佐伯泰英にめっちゃくちゃハマっている。
ほとんど1日1冊のペースで読み飛ばし、
いまは『居眠り磐根シリーズ』の第18巻目を読みはじめたところだ。
すでに『酔いどれ小藤次シリーズ』の既刊分(番外篇入れて全20巻)は全巻読破してしまった。
それにしても佐伯の筆力たるやすさまじい。
20日間で1冊というペースで書き上げると聞いたが、
どうやったらそんな芸当ができるのか。
佐伯は言う。
「ほとんど粗筋は考えていません。最初の十数行が書けたら、
あとは勝手に登場人物が動いてくれますから……」
テレビでもドラマ化された『居眠り磐根シリーズ』(双葉文庫)は40数巻あり、
いまでも延々と書き続けられている。シリーズ累計がなんと1500万部というから驚きだ。
ためしに1冊平均650円としてザッと計算してみると、
650円×15000000冊×0.1(著者印税率)=9億7500万円
著者の取り分が10億円(税引前です)近いというのだから、
〝100円ライター〟のボクなんか頭がクラクラして目を回しそうになる。
このシリーズの版元の双葉社は、もうウハウハで笑いがとまらないだろう。
なぜ佐伯の時代小説はこんなにも人気があるのか。
つらつら考えてみるに、「おもしろいから」の一言に尽きようか(←当たり前だろ!)。
「小藤次」も「磐根」もストーリーの設定は驚くほど似ている。
どちらの主人公もわけあって地方の小藩を脱藩あるいは離藩。
江戸で裏長屋住まいをしながら、刀剣研ぎや鰻裂き、
時には用心棒などのアルバイトをしながら生計を立てている。
両者とも剣の達人で、向かうところ敵なし(ちょっと強すぎるかも)。
またひそかに想う女性(にょしょう)がいて、経済的に支援を惜しまぬ有力パトロンもいる。
交際範囲は広く、町奉行所や幕府の要人たちとも昵懇の間柄だ。
そして性格的にはどこか間が抜けていて、底抜けに情が深い(なんだかボクみたい)。
わずかに異なるのは「磐根」の人品卑しからぬハンサムボーイ(これもボクみたい)に対して、
「小藤次」は五十路を超えたハゲでチビで風采の上がらぬ
〝もくず蟹〟のような顔をした男だということだ。
その〝もくず蟹〟の『酔いどれ小藤次シリーズ』がついにドラマ化され、
今夜(13日、pm7:30~、NHK・BSプレミアム)お目見えする。正月に放映された
1作目の『御鑓拝借』の再放送分で、21日(金)からは毎週放映されるという。
主人公の赤目小藤次に扮するのは竹中直人。まさにイメージにピッタリの
キャスティングといえようか。田舎の義母が正月に見て絶賛したというから、
今夜はビールでも飲みながらじっくり鑑賞することにする。
若い頃はあまり小説は読まなかった。
しょせんフィクション、作り物だという思いがあって、
もっぱら小難しい社会科学系の本や評論のたぐいばかり読んで力んでいた。
学生運動が華やかなりし頃で、小説などという軟弱なものを読む雰囲気ではなかった、
ということもある。
小説のすごさを教えてくれたのはドストエフスキーだが、
いかんせん肩が凝る。もっと心から愉しめるような小説はないものだろうか。
そこで読み始めたのが司馬遼太郎や池波正太郎の時代小説である。
なかでも池波の『剣客商売』や『鬼平犯科帳』は肩が凝らずに読める本の代表だった。
それと藤沢周平の作品群。彼らが鬼籍に入ってしまったあとは、
心にポッカリ穴があいてしまった。
(これからどうやって余生を過ごしていったらいいのだろう……)
そこで登場したのが佐伯泰英だ。ボクはこの偉才の存在をまったく知らなかった。
誰かに勧められた記憶はあるにはあるが、
(どうせへたっぴぃな若手作家の一人だろ? ガッカリさせられるだけだ)
若手作家への根強い不信感がぬぐいきれなかった。いつも裏切られていたからだ。
しかし佐伯は違った。モノホンだった。それにボクより10歳も年上の苦労人だ。
何より人物描写がうまく、ストーリー展開も申し分ない。
ただ立ち合いの描写が津本陽ほどリアルでなく、毎回同じなのが玉にキズだが、
まあそれも、ご愛敬だろう。
ボクの老後の楽しみ(寝床で本を読むこと)を用意してくれた佐伯泰英に感謝。
ブランデーをちびちび舐めるように、再読三読して愉しませてもらうことにする。
粗製濫造は困るけど、どうか長生きしておもしろい小説を書きまくってくださいませ。
←『酔いどれ小藤次シリーズ』の第1作目、
「御鑓拝借」。風采の上がらぬ小男だが、
剣の腕前は並みではない。小説の中では
片想いの「おりょう様」が出てくる。これが実に
凛とした女でいいんだなァ。
ああ、ボクの〝おりょう様〟は何処に?←嬶(カカア)がいるだろ!
※追記6/15(土)
ドラマを見ての感想を一言。「ウーン、今イチかな……」
構成やキャスティングはいいのだけれど、主人公・赤目小藤次の殺陣がぜ~んぜんダメ
だった。竹中は子供の頃にチャンバラしたことがないのかしらね。それに竹中は左利きだ。
ボクは最初、わざと左に剣を持っているのかと思った。でも違った。竹中は芸能界でも知られた
〝ギッチョ〟だそうだ。立ち回りを見てると、どうしても丹下左膳とダブっちゃう。しかし
丹下左膳ほど巧くない。腰が入ってないから、つい上体だけの剣さばきになり、
リアリティが感じられない。それに竹中の必死の表情が原作の「堂々とした態度」とは
えらく離反していて、少しも強そうに見えない。やはり『シコふんじゃった』の竹中では
無理があるのか。いろいろ調べたら「武士は右利き」が絶対的な決まりなのだとか。
竹中ははまり役だと思ったが、ギッチョだったのが返すがえすも残念。
←映画『シコふんじゃった』の中の竹中。
この〝下痢ピー男〟の役は最高だった。
ほとんど1日1冊のペースで読み飛ばし、
いまは『居眠り磐根シリーズ』の第18巻目を読みはじめたところだ。
すでに『酔いどれ小藤次シリーズ』の既刊分(番外篇入れて全20巻)は全巻読破してしまった。
それにしても佐伯の筆力たるやすさまじい。
20日間で1冊というペースで書き上げると聞いたが、
どうやったらそんな芸当ができるのか。
佐伯は言う。
「ほとんど粗筋は考えていません。最初の十数行が書けたら、
あとは勝手に登場人物が動いてくれますから……」
テレビでもドラマ化された『居眠り磐根シリーズ』(双葉文庫)は40数巻あり、
いまでも延々と書き続けられている。シリーズ累計がなんと1500万部というから驚きだ。
ためしに1冊平均650円としてザッと計算してみると、
650円×15000000冊×0.1(著者印税率)=9億7500万円
著者の取り分が10億円(税引前です)近いというのだから、
〝100円ライター〟のボクなんか頭がクラクラして目を回しそうになる。
このシリーズの版元の双葉社は、もうウハウハで笑いがとまらないだろう。
なぜ佐伯の時代小説はこんなにも人気があるのか。
つらつら考えてみるに、「おもしろいから」の一言に尽きようか(←当たり前だろ!)。
「小藤次」も「磐根」もストーリーの設定は驚くほど似ている。
どちらの主人公もわけあって地方の小藩を脱藩あるいは離藩。
江戸で裏長屋住まいをしながら、刀剣研ぎや鰻裂き、
時には用心棒などのアルバイトをしながら生計を立てている。
両者とも剣の達人で、向かうところ敵なし(ちょっと強すぎるかも)。
またひそかに想う女性(にょしょう)がいて、経済的に支援を惜しまぬ有力パトロンもいる。
交際範囲は広く、町奉行所や幕府の要人たちとも昵懇の間柄だ。
そして性格的にはどこか間が抜けていて、底抜けに情が深い(なんだかボクみたい)。
わずかに異なるのは「磐根」の人品卑しからぬハンサムボーイ(これもボクみたい)に対して、
「小藤次」は五十路を超えたハゲでチビで風采の上がらぬ
〝もくず蟹〟のような顔をした男だということだ。
その〝もくず蟹〟の『酔いどれ小藤次シリーズ』がついにドラマ化され、
今夜(13日、pm7:30~、NHK・BSプレミアム)お目見えする。正月に放映された
1作目の『御鑓拝借』の再放送分で、21日(金)からは毎週放映されるという。
主人公の赤目小藤次に扮するのは竹中直人。まさにイメージにピッタリの
キャスティングといえようか。田舎の義母が正月に見て絶賛したというから、
今夜はビールでも飲みながらじっくり鑑賞することにする。
若い頃はあまり小説は読まなかった。
しょせんフィクション、作り物だという思いがあって、
もっぱら小難しい社会科学系の本や評論のたぐいばかり読んで力んでいた。
学生運動が華やかなりし頃で、小説などという軟弱なものを読む雰囲気ではなかった、
ということもある。
小説のすごさを教えてくれたのはドストエフスキーだが、
いかんせん肩が凝る。もっと心から愉しめるような小説はないものだろうか。
そこで読み始めたのが司馬遼太郎や池波正太郎の時代小説である。
なかでも池波の『剣客商売』や『鬼平犯科帳』は肩が凝らずに読める本の代表だった。
それと藤沢周平の作品群。彼らが鬼籍に入ってしまったあとは、
心にポッカリ穴があいてしまった。
(これからどうやって余生を過ごしていったらいいのだろう……)
そこで登場したのが佐伯泰英だ。ボクはこの偉才の存在をまったく知らなかった。
誰かに勧められた記憶はあるにはあるが、
(どうせへたっぴぃな若手作家の一人だろ? ガッカリさせられるだけだ)
若手作家への根強い不信感がぬぐいきれなかった。いつも裏切られていたからだ。
しかし佐伯は違った。モノホンだった。それにボクより10歳も年上の苦労人だ。
何より人物描写がうまく、ストーリー展開も申し分ない。
ただ立ち合いの描写が津本陽ほどリアルでなく、毎回同じなのが玉にキズだが、
まあそれも、ご愛敬だろう。
ボクの老後の楽しみ(寝床で本を読むこと)を用意してくれた佐伯泰英に感謝。
ブランデーをちびちび舐めるように、再読三読して愉しませてもらうことにする。
粗製濫造は困るけど、どうか長生きしておもしろい小説を書きまくってくださいませ。
←『酔いどれ小藤次シリーズ』の第1作目、
「御鑓拝借」。風采の上がらぬ小男だが、
剣の腕前は並みではない。小説の中では
片想いの「おりょう様」が出てくる。これが実に
凛とした女でいいんだなァ。
ああ、ボクの〝おりょう様〟は何処に?←嬶(カカア)がいるだろ!
※追記6/15(土)
ドラマを見ての感想を一言。「ウーン、今イチかな……」
構成やキャスティングはいいのだけれど、主人公・赤目小藤次の殺陣がぜ~んぜんダメ
だった。竹中は子供の頃にチャンバラしたことがないのかしらね。それに竹中は左利きだ。
ボクは最初、わざと左に剣を持っているのかと思った。でも違った。竹中は芸能界でも知られた
〝ギッチョ〟だそうだ。立ち回りを見てると、どうしても丹下左膳とダブっちゃう。しかし
丹下左膳ほど巧くない。腰が入ってないから、つい上体だけの剣さばきになり、
リアリティが感じられない。それに竹中の必死の表情が原作の「堂々とした態度」とは
えらく離反していて、少しも強そうに見えない。やはり『シコふんじゃった』の竹中では
無理があるのか。いろいろ調べたら「武士は右利き」が絶対的な決まりなのだとか。
竹中ははまり役だと思ったが、ギッチョだったのが返すがえすも残念。
←映画『シコふんじゃった』の中の竹中。
この〝下痢ピー男〟の役は最高だった。
10 件のコメント:
ROUさん、
こんにちは。
訂正、佐伯は佐伯でも私の言っていたのは佐伯啓思でした。
どうも話が噛み合わんと思った…
じめじめしながらまた一献。
NICK様
だいじょうぶ?
暑いからねェ、頭やられたかと思った。
佐伯啓思の傑作は、前にも言ったけど、
『自由と民主主義をもうやめる』です。
これさえ読んでおけば他はもう要らない。
啓思でなくて泰英はおもろいで。
ボクもこんな人気シリーズを書いて
億万長者になってみたい。
そしてハーレーのファットボーイより大きい
バイクを買ってNICKさんとタンデムし、
肌身を合わせたい。
問題はストーリーを考え出す構想力だな。
ぜ~んぜんないんだよな、この構想力が。
妄想力ならあるんだけど。
NICKと酒でも飲んでおもろいストーリーを
考えてみるか。
暑気払いに一杯やってもいいよ。
たまには先輩におごって、いいとこ見せな。
老先生こんにちは♪
面白い本が見つかって良かったですね。
昨日、小学校のうさぎ小屋の横で
手を振っていたのですが、老先生はキャッチボールに集中されていたらしく、気づいて
もらえなかったのです。
昨日は、3匹ともお腹がすいていたらしく
レタスにガブガブとかぶりついてました。
玉ねぎはみんな残していました。(笑)
座敷童様
お久しぶり。
うさぎ小屋のそばですか。
まったく気がつきませんでした。
あの日、膝を痛めていたから、
(変な投げ方してるな……)
と思われたかもしれませんね。
ところで、うさぎの好物ですが、
レタスは分かるのですが、玉ネギも
食べるのでしょうか?
なんか食べそうにない気も……(笑)。
あんまり変なものやらないでくださいよ。
ボクもたまにはニンジンをもって
うさぎのご機嫌をうかがってくることにします。
自立後はどうしていますか?
婚カツは順調ですか?
ボクはトンカツのほうがいいけど……(笑)
昨日は三匹とも、おかわり欲しいなあって
顔をしていたので、スライサーで擦った
キャベツと玉ねぎを冷蔵庫から探し出し
あげたのです。
ニワトリは鳴いて喜んでましたよ!!
ちなみに公園で寛いでらっしゃった老先生を
驚かそうと、一瞬企みましたが、本当に
ビビらせてしまい、こっぴどく叱られそう
だったので、やめたのです。
休活中の愚姉様
ほんとに食べるのかなァ、玉ネギ。
今日あたり、3羽ともお亡くなり遊ばしてたりして……(笑)。
老人を驚かすのはやめてくださいね。
ただでさえ心臓が弱いんだから。
あなたもおじさんたちとキャッチボールしたいのなら、グラブをもって出ておいで。
女人禁制でも変人禁制でもないですから、
いつでもどうぞ。
もっとも、ボールより婿さんをキャッチする
ほうが先か。タマをもてあそぶのはいつでも
できるからね。
しまふくろうさま、こんぱんは(*^^*)
夜行性ではないのに~夜更かしの木蘭でございます(笑)
小説を読むとき、
自分の頭の中でさまざまな人物が姿を現し、すっかり「出来上がり」ます。
その人物像は、想像する人それぞれですね。
しかしながらとても面白い小説でも、
それが「実写版」になってしまったとたん、
自分のなかの想像していた「人物像」がうすぼんやりとしたものになってしまう・・・。
やはり自分のなかの想像の「人物像」のほうが、
生き生きとしているような気が致します。
それは司馬さんおっしゃるところの「コドモ」の部分なのでしょうね。
「おりょうさま」はやはり本人にとっての「聖女」なのでしょうか。
そうであるならば、私の師匠の「おりょうさま」は~吉永小百合さまでございます(笑)
私も小説からかなり離れてしまっておりますので、
たまには読んでみようかな(*^-^*)
私の本棚には、
今のところ「吉田松陰」(山岡荘八著)しかありませんが(笑)
おやすみなさい(*^-^*)
木蘭様
おはようございます。
おっしゃるとおり、「実写版」はいつだって
原作より劣りますね。ましてや左利きの武士
だなんて……ガッカリです。
左利きと分かった時点で、
配役を変えるべきだったでしょうね。
〝酔いどれ左膳〟じゃ洒落にもなりません。
吉永小百合が木蘭さんの師匠の〝おりょう様〟
ですか……
失礼ながら、吉永小百合は高倉健と並ぶ
ダイコン役者だと思っておりますので(笑)、
サユリストのお師匠様には同意できず、
これまた大変申し訳なく……(笑)。
いずれにしろへたな欲は出さず、
自分の思い描いた原作のイメージを大事にして
いったほうがいいですね。
吉田松陰がお好きなのですか?
ボクも大好きです。
友人の一人は松陰の子孫です。
もちろん本家・杉家の子孫ですがね。
酔いどれ小藤次に関する記事、楽しく拝見しました。
私は御意見とは逆で申し訳ありませんが、この番組での左利き握りの殺陣が好きです。最初に見たとき「なるほど!その手があったか!」と膝をたたいて感心しました。
(竹中氏の立ち回りの腕自体は…という点には同意です。しかし、近衛十四郎の素浪人シリーズで育った世代としては、ほとんど全ての立ち回り技術が残念に見えてしまうわけで、今更其の辺には驚きません。)
演出なのか、竹中氏が左利きなのかが疑問だったのですが、「左利き」が先だったのですね。
左右逆の殺陣が、これほどまでに、全体の中で「なんとなく異様な動作」として浮き上がって見えるとは思いませんでした。結果的に「珍しい剣法の使い手」という雰囲気が出ていると思います。
左膳の立ち回りほど崩れていないところもキャラクターにあっていていいです。
そういえば左腰の大刀を左手で抜刀する様子などは、ほんとに左膳的ですよね(大河内左膳は右腰帯刀ですが)。
しかしWebで、この左利き殺陣に言及している人が少ないです。案外皆さん気付いていないのではないのでしょうか。
kurononorite様
〝素浪人シリーズ〟見てましたよ。近衛十四郎
の殺陣はうまかったな。息子の松方弘樹はおやじそっくりの剣さばきをします。腰が入っていて巧いんだけど、ちょっと型にはまりすぎ、の感はありますね。
竹中小藤次の殺陣ですが、相変わらずへたっぴぃですな。もう、見てられません。あなたは
〝珍しい剣法〟と評価していますが、ボクは
それほどお人好しじゃないから、やはり辛口
評価のままです。
ドラマのおりょう様もサイテーです。
なんですか、あれは(笑)。役者さんは
きれいなネエちゃんですが、原作の凛とした
気品など皆無。ボクはもうテレビを見るのを
やめました。原作の穢れです。
というわけで、ご勘弁ください。
楽しいコメント、ありがとうございます。
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