わが家はボク以外、みんなfacebookをやっている。
女房だけは仕事が忙しく、久しく更新を怠っているが、
娘2人は女子会をやった、旅行に行った、山ガールをやってきた、
などといってはマメに写真をアップし、悦に入っている。
「友だちの友だちはトモダチだ」じゃないけれど、
facebookでつながっているトモダチの数は半端じゃない。
おまけに国際色あふれ、いろんな国の若者と「いいね!」
などとやり合っている。
ボクは以前、友人に勧められmixiをやっていたが、
いつのまにか更新するのが面倒になってやめてしまった。
いまでもボクのページは残っているが、
時々のぞいてみると、見知らぬ人の〝足跡〟が残っていたりする。
mixiも今ではfacebookにすっかりお株をとられたかっこうだが、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)としては、
こっちのほうが老舗だろう。
facebookにしろmixiにしろ、インターネット上でコミュニティを
築けるというのはすばらしいことだ。たとえそれらの友情が擬似的で、
まやかしで、絵空事の贋物であったとしても、現実社会のそれと比べれば、
どう転んでもどっこいどっこいだろうから、ケチをつけるほどのこともない。
こうして草の根的に友情の輪が広がっていけば、いずれは世界が1つになり、
戦争もない平和な世の中になる、なんて太平楽を並べるオポチュニスト
もいるようだが、もしかすると核兵器ではなくインターネットが戦争の抑止力になる、
なんてことが現実に起こるかもしれない。
「アラブの春」(アラブ世界の民主化運動)を支えたのはtwitterや
facebookだった。インターネットが革命を引き起こせるのなら、
戦争をストップさせたって不思議ではあるまい。
さて、ボクは今のところfacebookをやるつもりはない。
mixiのときもそうだったが、友人知人をだ~れも〝招待〟しないから、
コミュニティの輪が広がらないのだ。知らない人とつながるのは
気味がわるいし、互いの写真を見せっこするのも気味がわるい。
ボクみたいなつむじ曲がりには所詮不向きな世界なのだ。
ボクは若者言葉でいうところの「シケ男」(座を白けさせる男)そのもの。
お生憎様、という外ない。
女房だけは仕事が忙しく、久しく更新を怠っているが、
娘2人は女子会をやった、旅行に行った、山ガールをやってきた、
などといってはマメに写真をアップし、悦に入っている。
「友だちの友だちはトモダチだ」じゃないけれど、
facebookでつながっているトモダチの数は半端じゃない。
おまけに国際色あふれ、いろんな国の若者と「いいね!」
などとやり合っている。
ボクは以前、友人に勧められmixiをやっていたが、
いつのまにか更新するのが面倒になってやめてしまった。
いまでもボクのページは残っているが、
時々のぞいてみると、見知らぬ人の〝足跡〟が残っていたりする。
mixiも今ではfacebookにすっかりお株をとられたかっこうだが、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)としては、
こっちのほうが老舗だろう。
facebookにしろmixiにしろ、インターネット上でコミュニティを
築けるというのはすばらしいことだ。たとえそれらの友情が擬似的で、
まやかしで、絵空事の贋物であったとしても、現実社会のそれと比べれば、
どう転んでもどっこいどっこいだろうから、ケチをつけるほどのこともない。
こうして草の根的に友情の輪が広がっていけば、いずれは世界が1つになり、
戦争もない平和な世の中になる、なんて太平楽を並べるオポチュニスト
もいるようだが、もしかすると核兵器ではなくインターネットが戦争の抑止力になる、
なんてことが現実に起こるかもしれない。
「アラブの春」(アラブ世界の民主化運動)を支えたのはtwitterや
facebookだった。インターネットが革命を引き起こせるのなら、
戦争をストップさせたって不思議ではあるまい。
さて、ボクは今のところfacebookをやるつもりはない。
mixiのときもそうだったが、友人知人をだ~れも〝招待〟しないから、
コミュニティの輪が広がらないのだ。知らない人とつながるのは
気味がわるいし、互いの写真を見せっこするのも気味がわるい。
ボクみたいなつむじ曲がりには所詮不向きな世界なのだ。
ボクは若者言葉でいうところの「シケ男」(座を白けさせる男)そのもの。
お生憎様、という外ない。
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