虫酸が走るほどきらいなのは〝群れる若者たち〟、と再三ボクは言ってきた。
若者が群れをつくると粗忽な目立ちたがり屋が必ずしゃしゃり出てきて、
ウケを狙った大仰なパフォーマンスを演じたり、奇声・蛮声を張りあげたりする。
すると、ふだんは羊のように温和しい「その他大勢」もその尻馬に乗って騒ぎ出す。
これを「付和雷同」という。若者(ボクにはバカ者と聞こえる)の得意技のひとつである。
「和して同ぜず」なんて気概のある若者は、もうとっくに払底してしまった。
6月4日、サッカー・W杯・ブラジル大会、アジア最終予選の「日本対オーストラリア戦」が
埼玉スタジアムでおこなわれた。1対1の引き分けで、W杯大会出場を勝ち取ったのは
めでたいが、例によって渋谷駅前のスクランブル交差点には知能指数の低い若者たち
や野次馬が繰り出して、狂喜乱舞のバカ騒ぎをやらかそうという、まさにその寸前だった。
ところが今回は、大阪・道頓堀川に身投げ?する少数のバカ者たちはいたものの
(中国ではこのニュースに「日本の川は飛び込めるほどきれいなんだね」と逆に羨んだとか)、
東京渋谷では数百人規模の機動隊がスクランブル交差点とセンター街の一部を封鎖、
花火や爆竹で暴れようとする若者たちを巧みに迂回路へと誘導してしまった。
前回、お調子者の若者が商店を壊したり、タクシーのボンネットをボコボコにしたりと、
乱暴狼藉の限りを尽くしたので、警察も今度ばかりは「勝手は赦さぬ」という気構えで
きびしく臨んだようだ。
渋谷で騒ぐ若者たちは「渋谷はサッカーの聖地」だという。
が、真のサポーターからは「なんで渋谷が聖地なんだよ!」と怒りの声が上がっている。
騒いでいるのはただのお祭り好きの偽サポーターじゃないか、というわけである。
いずれにせよ、渋谷のスクランブル交差点で見知らぬもの同士がハイタッチや
ハグをして喜び合うのが、どうやら〝お洒落でカッコいい〟ということらしい。
なかにはハイタッチならぬ〝パイタッチ〟や〝下半身タッチ〟をするけしからぬ輩もいるらしく
(おじさんも内心、やってみたいと思ってる)、「聖地」は「性地」のことかと妙に納得したりする。
外国メディアも注目する渋谷のスクランブル交差点。今回の目玉は何といっても
〝DJポリス(MCポリスと言い替えろの声も)〟の登場だろう。20代のこの隊員、
第9機動隊の広報係に所属している剣道4段の猛者らしい。
(カッワゆ~いミニスカポリスだったらもっと良かったのに……)
助平なおじさんはついそう思ってしまうのだが、とにかく、見た目はごっついが
温厚そうなおまわりさんが誘導指揮官車の上でマイクを握った。
「通行妨害するとイエローカードですよ。2枚目が出る前に歩道に上がってくださ~い」
などと、暴走寸前の若者たちにユーモア(?)を交えてやさしく呼びかける。
「おまわりさんもこんな夜に怒りたくはありません。
さあ皆さん、手を挙げて横断歩道を渡れますか~?」
「ハーイ!」
「皆さ~ん、おうちに帰るまでが真の応援でちゅよ~!」
「ハーイ!」
幼稚園児かよ、こいつらは。
このDJポリス、騒乱を回避させた功で警視総監賞の授与が検討されているという。
ただ職務を遂行しただけなのに感状までもらえるとは。警察って楽チンなんだね。
「身内同士で好きなだけ褒め合ってね……」と、これはボクからの応援エール。
お返事は?
「ハーイ!」
よくできました。お利口さんでちゅねェ。
←一躍脚光を浴びた〝DJポリス〟のお兄ちゃん。
宮城県出身で、まだ独身だという。
「これを機に嫁さん候補が殺到するといいでちゅね~?」
若者が群れをつくると粗忽な目立ちたがり屋が必ずしゃしゃり出てきて、
ウケを狙った大仰なパフォーマンスを演じたり、奇声・蛮声を張りあげたりする。
すると、ふだんは羊のように温和しい「その他大勢」もその尻馬に乗って騒ぎ出す。
これを「付和雷同」という。若者(ボクにはバカ者と聞こえる)の得意技のひとつである。
「和して同ぜず」なんて気概のある若者は、もうとっくに払底してしまった。
6月4日、サッカー・W杯・ブラジル大会、アジア最終予選の「日本対オーストラリア戦」が
埼玉スタジアムでおこなわれた。1対1の引き分けで、W杯大会出場を勝ち取ったのは
めでたいが、例によって渋谷駅前のスクランブル交差点には知能指数の低い若者たち
や野次馬が繰り出して、狂喜乱舞のバカ騒ぎをやらかそうという、まさにその寸前だった。
ところが今回は、大阪・道頓堀川に身投げ?する少数のバカ者たちはいたものの
(中国ではこのニュースに「日本の川は飛び込めるほどきれいなんだね」と逆に羨んだとか)、
東京渋谷では数百人規模の機動隊がスクランブル交差点とセンター街の一部を封鎖、
花火や爆竹で暴れようとする若者たちを巧みに迂回路へと誘導してしまった。
前回、お調子者の若者が商店を壊したり、タクシーのボンネットをボコボコにしたりと、
乱暴狼藉の限りを尽くしたので、警察も今度ばかりは「勝手は赦さぬ」という気構えで
きびしく臨んだようだ。
渋谷で騒ぐ若者たちは「渋谷はサッカーの聖地」だという。
が、真のサポーターからは「なんで渋谷が聖地なんだよ!」と怒りの声が上がっている。
騒いでいるのはただのお祭り好きの偽サポーターじゃないか、というわけである。
いずれにせよ、渋谷のスクランブル交差点で見知らぬもの同士がハイタッチや
ハグをして喜び合うのが、どうやら〝お洒落でカッコいい〟ということらしい。
なかにはハイタッチならぬ〝パイタッチ〟や〝下半身タッチ〟をするけしからぬ輩もいるらしく
(おじさんも内心、やってみたいと思ってる)、「聖地」は「性地」のことかと妙に納得したりする。
外国メディアも注目する渋谷のスクランブル交差点。今回の目玉は何といっても
〝DJポリス(MCポリスと言い替えろの声も)〟の登場だろう。20代のこの隊員、
第9機動隊の広報係に所属している剣道4段の猛者らしい。
(カッワゆ~いミニスカポリスだったらもっと良かったのに……)
助平なおじさんはついそう思ってしまうのだが、とにかく、見た目はごっついが
温厚そうなおまわりさんが誘導指揮官車の上でマイクを握った。
「通行妨害するとイエローカードですよ。2枚目が出る前に歩道に上がってくださ~い」
などと、暴走寸前の若者たちにユーモア(?)を交えてやさしく呼びかける。
「おまわりさんもこんな夜に怒りたくはありません。
さあ皆さん、手を挙げて横断歩道を渡れますか~?」
「ハーイ!」
「皆さ~ん、おうちに帰るまでが真の応援でちゅよ~!」
「ハーイ!」
幼稚園児かよ、こいつらは。
このDJポリス、騒乱を回避させた功で警視総監賞の授与が検討されているという。
ただ職務を遂行しただけなのに感状までもらえるとは。警察って楽チンなんだね。
「身内同士で好きなだけ褒め合ってね……」と、これはボクからの応援エール。
お返事は?
「ハーイ!」
よくできました。お利口さんでちゅねェ。
←一躍脚光を浴びた〝DJポリス〟のお兄ちゃん。
宮城県出身で、まだ独身だという。
「これを機に嫁さん候補が殺到するといいでちゅね~?」
6 件のコメント:
このDJポリスマンには、交差点の対角線上でペアを組んだ女性警察官がいたそうな。2人は初詣会場などでも連携して群衆の誘導にあたっていて、今回もアイデアを出し合いながら若者の胸に届く文言を練ったのですって。
与えられた仕事の中で、いかに良い方向に突出するか。それを考え、遂行するだけでも、えらいなぁと思う今日この頃のおばさんでございます。
だって、職場ではそういう若者が必ずしも多くないんですもの。
あ、でも、私が女子高生だった頃うちの学校(労様卒業大学の系列校ですね)では、みんな規則の中でいかに目立とうか、他の人と違ったことをしようかと腐心していましたけど。
でもまぁ、群衆への呼びかけ、みんなで「は~い」の素直な返事、ってのは、確かに幼稚園っぽいわね。お宅様もうちも、そういう若者を育てなくて、よかった、よかった。
K@ミニスカおばさん様
ミニスカといえばK子女史が〝元祖〟みたいなもの。相変わらず手入れがゆきとどいているのか、スッと伸びた美脚がまぶしいです。
さて、DJポリスの男女ですが、警視総監賞
の受賞が決まったみたいですね。
それにしても、近頃の若者たちのお行儀良さ
といったら……時々、かつてのスチューデント・パワーが懐かしくなりますよ。
わが家の娘たちは素直に育ったから、「ハ~イ」のクチかも。いま、N子は台湾に単身出張中、A子は今夜エジプトへと発つ予定です。
鉄砲玉のような娘たちです。
職務遂行のため、的確な状況判断をし、適切な行動をとったことにより、当初の目的てある怪我人の発生、器物損壊等の発生を防いだという功労により警視総監賞をもらえることになった機動隊のお兄ちゃんのことですね?
上のように書くとなんか立派なことをしているやに思えますが・・・
まず、あれを「ユーモアを交えた・・・」と評するのは、なんかねぇ、おつむの程度がなんというか・・・カナシイ。
あたしゃお祭り大好き人間ですが、「ハレ」のときはきちんと場所と時を踏まえて「ケ」との違い、けじめはつける方がいいんだろうなぁと思いますけど。(今、ふと思ったんですが、「ケジメ」って「ケ+シメ」ですかね?違うかw)
少なくとも、サッカーだろうがなんだろうが知りませんが、渋谷のスクランブル交差点が「ハレ」の舞台でないことは明明白白でございますがな。
ようやく梅雨ですかね?
鬱陶しいですが、まぁ、年中行事ですから。
NICK様
そう、あのDJポリスの呼びかけに対し、
「ユーモアを交えて」だとか「軽妙な」とか、
メディアの多くが形容してるけど、いったい
どこにユーモアがあるというのかね。
ボクにやらせてくれたら、抱腹絶倒の呼びかけ
ができるんだけどな。というか、
「てめえらネンネは、おうちに帰ってママの
オッパイでも吸ってやがれ! この出来損ないのスットコドッコイ奴!」
って、ちょっぴりガラがわるくなっちゃうかも。
あの手の、ニヤついて軽佻浮薄な、付和雷同型の日陰のモヤシのような有象無象をみると、
正直、六尺棒でなぎ倒してやりたくなります。
ボクみたいな血の気の多いおじさんは、
警視総監賞には無縁でしょうね。
軽視総スカン賞だったりして(笑)。
しまふくろうさま、おはようございます(#^.^#)
「幼稚な声」の持ち主、木蘭でございます(笑)
世間の出来事にたいそう疎く、
DJポリスさんの存在を知りませんでした(^▽^;)
ははぁ。
「~しましょうね」「は~い」
ですか・・・
もしこれを東京駅丸の内側でやったとしたら~通行人はみんな怒りだしそうですね~。
今回のお話を見て、
司馬遼太郎さんの「風塵抄」の中に書いてあった「高貴なコドモ」というお話を思い出しました。
人間はいくつになっても精神の中に豊かなコドモの部分持ち合わせていなくてはならない。
ただしコドモとは幼児性とか子供っぽさではない。成人に多い秩序感のない羽目外し、悪ふざけはたんなる擬態である。本来コドモは凛々しいものであって、疑似コドモはいやらしい。
そのようなコトが書かれています。
大人としての義務感や節度から逃避したいだけだと。
いい音楽を聴いたり、きれいな景色を見て感動する。
そうした感性の豊かさが「コドモ」の部分なのだそうです。
20年以上前の本を、
久しぶりに本棚の奥から引っ張り出して見ました(笑)
木蘭様
こんにちは。ボクもさっそく書棚から『風塵抄』を引っ張り出し、読んでみました。
少し引用すると、
《いくつになっても、他人に甘えっぱなしの成人がいる。それはコドモが豊富ということではなく、オトナとしての義務や節度、あるいはオトナとして最低限必要ななにごとかから逃避したいための擬似コドモであるにすぎない。本来のコドモはりりしいものである》
いい表現ですね。
渋谷の駅頭で狂喜乱舞していた若者たちは、
司馬さんの言うところの〝擬似コドモ〟で
あります。彼らには若者らしい凛としたところ
など何ひとつありません。ただお祭り気分に乗じて騒ぎたいだけ。唾棄すべき連中です。
姿勢正しくすがすがしい青年たちが、
ほんとうに少なくなりました。
哀しいです。
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