2011年6月25日土曜日

時に感じては……

PTSD患者(特に閉所恐怖症)のボクは、
極端な話、鼻がつまっただけで「死ぬこと」を考えてしまう。
なにを大袈裟な、とたぶん笑い飛ばされるのがオチだろうが、
呼吸を阻害するものすべてに恐怖を抱くボクのような患者にとっては、
決して笑いごとではない。

「死」は、ふだんは意識していないが、決して非日常のことではなく、
いつも日常と隣り合わせに在る。今回の東日本大震災で亡くなられた
人たちだって、まさか自分が〝こんなにもあっけなく〟死んでしまうなんて、
思いも及ばなかっただろう。「えっ、ウソ。マジかよォ……」死ぬ間際の
感慨なんて、案外こんなものかもしれない。

というのは、ボクも何度か死に損なって、
「えっ、ウソだろッ!」と心の裡に叫んだからである。

一度はこどもの頃、プールで溺れかかって。
二度目はバイクでハイヤーと正面衝突して。←奇跡的に生還
三度目は、やはりバイクでバスと正面衝突しそうになり、あわてて
ハンドルを切りガードレールに激突。←真正面からの衝突が得意?
そして四度目は過呼吸症候群で呼吸困難をきたして。←ヤバかった

生きていることそのものが緩慢な自殺だ、と五木寛之は言っている。
生まれ出るということは死を選択したことで、
必ず死ぬということを知りながら生きることは、
すなわち緩慢なる自殺だというのだ。

    ついに行く道とはかねて聞きしかど
    昨日今日とは思わざりしを ――在原業平――

バルコニーのプランターに植えたポーチュラカがぽつぽつ咲き始めた。
毎年花を咲かせてくれるのだが、最近は、こうした鉢花や鳥の啼き声
などに心を動かされるようになった。たぶん齢のせいでヤキが回った
ためだと思うが、自分でもふしぎでならない。このヤボで無粋な男が、
花びらをそっと撫で、「咲いてくれてどうもアリガトネ」
などと囁いているのだから、もう老い先は長くはないだろう。

でも、そんな〝老い〟も悪くはないな、
と近頃は逆に開き直っているのだから始末にわるい。
いよいよ年貢の納め時か。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

"死”は深刻なもんだいです。が、そんな死を
笑い飛ばしたアメリカのジョークがあります。
ちょっと長いのですが紹介させて下さい。

Why Worry? ”なんで心配するの?”

世の中には心配することが2つあります。金持ちになれるか、貧乏になるのかです。金持ちになれるなら心配することはありません。

貧乏になるなら2つ心配することがあります。
十分な食事が採れるか、採れないかです。十分に食べれるなら心配することはありません。

食べれないなら2つ心配することがあります。
病気になるのか、ならないのかです。病気にならないなら心配することはありません。

病気になるなら2つ心配することがあります。
治るのか、治らないで死んでしまうのかです。
治るなら心配することは何もありません。

死んでしまうのなら2つ心配することがあります。天国に行けるのか、地獄に行くのかです。
天国に行けるなら何も心配ありません。

地獄に行っても心配することはまったくありません。たくさんの友達と握手するのに忙しくて
心配する時間なんてありませんよ!So,
Worry?

ROU.SHIMANAKA さんのコメント...

匿名様

生老病死に関しては、
みんな目をそむけたがりますが、
ある年齢になると、親との
別れという現実的な問題に直面します。
これは避けて通れません。

深刻ですが、どうにもならない問題なので、
笑い飛ばすに如くはない、ともいえます。

ボクはハイヤーと衝突した瞬間、
「ああ、死ぬな」と思いました。
気がついたら病院のベッドの上で、
事故を担当した警察官から
「生きてるのが奇跡です」
と言われました。

「死」は決して非日常ではなく、
いつも僕たちの隣にいます。

「死」に慣れ親しむことが
大切ですね。なかなかできない
ことですが……。