2011年10月4日火曜日

ノスタル爺の呟き

わが家はボク以外、みんなfacebookをやっている。
女房だけは仕事が忙しく、久しく更新を怠っているが、
娘2人は女子会をやった、旅行に行った、山ガールをやってきた、
などといってはマメに写真をアップし、悦に入っている。

「友だちの友だちはトモダチだ」じゃないけれど、
facebookでつながっているトモダチの数は半端じゃない。
おまけに国際色あふれ、いろんな国の若者と「いいね!」
などとやり合っている。

ボクは以前、友人に勧められmixiをやっていたが、
いつのまにか更新するのが面倒になってやめてしまった。
いまでもボクのページは残っているが、
時々のぞいてみると、見知らぬ人の〝足跡〟が残っていたりする。
mixiも今ではfacebookにすっかりお株をとられたかっこうだが、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)としては、
こっちのほうが老舗だろう。

facebookにしろmixiにしろ、インターネット上でコミュニティを
築けるというのはすばらしいことだ。たとえそれらの友情が擬似的で、
まやかしで、絵空事の贋物であったとしても、現実社会のそれと比べれば、
どう転んでもどっこいどっこいだろうから、ケチをつけるほどのこともない。

こうして草の根的に友情の輪が広がっていけば、いずれは世界が1つになり、
戦争もない平和な世の中になる、なんて太平楽を並べるオポチュニスト
もいるようだが、もしかすると核兵器ではなくインターネットが戦争の抑止力になる、
なんてことが現実に起こるかもしれない。

「アラブの春」(アラブ世界の民主化運動)を支えたのはtwitterや
facebookだった。インターネットが革命を引き起こせるのなら、
戦争をストップさせたって不思議ではあるまい。

さて、ボクは今のところfacebookをやるつもりはない。
mixiのときもそうだったが、友人知人をだ~れも〝招待〟しないから、
コミュニティの輪が広がらないのだ。知らない人とつながるのは
気味がわるいし、互いの写真を見せっこするのも気味がわるい。
ボクみたいなつむじ曲がりには所詮不向きな世界なのだ。
ボクは若者言葉でいうところの「シケ男」(座を白けさせる男)そのもの。
お生憎様、という外ない。






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