吉祥寺に「もか」という自家焙煎コーヒーの名店があった。
そこには標交紀(しめぎゆきとし)という〝コーヒーの鬼〟が棲んでいて、
日ごと夜ごと、コーヒーのことばかり考えていた。
標のコーヒーはうまい不味いをはるかに超え、
「感動を誘うコーヒー」とまで云われた。
もしも客が飲み残そうものなら、カウンターから飛び出し、
追いかけていって「残したわけを聞かせてくれ」と
返答を迫った、というのだから尋常ではない。
標が突然逝ってしまい、「もか」が閉店して早や5年。
標が蒐集したコーヒー器具など約250点を展示した催し
「咖啡がやってきた」展が三鷹の中近東文化センター附属博物館で
開かれていたので、久しぶりに行ってみた。
「もか」を再現した臨時カフェは大盛況で、標のかつての弟子たちが、
全国から応援に駆けつけていた。たまたま相席した若者は、標のことを
知らなかった。お節介なボクは、標の人となりや、「もか」がコーヒー屋の
聖地だったことなどを語りきかせた。若者は目を輝かせて聞き入った。
「すごい人だったんですね。一度でいいから標さんのコーヒーを飲みたかったな」
会場にいた未亡人の標和子さんは、いまだに茫然自失の抜け殻状態で、
あれほど好きだったコーヒーを、あの日以来一度も口にしていないという。
服喪のための茶断ちではない。コーヒーが飲めなくなってしまったのだ。
2人は人も羨むおしどり夫婦だった。子がいないぶん、よけい夫婦の紐帯は強かった。
夫人の悲嘆と絶望は察するにあまりある。
一心不乱になって我を忘れる――今どきこんな生き方をするものはまれだろう。
が、世界一のコーヒーをめざし焙煎に没頭している時の標は、
まさしくこんな忘我の状態だった。「コーヒーには品格がなければいけない」
品格のないコーヒーなど無価値で、そんなものは踏み倒していい、
とまで言い切った。そこまで言える人間はまずいない。
宣伝じみていて恐縮なのだが、稀代のコーヒー馬鹿を描いた
小著『コーヒーの鬼がゆく』が12月に中央公論新社より文庫化される。
たかがコーヒーという狭くて小さな世界だが、
それに命をかけて打ち込んだ男がいた。
標交紀という名を、心の片隅でいい、憶えておいてほしい。
※追記
標さんとの「お別れの会」(2008.2.10)の様子を『週刊きちじょうじ』が
伝えているので、ここに改めて掲載させていただく。会場にはカフェ・ド・ランブル
の関口さんの顔も。記事をクリックすると拡大画面になる。
恥ずかしながら不肖私めも挨拶に駆り出された。「もか」の瀟洒なたたずまいが懐かしい。
http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/weekly/2008/1719/index.html
そこには標交紀(しめぎゆきとし)という〝コーヒーの鬼〟が棲んでいて、
日ごと夜ごと、コーヒーのことばかり考えていた。
標のコーヒーはうまい不味いをはるかに超え、
「感動を誘うコーヒー」とまで云われた。
もしも客が飲み残そうものなら、カウンターから飛び出し、
追いかけていって「残したわけを聞かせてくれ」と
返答を迫った、というのだから尋常ではない。
標が突然逝ってしまい、「もか」が閉店して早や5年。
標が蒐集したコーヒー器具など約250点を展示した催し
「咖啡がやってきた」展が三鷹の中近東文化センター附属博物館で
開かれていたので、久しぶりに行ってみた。
「もか」を再現した臨時カフェは大盛況で、標のかつての弟子たちが、
全国から応援に駆けつけていた。たまたま相席した若者は、標のことを
知らなかった。お節介なボクは、標の人となりや、「もか」がコーヒー屋の
聖地だったことなどを語りきかせた。若者は目を輝かせて聞き入った。
「すごい人だったんですね。一度でいいから標さんのコーヒーを飲みたかったな」
会場にいた未亡人の標和子さんは、いまだに茫然自失の抜け殻状態で、
あれほど好きだったコーヒーを、あの日以来一度も口にしていないという。
服喪のための茶断ちではない。コーヒーが飲めなくなってしまったのだ。
2人は人も羨むおしどり夫婦だった。子がいないぶん、よけい夫婦の紐帯は強かった。
夫人の悲嘆と絶望は察するにあまりある。
一心不乱になって我を忘れる――今どきこんな生き方をするものはまれだろう。
が、世界一のコーヒーをめざし焙煎に没頭している時の標は、
まさしくこんな忘我の状態だった。「コーヒーには品格がなければいけない」
品格のないコーヒーなど無価値で、そんなものは踏み倒していい、
とまで言い切った。そこまで言える人間はまずいない。
宣伝じみていて恐縮なのだが、稀代のコーヒー馬鹿を描いた
小著『コーヒーの鬼がゆく』が12月に中央公論新社より文庫化される。
たかがコーヒーという狭くて小さな世界だが、
それに命をかけて打ち込んだ男がいた。
標交紀という名を、心の片隅でいい、憶えておいてほしい。
※追記
標さんとの「お別れの会」(2008.2.10)の様子を『週刊きちじょうじ』が
伝えているので、ここに改めて掲載させていただく。会場にはカフェ・ド・ランブル
の関口さんの顔も。記事をクリックすると拡大画面になる。
恥ずかしながら不肖私めも挨拶に駆り出された。「もか」の瀟洒なたたずまいが懐かしい。
http://www.tokyo-net.ne.jp/kichijoji/weekly/2008/1719/index.html
4 件のコメント:
おめでとうございます。
仮想次回作は「波に乗るコーヒーの赤鬼たち・人で辿る米国スペシャルティコーヒーの始まりからサードウェーブまで」なんていかが。
その次は「人で辿る日本のコーヒー自家焙煎史・なぜ輸入文化が地方にまで広まったか」。
そのあとが----なんて。
ナカガワ様
なかなか面白そうなテーマですね。
特に〝人で辿る日本のコーヒー自家焙煎史〟
というのがいい。
もう死んじゃった人も多いけど、
それこそ諸子百家の趣というより、
百家争鳴の観がありましたからね。
そのうち考えときます。
憑かれた男たち読後感想
嶋中さんの矛盾が、独特の麗句で情熱を抽出し、一方でフィルターをかけて不鮮明な味になってしまったのが残念です。でもそう決める私が未熟なのだと思います。矛盾でなく高みなのかしら。
丸善に残された檸檬より毒を秘めていたに違いない。が心に残されました。憑かれた男たちの情熱とともに。素晴らしい御本を拝読しました。
匿名様
たいへん恐縮です。
標交紀さんはたしかに何かに憑かれていました。
世間的な尺度で見れば奇人であり風狂人であったかもしれません。
しかし奥様の目に映った彼は、ただの〝駄々っ子〟だったようです(笑)。
手のかかる駄々っ子。でも、その分だけ愛しい。
何かひとつことに熱中できる人間は、とても幸せです。
コメントを投稿