2012年8月23日木曜日

東方無礼之国

わが家の上階には元東大哲学科の教授で「和辻哲郎賞」を受賞したHさんという偉~い
センセー(講談師・2代目神田山陽の息子さん)がいる。時々プールにお出ましになるが、
周囲のものは〝キリスト様〟という尊称を奉っている。〝痩せたソクラテス〟をそのまま
体現しているような哲学者で、風貌からしてボクみたいな太った豚とはちがっている。

しかし、そんな偉いセンセーでも、団地の管理組合役員に選ばれたりすると、
口さがない一部の住人から、やれ「学者先生は浮世のことがてんで分かってない」だとか、
「バランスシートの見方すら分かりゃしない」などと散々けなされる。
ボクだってそんなもの知りはしないが、他人の金勘定ばかりしてきた銀行員上がりの
隠居たちは、鬼の首でもとったような気になるのか、ソクラテス先生を「社会性ゼロ」
などとバカにするのである。日本では必ずしも博士は尊敬の対象にならないのだ。

ところが隣国はちがう。韓国人は学位が大好きなので、博士となるともうたいへんだ。
死ぬまで〝博士様〟と呼ばれ尊敬される。なにしろ韓国では死ぬと棺に学位が
刻まれるという。

以前、韓国で取材したときのこと。某飲食繁盛店の店主はバリッとした韓服を着て現れた。
その登場の仕方が可笑しかった。悠揚迫らぬ態度というのだろうか、
後ろにひっくり返ってしまうのではと心配するほど胸を反らし、悠然と現れたのである。
話しっぷりも芝居がかっていて、牛が反芻するみたいにゆっくりとしゃべる。

「失礼ですが、両班(ヤンバン)出身ですか?」
ボクは多少からかい気味に、しかしマジメな顔で聞いてみた。
答えは「イエス」だった。

両班というのは朝鮮王朝時代の貴族であり高級官僚であり地主層だった人たち。
もともと中国に倣った官位制度から生まれた階層で、公式行事の際に、東班(文官)と
西班(武官)が2列に並び立ったことに由来する。その後は文官のみを特権階層に
位置づけるようになり、武官(軍人)は徐々に社会的認知を失っていった。

両班には「汗をかいてはならない」という原則があって、肉体を労する仕事は
とことん卑しまれた(「肉体を労する国」参照)。前述の店主は自身を両班出身だと
言ってそっくり返ったが、たぶん大ウソだろう。李朝末期になるとニセ両班があふれ、
日韓併合の時は人口の半分が両班だった。賄賂を払えば両班の資格が
いくらでも買えたので、朝鮮半島の至るところにニセ両班がいっぱい現れたのだ。
どう考えたって、国民の半分が支配階層だったなんてありえない。

日本では食いもの屋の店主でも、何代も続けば尊敬されるが、韓国では絶対にだめ。
料理の鉄人も天才シェフもだめ。「肉体を労する」仕事は賤業視され、
とりわけサービス業は卑しめられているからだ。逆に尊敬されるのは学者先生や
弁護士、政治家といった「心を労する」人たち。飲食店に100年続く老舗がないのは、
自分たちの仕事に誇りが持てず、子どもたちを後継者にしたがらないからである。

韓国人は面子や体面にこだわる。異常にこだわるといっていい。
だから宴会などでも席順をどうするかで、とことん議論する。ボクもたまたま宴席の
現場に居合わせたことがあるが、年齢だとか地位だとかを微妙に勘案しながら、
互いのメンツが立つように慎重に席順を決める。ご苦労なことだ。

物の本によると、朝鮮王妃の葬儀をめぐり、100年以上言い争ったという事例もある
というから、メンツや自尊心を守り抜こうとする精神はハンパじゃない。
韓国人が二言目には「日帝36年」と言い出すのは、よほどプライドが傷つけられ、
腹に据えかねているのだろう。「過去は水に流して……」などというたわごとを、
聞いてくれるような相手ではない。

李明博大統領に宛てた首相親書が突っ返されたという。
外交儀礼上、異例の事態だという……。

かつて支那は朝鮮のことを「東方礼儀之国」と呼んだ。
ところが今は「東方無礼之国」に成り下がり、世界の笑いものになっている。
韓国人はとにかくうるさい、しつこい、怒りっぽい。やっかいな隣人である。
ある親日派の韓国人は自嘲気味にこう言ったという。
日本にはあらゆる思想がある。が、韓国には〝反日思想〟しかない











 

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