クルム伊達公子(42)が、たび重なる観客の〝ため息〟に激怒して、
思わず「Shut up シャーラップ(黙れ)!」と声を荒げた。←shut upはかなり乱暴な表現です
24日、東京・有明テニスの森公園でおこなわれた東レ・パンパシフィックオープンの
シングルス2回戦で、伊達はオーストラリアの選手と対戦し、惜しくも敗れてしまった。
第1セットを落とし、第2セットで巻き返しを図ろうとした伊達は、必死にボールに
食らいついた。しかし奮戦むなしくボールはネットに。すると観客は「あ~あ!」。
伊達はマジ切れして英語で「シャーアアアアアアラップ!」と吼えた。
その後、タイブレークとなり、息をのむ場面で伊達は痛恨のサーブミス。
7000人収容のスタンドからは悲鳴のような〝ため息〟がまたもれた。
すると伊達はまたまたブチ切れて、観客席に向かって「ため息ばっかり!」と
一声吼え、怒りを爆発させた。観客たちはキョトンとし、いつしかしらけ鳥が。
結局、試合は2-0で伊達の敗退。
伊達はよほど癇にさわったのか、試合後の記者会見でも、
「欧米(の応援は)はそうじゃない」などと、日本の観客の応援マナーを批判。
同じ〝ため息〟でも欧米のは「オォー(↑)」とポジティブで、日本のは「アァー(↓)」
と暗く沈みこむみたいにネガティブなのだという(←オォーとアァーの違いかよ)。
もっと選手の背中を押してくれるような〝明るいため息のつき方〟を、
日本の観客も学んでほしい、と注文をつけた(←ボクは檀蜜の「ハァハァ」がいいな)。
「シャラップ!」といえば先般、国連拷問禁止委員会で聴衆の笑いに「シャーラップ!」
と叫んで退任させられたアホ大使がいたが、なぜか「シャラップ」は日本人にご縁がある。
伊達のマジ切れを見てボクは、「このおばさん、自分を何様だと思ってんだよッ!」
とマジに切れてしまった。伊達を応援しようとお金を払ってチケットを買い、わざわざ
見に来てくれたお客さまに対して、「マナーを知らない」とは何たる無礼、何たる不遜!
「シャラップ!」とケンカ腰で叫ぶほうがよっぽどマナー違反だろ。
ラーメンの湯切りざるみたいなものを振りまわし、ボールを打ち返してなんぼ、
という見世物興行のかたわれでありながら、自分が〝虚業〟の世界でおまんまを
食べさせてもらっている「芸人」のひとりだってことをすっかり忘れている。
野球でもサッカーでも同じ。ちょっとばかり有名になると、自分たちが「遊芸稼ぎ人」
の同類であり子孫であることをきれいさっぱり失念してしまう。昔の寄席などでは、
へたな噺家を前にした客たちは、平気で大あくびをしたり、なかには寝っ転がって
寝てしまうものもいた。しかし、ひとたび気の利いたことを言うと客はガバと起き上がって
拍手を送った。そんな客たちを相手に、噺家たちは必死に芸を磨いたのである。
観客の「こもるようなため息」が気に食わないのなら、ため息をつかせないような
手に汗握る好試合をやってみろ。世界ランキング60位のおばさんが、何寝言いってんだ!
自分の未熟さを棚に上げ、負けたのは観客の〝ため息〟のせい、などと憎まれ口を
叩いているようでは、すでにおばさんの脈は上がってるな。欧米人のため息のほうが上等、
などとラチもないことを言ってるヒマがあったら、せっせと腕を磨くこった。
すりこぎ棒のでっかい奴や、湯切りざるのでっかい奴を振りまわすだけ(野球とテニス)で
あぶく銭がもらえるってことが、どんなにすばらしいことか、とくと考えたらいい。
〝虚業〟に生きるものは、お天道様の下を歩けるだけでもありがたいのだ。
平和な時代でなかったら、一粒の米さえ食えやしない。
現にボクだってクルムおばさんの同類だ。言葉という符牒を操ってメシを食う典型的な
「虚業」に生きている。米や野菜といった形あるものは何ひとつ作れず、唯一の造形物
といったら〝ウンコ〟くらいなものだ。著作? あんなものただのイリュージョンにすぎんよ。
だから銀行はわれら虚業に生きる人間を信用せず、金を貸してくれないし、ボクも借りない。
虚業に生きるものは、いつだって内心忸怩(じくじ)たる思いを噛みしめているのですよ(ウソ)。
そんでもって、原稿が書けずに、いつも出てしまう「あ~あ」という絶望的なため息。
ため息は命を削る鉋(かんな)かな
削られっぱなしで、もう後がありませぬ。
←おばさん、お黙り!
なにが背中を押してくれるようなため息が欲しいだ!
見に来てくれているだけでもありがたいと思え、
このスットコドッコイ!
思わず「Shut up シャーラップ(黙れ)!」と声を荒げた。←shut upはかなり乱暴な表現です
24日、東京・有明テニスの森公園でおこなわれた東レ・パンパシフィックオープンの
シングルス2回戦で、伊達はオーストラリアの選手と対戦し、惜しくも敗れてしまった。
第1セットを落とし、第2セットで巻き返しを図ろうとした伊達は、必死にボールに
食らいついた。しかし奮戦むなしくボールはネットに。すると観客は「あ~あ!」。
伊達はマジ切れして英語で「シャーアアアアアアラップ!」と吼えた。
その後、タイブレークとなり、息をのむ場面で伊達は痛恨のサーブミス。
7000人収容のスタンドからは悲鳴のような〝ため息〟がまたもれた。
すると伊達はまたまたブチ切れて、観客席に向かって「ため息ばっかり!」と
一声吼え、怒りを爆発させた。観客たちはキョトンとし、いつしかしらけ鳥が。
結局、試合は2-0で伊達の敗退。
伊達はよほど癇にさわったのか、試合後の記者会見でも、
「欧米(の応援は)はそうじゃない」などと、日本の観客の応援マナーを批判。
同じ〝ため息〟でも欧米のは「オォー(↑)」とポジティブで、日本のは「アァー(↓)」
と暗く沈みこむみたいにネガティブなのだという(←オォーとアァーの違いかよ)。
もっと選手の背中を押してくれるような〝明るいため息のつき方〟を、
日本の観客も学んでほしい、と注文をつけた(←ボクは檀蜜の「ハァハァ」がいいな)。
「シャラップ!」といえば先般、国連拷問禁止委員会で聴衆の笑いに「シャーラップ!」
と叫んで退任させられたアホ大使がいたが、なぜか「シャラップ」は日本人にご縁がある。
伊達のマジ切れを見てボクは、「このおばさん、自分を何様だと思ってんだよッ!」
とマジに切れてしまった。伊達を応援しようとお金を払ってチケットを買い、わざわざ
見に来てくれたお客さまに対して、「マナーを知らない」とは何たる無礼、何たる不遜!
「シャラップ!」とケンカ腰で叫ぶほうがよっぽどマナー違反だろ。
ラーメンの湯切りざるみたいなものを振りまわし、ボールを打ち返してなんぼ、
という見世物興行のかたわれでありながら、自分が〝虚業〟の世界でおまんまを
食べさせてもらっている「芸人」のひとりだってことをすっかり忘れている。
野球でもサッカーでも同じ。ちょっとばかり有名になると、自分たちが「遊芸稼ぎ人」
の同類であり子孫であることをきれいさっぱり失念してしまう。昔の寄席などでは、
へたな噺家を前にした客たちは、平気で大あくびをしたり、なかには寝っ転がって
寝てしまうものもいた。しかし、ひとたび気の利いたことを言うと客はガバと起き上がって
拍手を送った。そんな客たちを相手に、噺家たちは必死に芸を磨いたのである。
観客の「こもるようなため息」が気に食わないのなら、ため息をつかせないような
手に汗握る好試合をやってみろ。世界ランキング60位のおばさんが、何寝言いってんだ!
自分の未熟さを棚に上げ、負けたのは観客の〝ため息〟のせい、などと憎まれ口を
叩いているようでは、すでにおばさんの脈は上がってるな。欧米人のため息のほうが上等、
などとラチもないことを言ってるヒマがあったら、せっせと腕を磨くこった。
すりこぎ棒のでっかい奴や、湯切りざるのでっかい奴を振りまわすだけ(野球とテニス)で
あぶく銭がもらえるってことが、どんなにすばらしいことか、とくと考えたらいい。
〝虚業〟に生きるものは、お天道様の下を歩けるだけでもありがたいのだ。
平和な時代でなかったら、一粒の米さえ食えやしない。
現にボクだってクルムおばさんの同類だ。言葉という符牒を操ってメシを食う典型的な
「虚業」に生きている。米や野菜といった形あるものは何ひとつ作れず、唯一の造形物
といったら〝ウンコ〟くらいなものだ。著作? あんなものただのイリュージョンにすぎんよ。
だから銀行はわれら虚業に生きる人間を信用せず、金を貸してくれないし、ボクも借りない。
虚業に生きるものは、いつだって内心忸怩(じくじ)たる思いを噛みしめているのですよ(ウソ)。
そんでもって、原稿が書けずに、いつも出てしまう「あ~あ」という絶望的なため息。
ため息は命を削る鉋(かんな)かな
削られっぱなしで、もう後がありませぬ。
←おばさん、お黙り!
なにが背中を押してくれるようなため息が欲しいだ!
見に来てくれているだけでもありがたいと思え、
このスットコドッコイ!
2 件のコメント:
その溜息は公子クルムが吐かせたモノなのにね。
溜息を歓声にできなかったのは、
己の力量じゃないのかな。
っつーか、なんか恥ずかしかったな、あの姿。
観ていたコッチが赤面しちゃった。
卵が先か、ニワトリが先か。
溜息が先か、加齢により衰えた体力が先か。
一生このままなんだろーな、こーゆー女史は。
なごり雪様
おいでなさいまし。
ボクは遊芸稼ぎ人を決してバカにはしません。
ボクもそのかたわれだからです。
芸人には誇りが必要です。
でも心の片隅に「しょせん虚業なんだ」
というニヒルな感情を持っていてほしいのです。
半ば公的な存在である公子おばさんのような
人にはプライバシーがありません。名声の代わりに、それを売ったからです。
ですから、「ため息」をつかれようが、
「尻デカ色黒女」などといわれても
ヘラヘラ笑っているしかありません。
街で藤山甘美を目ざとく見つけた女の子が、
「あっ、寛美だ!」と指さしたら、
母親が、
「おやめ、指が腐る」と咎めたといいます。
いくら有名人でも、芸人は堅気とは違うのです。スポーツ選手も同じです。あんなもの、
堅気のわけがない。
でも誇りは大事です。
ボクなんか誇り(埃?)だけで生きてますから。
スミマセン、堅気衆のなごり雪さんに向かって、えっらそうに一席ぶってしまって。
一生このまんまです、こっちも。
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