないのですが、個人的には膝痛と腰痛のリハビリに励み、
完全復活の年にしたいと考えております。実に夢のないジジ臭い抱負で、
自分でも情けないこと夥しいのですが、もともと志の低い人間ですから、
まあ、こんなところで勘弁ねがいます。

さて、私は数年前まで肩書きがありませんでした。
名刺には「嶋中労」と書いてあるだけ。
これを受け取った相手は、一瞬、戸惑いの色を見せます。
(えっ、この人、何者なんだ?)

日本の社会は肩書きのない人間を認めません。
定職のない人間も認めません。
どこそこの会社のどんな役職にある何という名前の人なのか。
名の知れた会社の、そこそこの地位にある人だと、相手は安心して
初めて笑顔を見せます。

ただの「しまなかろう」では、どのくらい〝えらい人?〟なのか分からない。
素性が分からないと、どんな態度をとり、どんな言葉づかいで接したらいいのか、
それこそ分からないので、相手は困ったような顔して立ちすくんでしまいます。

同業者の中には、名刺に「作家」とか「ノンフィクションライター」、
「コラムニスト」「エッセイスト」などという肩書きを載せるものがあります。
なかには「詩人」などと書くおっちょこちょいもいるようですが、
私などは広い世間を斜めに生きてきたクチなので、
肩書きなどというご大層なものは金輪際願い下げなのであります。

しかし、それはこっちの勝手な都合だということが分かりました。
初対面の人は名刺を見て、(ハハーン、なるほどこういう関係の人か)
と見当をつけ、話のとっ掛かりを見つけようとします。肩書き無しだと、
そのとっ掛かりがつかめず、困ってしまうのです。これでは気の毒です。

で、私は「ジャーナリスト」という、当たり障りのない肩書きをつけることにしました。
ある公の場で、「作家の嶋中労さんです」と紹介されたことがあります。
しかし私は作家ではありません。
私たちの〝ギョーカイ〟では、小説を書いて生計を立てている人間を作家と呼びます。
「作家=小説家」ということなのです。
私はノンフィクションは書きますが、完全なフィクションは書きません(いや、書けません)。
したがって、慣習的には「作家」とは呼ばないのです。

日本は肩書き社会なので、現役をリタイアし肩書きを失った人間を粗末に扱います。
とりわけ男の社会は非情なもので、肩書きのない人は人間扱いされないのです。
そんな「非人間(人非人ではない)」たちが、わが団地にはウヨウヨしています。
この団地の中心層は隠居したてのいわゆる〝団塊の世代〟なのです。

人間として丁重に扱われるのは肩書きのおかげです。
会社という金看板があるおかげなのです。
その後ろ盾がなくなり、ただの剥き出しの「個人」になってしまった後が問題です。
ここで初めて〝人間力〟とか〝人間的魅力〟が問われるからです。

肩書きを失っても輝いている人はいっぱいいます。
肩書きがとれた途端に輝きを失ってしまう人もいっぱいいます。
肩書きなどなくとも輝くような人間になりたい――これが私のささやかな希みです。

私には人に誇るべき地位も名誉もありません。
自慢ではありませんが金もオンナ(古女房はまだいます)もないのです。
「人生は死ぬときまでのヒマつぶし」と考えているうつけ者であります。
ただ「自分に正直に生きたい」だけがモットーで、
その信念を貫くため、時にはケンカも辞しません。

そんな愚か者の綴るブログですが、
お気に召しましたら、末永くごひいきに願います。
今年もよろしくお願い申し上げます。







 

2 件のコメント:

木蘭 さんのコメント...

しまふくろうさま。
新年あけましておめでとうございます。

翼が無いのに「羽を伸ばしている」木蘭でございます。

今日だけは檀信徒さんが一人もおいでになりません。


ゆるりと過ごさせて頂いておりますが、
なぜ時間が経つのが早いのでしょうね、こんな日ばかりは。(^_^;)

私も「人間」としてまだまだ発展途上です。
だから今生ではみなさんより「修行」の時間が長いのだと思っています。

師匠が「坊主なんてろくなもんじゃない。業が深いから坊主になるんだ。勘違いして『自分は偉い』と勘違いする奴がいるが、ちっとも偉くなんかないんだぞ」と常々仰せでしたから。

なんとかしまふくろうさまに呆れられないよう精進して参りますので、

本年もどうぞよろしくお願い致します。(*^-^*)

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

木蘭様

新年明けましておめでとうございます。

とうとう明けてしまいました。
また馬齢をひとつ重ねてしまいます。

「思い起こせば恥ずかしきことの数々……」
寅さんのセリフじゃないですが、今年もその
数々が増えそうです。

ご師匠さんの言葉、なかなかいいですね。
ボクも思います。人間、生きてる限り「ただいま修行中」なのだと。

本を読むのも修行のため。
学生時代から少しも変わっておりません。

「外華内貧」という言葉をよく目にします。
韓国の悪口を言うときに使われたりしますが、もともと朝鮮半島で生まれた四字熟語
らしいです。人間個人を喩える言葉としても使えそうですね。

つまり、どんなに落ちぶれても「外華内貧」的な人間にはなりたくない、ということです。

修行はお辛いでしょうが、
自分を一段高いステージに持ち上げるという
やりがいのある営為ですから、
自ずと楽しみも付随してくるものです。

「むずかしいことは面白い」
「簡単なことはつまらない」
勉学の極意なんてこの言葉に尽きます。

今年もよろしくお願いします。