■6月9日(日)
プール仲間のU氏と町田市にある旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」を訪ねた。
白洲次郎・正子夫妻が60年近く住んだ茅葺き屋根の邸宅である。
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」として畏怖された白洲次郎。
プリンシプル(自分の信じた原則)にうるさい男で、
「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」
と正子夫人も呆れている。
白洲正子は樺山伯爵家の次女として生まれた行動派の女性で、
小林秀雄や青山二郎らと親交を結び、文学・骨董の世界で思いきり翼を広げた。
「韋駄天お正」という綽名をたまわるほどのハッチャキで、彼女もまた
プリンシプルに殉じた青竹のような生涯を送った。
次郎の遺言『葬式無用、戒名不要』の直筆にしみじみ見入る。
正子の書斎もじっくり観察。古色蒼然たる本の背表紙を眺めていたら、
彼女の豊かな精神世界が眼前に広がる思いがした。もっと勉強せねば……
■◎月◇日(日)
豊島区要町にある「熊谷守一(くまがいもりかず)美術館」をひとり訪れる。
絵心などという洒落たものは持ち合わせがないが、熊谷の著作『へたも絵のうち』
を読んでから、この超俗の画家に興味を掻き立てられ、いつか行こう行こうと念じていたが、
果たせずにいた。熊谷の晩年の絵はシンプルそのもので、まるで素人が描いたような
印象すら持つ。42歳で結婚、5人の子を持つが、貧乏ゆえに長女と次男を喪う。
食べるものにも事欠き、夫人は「お願いですから絵を描いてください」と再三訴えるも、
熊谷は絵筆をとることはなかった。晩年の30年間は自宅(現美術館)から一歩も出なくなり、
わずか15坪の小庭が熊谷の小宇宙となった。
作品鑑賞後、館内のカフェでコーヒーを喫し、熊谷の97年の生涯に想いを馳せた。
■▽月※日
コーヒーおたくの帰山人氏から薦められていた殿山泰司の『JAMJAM日記』を読む。
宮下順子の上で腹上死する役を演じた殿山の狒々(ひひ)じじいは、文章家としても有名。
《三文役者は虚勢を張って生きていくもんじゃけえ》(三文ライターも同じじゃけえ)
《健全なる精神は不健全なる身体に宿るんだぞッ 阿呆!》
《国家も国歌も関係ねえよ。オレは1945年8月以後〈君が代〉を唄わない》
ジャズとミステリーをこよなく愛した三文役者。日記には「ヒヒヒヒ」だとか「キャンキャン」
だとか「バカヤロ!」「アホンダラ!」といった〝殿山擬音語〟がてんこ盛り。
黒メガネの似合う、まことにユニークな狒々じじいであった。
●6月23日(日)
昨日、ローマっ子のサブリナが久々に遊びに来た。相変わらずの大きなお目々で、
ジッと見つめられると吸いこまれてしまいそうになる。
「サブちゃん(北島三郎かよ!)、ボーイフレンドはできたかい?」
なにげなく訊いたら、「そのことなんだけど……」とそれはそれはこみ入った話を開チン。
絶えず言い寄ってくるA男にはまるで気がないのだけれど、想いを寄せるB男は
逆にそしらぬ顔。サブちゃんのことを好いちょるのかそうでないのか、さっぱりわからない。
「で相談なんだけど、お父さん、B男のことどう思う?」
ときたもんだ。こっちは思わず「ウーン……」。
お父さん(ボクのことです)の若い頃はまるでケダモノで、
女と見るとよからぬところへ連れ出し、衣服をひんむいては狒々じじいみたいに
けしからぬ行為に及んでいたものだが、近頃の若者は、草ばかりお食べになっているせいか、
なんとのォ生気も覇気も無く、「今日は一日ヒマなんだァ」とサブちゃんがさり気なくB男に
サインを送っても、「良い一日をお過ごしください」などというつれないメールが返ってくる。
飛びっきりの据え膳が目の前にあるっていうのに、
どこに目をつけてんだか、まるで手を出そうとしない(ああ、もったいない)。
まったく何を考えているんだか。
恋に悩むサブちゃんの運命やいかに。
ニッポンのふにゃチン野郎ども! もそっとシャキッとしろいィ、シャキッと!
←サブちゃんの写真はプライバシー保護(うるさいね、これ)の
観点から削除いたしました。グラマラスな肢体を見せられず残念。
このシルエットを見て勝手に想像してね!
ううう……もっとぶって! キャンキャン!
プール仲間のU氏と町田市にある旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」を訪ねた。
白洲次郎・正子夫妻が60年近く住んだ茅葺き屋根の邸宅である。
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」として畏怖された白洲次郎。
プリンシプル(自分の信じた原則)にうるさい男で、
「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」
と正子夫人も呆れている。
白洲正子は樺山伯爵家の次女として生まれた行動派の女性で、
小林秀雄や青山二郎らと親交を結び、文学・骨董の世界で思いきり翼を広げた。
「韋駄天お正」という綽名をたまわるほどのハッチャキで、彼女もまた
プリンシプルに殉じた青竹のような生涯を送った。
次郎の遺言『葬式無用、戒名不要』の直筆にしみじみ見入る。
正子の書斎もじっくり観察。古色蒼然たる本の背表紙を眺めていたら、
彼女の豊かな精神世界が眼前に広がる思いがした。もっと勉強せねば……
■◎月◇日(日)
豊島区要町にある「熊谷守一(くまがいもりかず)美術館」をひとり訪れる。
絵心などという洒落たものは持ち合わせがないが、熊谷の著作『へたも絵のうち』
を読んでから、この超俗の画家に興味を掻き立てられ、いつか行こう行こうと念じていたが、
果たせずにいた。熊谷の晩年の絵はシンプルそのもので、まるで素人が描いたような
印象すら持つ。42歳で結婚、5人の子を持つが、貧乏ゆえに長女と次男を喪う。
食べるものにも事欠き、夫人は「お願いですから絵を描いてください」と再三訴えるも、
熊谷は絵筆をとることはなかった。晩年の30年間は自宅(現美術館)から一歩も出なくなり、
わずか15坪の小庭が熊谷の小宇宙となった。
作品鑑賞後、館内のカフェでコーヒーを喫し、熊谷の97年の生涯に想いを馳せた。
■▽月※日
コーヒーおたくの帰山人氏から薦められていた殿山泰司の『JAMJAM日記』を読む。
宮下順子の上で腹上死する役を演じた殿山の狒々(ひひ)じじいは、文章家としても有名。
《三文役者は虚勢を張って生きていくもんじゃけえ》(三文ライターも同じじゃけえ)
《健全なる精神は不健全なる身体に宿るんだぞッ 阿呆!》
《国家も国歌も関係ねえよ。オレは1945年8月以後〈君が代〉を唄わない》
ジャズとミステリーをこよなく愛した三文役者。日記には「ヒヒヒヒ」だとか「キャンキャン」
だとか「バカヤロ!」「アホンダラ!」といった〝殿山擬音語〟がてんこ盛り。
黒メガネの似合う、まことにユニークな狒々じじいであった。
●6月23日(日)
昨日、ローマっ子のサブリナが久々に遊びに来た。相変わらずの大きなお目々で、
ジッと見つめられると吸いこまれてしまいそうになる。
「サブちゃん(北島三郎かよ!)、ボーイフレンドはできたかい?」
なにげなく訊いたら、「そのことなんだけど……」とそれはそれはこみ入った話を開チン。
絶えず言い寄ってくるA男にはまるで気がないのだけれど、想いを寄せるB男は
逆にそしらぬ顔。サブちゃんのことを好いちょるのかそうでないのか、さっぱりわからない。
「で相談なんだけど、お父さん、B男のことどう思う?」
ときたもんだ。こっちは思わず「ウーン……」。
お父さん(ボクのことです)の若い頃はまるでケダモノで、
女と見るとよからぬところへ連れ出し、衣服をひんむいては狒々じじいみたいに
けしからぬ行為に及んでいたものだが、近頃の若者は、草ばかりお食べになっているせいか、
なんとのォ生気も覇気も無く、「今日は一日ヒマなんだァ」とサブちゃんがさり気なくB男に
サインを送っても、「良い一日をお過ごしください」などというつれないメールが返ってくる。
飛びっきりの据え膳が目の前にあるっていうのに、
どこに目をつけてんだか、まるで手を出そうとしない(ああ、もったいない)。
まったく何を考えているんだか。
恋に悩むサブちゃんの運命やいかに。
ニッポンのふにゃチン野郎ども! もそっとシャキッとしろいィ、シャキッと!
←サブちゃんの写真はプライバシー保護(うるさいね、これ)の
観点から削除いたしました。グラマラスな肢体を見せられず残念。
このシルエットを見て勝手に想像してね!
ううう……もっとぶって! キャンキャン!
2 件のコメント:
労師、タイちゃんは言いました…
「革命は30までの若者がやれ、確かチェ・ゲバラの言葉にそんなのがあったと記憶するけど、30までなんていわねえでさ、60をすぎた資本主義国家の人間は、その後の人生はオマケと考えて、いっそ革命にでも志向したらどうかね。ええぞええぞオ。老人よカラダを鍛えろッ!!」
労師も、ふにゃチンを鍛え直して、
いっそサブちゃんを妾にしたらどうかね?
タイちゃんみたいに墓が二つできますゼ、
ヒヒヒヒ。
帰山人様
閣下もだんだん黒メガネのひひ爺ィに
似てきたね。異人さんを妾にしろだなんて、
見損ないましたよ。ヒヒヒヒ……。
それにしても、いい本を紹介してもらいました。本の中に出てくる新宿ゴールデン街だとかは、昔、駆けだしの頃、漫画家の富永一郎さんによく連れていってもらいました。
DUGとかピットインも懐かしい。
それにいつも不機嫌なチャーリー・ミンガス
の旦那。
ミステリーには不案内だけど、
ジャズの話はけっこう面白かった。
それと夫人の「ババア」との絶妙な掛けあい。
寝床本として重宝しております。
閣下もせいぜい精進して
立派なひひ爺ィになってね。
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