「人の話をまったく聞かない人だね」が、女房の亭主評である。
「同じ質問を何度もしないでよ。それはおととい話したでしょ」
そう言われても、記憶にないのだからしかたがない。
話を聞いてない、というより聞いた話をすぐ忘れてしまう。
この10年で健忘症が一気に進行してしまったようだ。
これでもジャーナリストのはしくれだから、同じ質問を
数分後にくり返していると知った時、目の前が少し暗くなった。
「そのことは……たしか先ほどお話ししましたよね」
取材相手の呆れた顔。なんともバツが悪い。
ひとは齢を取ると記憶力が減退するだけでなく、
ますます自分中心になるという。他人の話に興味を示さず、
自分のことばかりしゃべりたがる。
カラオケボックスなどでよく見られる光景と根っこは同じである。
友人たちが歌い終われば盛大な拍手を送りはするが、
あれは儀礼的、もしくは「自分の番の時はヨロシクね」
と保険をかけているようなもので、歌なんてろくすっぽ
聴いちゃァいない。聞くふりをしながら歌詞集をせっせとめくり、
次に歌う唄を必死になって探している。
年寄り同士の会話もそれに似ている。聞いているふりはしているが、
相手の話なんか実はどうでもよくて、片っぽうの話が一段落するや、
「今度は私の番よね」とばかりに勢いこんで話し出す。
話の中身は子や孫の自慢話ばかりである。
Aが孫自慢を始めると、Bも負けじとまくしたてる。
またAがCという友人のことを褒めようものなら、
Bは必ずいやな顔をする。ひとは年齢を閲するにつれて
嫉妬深くなるのか、たとえ他人であっても、自分への称讃
以外はおもしろくないのである。
こんな光景を法事の席などでもたびたび目にしてきた。
結局、人間というのは「自分」がいちばん可愛くて、
「自分」にしか興味がなくて、「自分」のしてきたことを
口にしているかぎり、話題が果てしなく続く、
ということなのだろうか。
18日(日)の午後、中学時代の合同同窓会(3年1~6組)が川越で開かれた。
ボクはつむじ曲がりだから例のごとく欠席したが、
ずいぶん盛会だったようで何よりである。
半世紀ぶりに会う友はどんな顔をしているのだろう。
はたして名前が思い出せるだろうか。
5年後に再会を約して散会になったと聞いている。
会いたい気持ちと、それを否定する気持ちがせめぎ合う。
すでに鬼籍に入ってしまった友もいる。明日はわが身か。
今はせめて「友よ、健やかであれ」と願うばかりだ。
写真は川越第一中学校・第20回(昭和42年卒)合同同窓会・3年2組の面々
/ネット上に開設された写真館より無断拝借。中央3人が我らが恩師で、
左から体育担当の灰野、理科の高橋、英語の大塚の各先生だ。
灰野先生にはよく尻を蹴っ飛ばされたものだが(男子生徒だけです)、
なんかヨボヨボの好々爺になっちゃったみたいで、哀しい。
不肖の一生徒より愛をこめて――先生方、いつまでもお元気で。
「同じ質問を何度もしないでよ。それはおととい話したでしょ」
そう言われても、記憶にないのだからしかたがない。
話を聞いてない、というより聞いた話をすぐ忘れてしまう。
この10年で健忘症が一気に進行してしまったようだ。
これでもジャーナリストのはしくれだから、同じ質問を
数分後にくり返していると知った時、目の前が少し暗くなった。
「そのことは……たしか先ほどお話ししましたよね」
取材相手の呆れた顔。なんともバツが悪い。
ひとは齢を取ると記憶力が減退するだけでなく、
ますます自分中心になるという。他人の話に興味を示さず、
自分のことばかりしゃべりたがる。
カラオケボックスなどでよく見られる光景と根っこは同じである。
友人たちが歌い終われば盛大な拍手を送りはするが、
あれは儀礼的、もしくは「自分の番の時はヨロシクね」
と保険をかけているようなもので、歌なんてろくすっぽ
聴いちゃァいない。聞くふりをしながら歌詞集をせっせとめくり、
次に歌う唄を必死になって探している。
年寄り同士の会話もそれに似ている。聞いているふりはしているが、
相手の話なんか実はどうでもよくて、片っぽうの話が一段落するや、
「今度は私の番よね」とばかりに勢いこんで話し出す。
話の中身は子や孫の自慢話ばかりである。
Aが孫自慢を始めると、Bも負けじとまくしたてる。
またAがCという友人のことを褒めようものなら、
Bは必ずいやな顔をする。ひとは年齢を閲するにつれて
嫉妬深くなるのか、たとえ他人であっても、自分への称讃
以外はおもしろくないのである。
こんな光景を法事の席などでもたびたび目にしてきた。
結局、人間というのは「自分」がいちばん可愛くて、
「自分」にしか興味がなくて、「自分」のしてきたことを
口にしているかぎり、話題が果てしなく続く、
ということなのだろうか。
18日(日)の午後、中学時代の合同同窓会(3年1~6組)が川越で開かれた。
ボクはつむじ曲がりだから例のごとく欠席したが、
ずいぶん盛会だったようで何よりである。
半世紀ぶりに会う友はどんな顔をしているのだろう。
はたして名前が思い出せるだろうか。
5年後に再会を約して散会になったと聞いている。
会いたい気持ちと、それを否定する気持ちがせめぎ合う。
すでに鬼籍に入ってしまった友もいる。明日はわが身か。
今はせめて「友よ、健やかであれ」と願うばかりだ。
/ネット上に開設された写真館より無断拝借。中央3人が我らが恩師で、
左から体育担当の灰野、理科の高橋、英語の大塚の各先生だ。
灰野先生にはよく尻を蹴っ飛ばされたものだが(男子生徒だけです)、
なんかヨボヨボの好々爺になっちゃったみたいで、哀しい。
不肖の一生徒より愛をこめて――先生方、いつまでもお元気で。
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